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20.クレオとパトラ事件②

※痛い表現がありますので、苦手な方はご注意ください。

 ――その絵は、アトリエの壁に飾られた、変哲もない向日葵の絵だった。パトラが椅子に乗り、下ろした絵をアイスローズがひっくり返し、躊躇なく裏張りを破いた。


「! あった……!」


 そこには、パトラが描かれていた。ランタンを近づけ、パトラも確認する。

 良かった、と呟くなりアイスローズは絵から目を逸らし、使われていない暖炉にくべ火をつけた。


(忌まわしい元凶になった絵。これでさようならだわ)


「何故、あそこにあるとお分かりに?」

「壁に幾つか、オールデイカーの自画像があるけど、その全ての目線があの向日葵の絵に向かっていたわ。彼の執着心じゃないかしら」

「うわあ、気持ち悪いですね。アニサキス(寄生虫)の可愛らしさを見習ってほしいです」

「……ちょっと同意はできないわ」


(まあ、私も漫画内でエドガーに言われていなければ、気づかなかったけど)


 アイスローズは苦笑いする。

 パチパチと時間もかからず、燃えていく絵。この程度なら煙突から出る煙も目立たないはず。


「オールデイカーは絵を盗まれたなんて、人に言わないでしょう。これは世間に知られていない絵だし、カヴァネス家令嬢のよくない絵を所持していて、それを盗まれたなんて言ったら、彼の名誉に関わるわ。それでも何か言われたら、ヴァレンタイン公爵であるお父様や、あのお母様が許さないはずよ。うちの大切なパトラになんて言いがかりするんだって。もちろん私も」

「アイスローズお嬢様……」

「さあ、早く帰りましょう」

「はい――っあ!?」


 床に打ち付ける大きな音に驚きアイスローズが振り返ると、パトラが倒れ込んでいた。


「パトラ!? なっ!?」


 彼女のふくらはぎにトラバサミの罠が噛み込んで、血が滲んでいる。直視できないほど痛そうだ。

「ぐっ……」パトラは痛みのあまり、声も出せない。


「な、なんでこんなものが室内に。直ぐに助けるわ。待ってて!」

 絵のモチーフにしていたのか、あるいは罠として置いてあったのか。


 そうは言ったものの、アイスローズがこんなものに触れるのは前世から通算しても初めてだ。トラバサミのすきまに火かき棒を挟み、梃子の原理でこじ開けようとするが、全く歯が立たない。時間ばかりが経過し、アイスローズの息が上がる。


「……危ないです。お嬢様の指がプラナリア(扁形動物)になっちゃいます……まあ、あれは二つに切断してもそれぞれ再生して、生きてるんですけどね……」

「豆知識ありがとうね! でも黙ってて」

 パトラはかろうじて言葉を絞り出す。こんな時までパトラはアイスローズの心配をする。

 締め切られている室内は、アイスローズがひっきりなしに動いているからか、湿度が上がり、かなり暑い。それなのに、アイスローズの背中に冷たい汗が流れた。動悸が早く波打つ。


(あと、何分かしら)


「……お嬢様、私は大丈夫です。先にヴァレンタイン家へお帰りください。……後から必ず行きますから」

「それもなんて死亡フラグ……! そんなこと言ったって、できないわ。今オールデイカーが帰宅したら、貴方がどんなことになるか」

「構いません。……絵をこの世からなくし、アイスローズお嬢様は、私とクレオの名誉を……いえ、心を守ってくださいました。もう十分です。私はオールデイカーに……どのような目に遭わされても覚悟の上です」

 パトラは息も絶え絶えに言った。


「パトラ!?」

「元々……オールデイカーと刺し違えるつもりで……この家に来ました。私一人では絵を見つけることもできなかった……その上お嬢様を……巻き込むなんて」

「させない!」


 パトラは膝で仁王立ちするアイスローズを見上げた。


「させないわよ。貴方が殺されるのも、殺すのも、私は反対よ。約束したじゃない、離れないって。私が貴方とクレオの『心』を守ったんだとしたら、貴方は私の『心』を守りなさいよ!!」


 令嬢中の令嬢であるアイスローズが声を荒げるのは、何年ぶりか。

 パトラが目を見開いたとき、柱時計が時をつげた。


 ――八つ。


 一瞬の沈黙の後、同時に室内が明るくなり、アイスローズの背後から声がした。


「君たちは何をしているんだ。私の家で」



✳︎✳︎✳︎



「ヘラスカス・オールデイカー……様」

 アイスローズはゆっくりと振り返る。時計に目をやり信じられないという表情のアイスローズに対して、彼は極めて紳士的だった。オールデイカーはかなり細身で背が高く、顔には皺が多いが清潔感があり、白髪混じりの髪は綺麗に撫でつけられていた。


 アイスローズが転生していたと気づいてから、犯人に直接対峙したのは初めてだった。


(何故、まだ20時だわ。なんで彼が帰宅してきた? エドガーに限って引き止めを失敗するはずない――)


 王城展覧会は20時までだ。王城からオールデイカー宅まで馬車で真っ直ぐ帰宅したとしても15分はかかる。


「あの柱時計が何か? あれは15分も遅れているんだ。何回ネジを巻き直しても、全く困ったものだね」


(じゃあ今は20時15分)


 エドガーはきちんと約束を守ってくれていた。一瞬、息を吐くが、危機的状況は変わらない。アイスローズはかいていた汗が、急激に冷えていくのを感じた。


 オールデイカーは見たことがないほど軽蔑した視線でパトラを見下ろした。

「どういうことか説明してもらおうか、パトラ。どうやら暖炉を見る限り『あれ』を燃やしたようだけど。もう一人は、アイスローズ・ヴァレンタイン嬢か。令嬢中の令嬢と名高い貴方だが、実態はかなりのジャジャ馬なのですね。後手に隠している短剣は仕舞った方が君のためですよ。私はこう見えて武術が出来るタイプだ。若い頃、実践もいくらか積んでいる」


 アイスローズは身体をピクリと震わせる。 

 ご存じアイスローズは騎士団訓練場で剣術の基礎は習い済みだ。元々アイスローズの身体能力はそれなりに高く、覚えも良い自負がある。それでも、身体が動かなかった。


(いざ相手を前にすると、力が入らない。練習とは全く違う。身体が上手く、動かない)


 不甲斐ないと唇を噛むアイスローズだが、彼の言う通り、真っ当に組み合ったとして勝ち目は無さそうだ。漫画のパトラはオールデイカーの帰宅に気づき、一旦隠れてから不意打ちをし、彼を背後から刺していた。


「さあ、どうしてくれようかな。いい眺めだから、苦しむパトラを、絵に収めるのはどうだい? あの時みたいに綺麗に描いてあげるよ」

 ゆっくりと首を傾げるオールデイカーにアイスローズはようやくの思いで口を開いた。

「パトラのトラバサミを外してください。お願いします」

「ああ、アイスローズ嬢は外そうと頑張っていたのか。健気ですね。だが、それはこの鍵がないと開かないよ」

 オールデイカーは胸の内ポケットから小さな鍵を出し、チラつかせた。


「でも、もう少しこのままで。床に縋り付くパトラを見ていると、気分がいいんだ」


 反射的にアイスローズが鍵に手をのばそうすると、オールデイカーはアイスローズの手を掴んだ。


「――ヴァレンタイン公爵令嬢。貴方はどの立場から私にものを言っているんだ? 貴方たちは私の家に不法侵入した上、器物破損した。優秀と名高い貴方がわからないはずがない。これは立派な犯罪だ」

「っ、」

「貴方は使用人であるパトラを止めるべきだった。ご令嬢として、この先かなり危うい立場になることをお忘れなく」


 アイスローズは辛うじて彼から目を逸らさない。

「……オールデイカー様、貴方はこれからどうするおつもりですか」


「これから私は、どころか遠くでパトラと二人だけで暮らすつもりだ。彼女の手足を使えないようにしてね。アイスローズ嬢は……そうですね、この家の地下室にでも閉じ込めておきましょうか、永遠に。そしたら、ご令嬢としてのスキャンダルも関係ありませんし、互いに幸せでしょう――」


「この変質者っ……!!」


 思わず、オールデイカーに飛びかかるが、彼に握られていた手をそのまま捻られる。アイスローズは代わりに脚をバタつかせて、蹴りを入れようとする。


「アイスローズお嬢様!」


 パトラの掠れた悲鳴が響くなか、オールデイカーは暴れるアイスローズを床に投げ飛ばした。ドタリと鈍い音が響く。


(――痛い)

 

 打ちどころが悪かったのか、意識が朦朧とする。口内を切ったのか、口の端から血が滲んだ。

 オールデイカーは乱れた服装を整えながら言う。


「失礼な。芸術家と言ってくれたまえ」


 まさに、圧倒的な恐怖だった。

 床に倒れたアイスローズを、そのままオールデイカーが踏みつけようとするその時……ノックがなった。

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