19.クレオとパトラ事件
パカラ、パカラ……。馬の蹄の音が響く。
カフェへの行きと同じようにヴァレンタイン家までアイスローズを送り届け、王城へ帰る馬車の中にはエドガーとジョシュが残っていた。
「アイスローズ嬢に会えて良かったですね」
ジョシュとしては、本当はアイスローズにカフェ一面にランプが点灯するところまで見せたかったが、生憎カフェは夕方から貸切に使われるようだった。
「カフェのマスターから聞きましたが、先程のピアノ演奏がかなり好評だったようで。あそこでは今日夕方から、小さな結婚パーティーが行われるそうです。是非次回は、演奏をお二人に頼みたいと帰りがけ言われました」
「結婚パーティーで?」
「弾かれた曲は『プリンセスは眠る〜亡霊の呪いと運命のキス』という舞台の劇中歌で、結婚式の定番ソングとして、今城下で流行っているそうですよ。ご存じなかったですか?」
エドガーが頷くとジョシュが説明する。
「えーと、だいたい、プリンセスが呪いをかけられ眠り続け、王子様のキスで呪いがとけ目覚める話です」
「だいたいタイトルでネタバレしている……」
エドガーはため息をついた。
「現役王子の立場から言わせてもらうと、寝ているプリンセスに勝手にキスしたら、一国の王子といえど不同意わいせつ罪で訴えられるぞ。どんな王子だ」
「まあ、そうですね。でも呪いを解く方法がそれしかないですから。例えば、アイスローズ嬢にこの呪いがかかったら、エドガー殿下はキスしますか?」
「!」
いきなりジョシュに聞かれ、エドガーはちょっと間を置いた。しかし、直ぐに答える。
「そりゃするだろうな。他に方法がないなら。そんな呪いがかかっていれば、ジョシュにだってジイにだってする」
「エドガー殿下……好きです! 一生ついていきます!」
「てか、そんな与太話より……」とエドガーは疲れたように首を回して、車窓に目をやる。
何故アイスローズはオールデイカーの名を出した? エドガーが知る限り、ヴァレンタイン家とオールデイカーに繋がりはないはずだ。オールデイカーに宮廷画家の経験はなく、公爵家が個別にお抱えするほどの売れっ子画家ではない。今までの彼女の動きに何か関係しているのか?
エドガーは王城に戻るまで、手を口に当て考え込んだまま、ジョシュから何を話しかけられても答えなかった。無意識に漏れた一言を除いて。
「ピアノを弾いているときの彼女、笑っていたな」
✳︎✳︎✳︎
19時過ぎ。ここは王都の裏にある地区。王城から少し離れている閑静なベッドタウンだが、馬車を使えば15分程度でアクセス出来る。家々はポツポツと建てられていて、隣家との距離はそれなりに開いている。
無人であるはずのオールデイカー宅窓の暗闇に、よく見ないと分からないほど小さくランタンが光っていた。
明かりの持ち主はパトラ・カヴァネスだ。パトラはオールデイカー宅に侵入していた。施錠には、鍵穴を溶かすために調合した薬品を使い腐食させた。化学が得意な彼女には容易なことだ。
「どこなの……」
しかし、二階にあるアトリエ中を捜索しても、パトラの探し物は一向に見つからなかった。今日オールデイカーは王城展覧会に参加していて、20時15分までは帰ってこないという情報を掴んでいる。闇に紛れて侵入しているとはいえ、急がなければならないのに。
締め切った部屋は蒸し暑く、暗く、少し気が立ってきたパトラが額の汗を拭った時――床が軋んだ音がした。
反射的に、音がした方角へランタンをかざす。パトラは顔に腕を当て隠しながら、小声で呟く。
「誰? オールデイカーの帰宅はまだのはず――!?」
……そこにはいるはずのない、彼女の主人アイスローズ・ヴァレンタインがいた。
「だめじゃない、パトラ。令嬢が一人フラフラ出歩いてはダメだと、お母様が言っていたでしょう。貴方もご令嬢であること、忘れたなんて言わせないわよ」
アイスローズは笑って見せた。
家具やら何やらにぶつからないよう部屋中央に入ると、持参したランタンに小さく火をつけた。手にはパトラと同じ皮手袋をしている。アイスローズは動きやすいパンツスタイルだ。
「な、何故お嬢様がここに。その格好は……」
アイスローズは背中に隠していた一冊の本をパトラに見せた。
それはパトラがヴァレンタイン家の図書室管理を任された立場から、勝手にアイスローズの部屋に置いた本。
――「悪用禁止の心理学〜貴方の心が丸わかり♡」だった。
「アイスローズお嬢様……」
はあ――とパトラは渋い顔をしたまま、その場にしゃがみ込む。
オールデイカー宅への侵入方法は漫画で表記されず、実際にパトラがどのようにしたのか分からなかった。しかし、確かにパトラは住居侵入まではやり遂げていたから、彼女に任せるのが良いと判断したのだ。アイスローズはヴァレンタイン家を出るパトラをつけて、ここまで来た。
(とはいえ、本を理由にパトラの計画がわかったなんて、いくらなんでも、さすがに無理があった?)
「パトラ、だいじょうぶ――」
心配になったアイスローズがパトラに手をかけると、彼女はガバッとアイスローズを抱きしめた。
「お嬢様、知らないところで私の考えを読み解くほど、成長されていたのですね。私、感動しました」
「そ、そう。それは良かったわ。それで探し物は見つかったかしら?」
パトラは首を振り、観念したように口を開いた。
「さすがに、アイスローズお嬢様を巻き込む気はなかったのですが。探しているのは、私がモデルになった絵です……肌の露出が多めの」
パトラがオールデイカーに脅された「ある事情」はこれだ。
パトラは幼い頃から勉強が好きだったが、カヴァネス男爵家の両親の考えは「女は顔と愛嬌、必要以上の学は邪魔になるだけ」だった。
10年ほど前、パトラは生物学の図鑑がどうしても欲しく、両親に内緒で「本の購入と引き換え」に当時隣人で画家のオールデイカーの「絵のモデル」になった。若いパトラはオールデイカーを純粋な芸術家と信じていたのだ。
「私は一生結婚とは縁がない身だと思っていましたから、芸術とはいえ、その絵が令嬢としての立場を揺るがすことは問題ではありませんでした。彼は強固な現物主義で、模写をしない主義であることも知っていましたから、拡散の恐れはありません」
パトラは手を動かしながらも、話す。
「いまや私は23歳ですし、令嬢の世界では行き遅れです。……でも、エドガー殿下のために一所懸命なアイスローズお嬢様を見て、少しだけ憧れていました。人を想うとはどんな気持ちかと」
ランタンに照らされたパトラの横顔はいつもより白く、あどけなく見えた。
「そんな時、クレオ・マーロウに出会いました。彼は大学図書館に勤めていて、誰よりも博学で気持ちが優しい人です。私には縁がないと思っていた、愛やら恋やらの世界に、彼は連れ出してくれました」
「パトラ……」
「彼やマーロウ家には迷惑をかけたくない。オールデイカーは私が彼と結婚しない限り、あの絵をクレオに見せ、世間に公表と言って聞かないのです。このようなこと、ヴァレンタイン家にも影響が及びます。エドガー殿下をお慕いしているアイスローズお嬢様なら、わかっていただけるでしょう。もうどうして良いか、だからっ――」
パトラは顔を両手で覆った。
アイスローズはパトラの涙を初めて見た。
「……っ、」
アイスローズは涙を拭うためにハンカチをポケットから出そうと身体を捻る。
意図せずランタンに身体があたり位置がずれ、照らされる場所が変わった。すると背後の絵画がいくつか目に入った。
「!?」
(……間違いない! 見つけたわ!)
「パトラ! あそこに掛けられている向日葵の絵を裏返してみましょう!」
「アイスローズお嬢様?」
いきなり声を張るアイスローズにパトラは顔を上げる。
「ねえ、パトラ。もし、絵を見つけることが出来たなら、私が王城学園に合格するまで離れないって約束してちょうだい」
パトラは暗闇のなか、アイスローズが不敵に微笑むのを見た。
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