18.リバーサイドカフェ③
このカフェにはピアノがある。生演奏がされている時間以外は、誰でも自由に弾くことができるそうだ。以前、腹痛を起こしたジョシュのトイレ待ちの時間に、エドガーが何気なく弾き、この女の子や常連客がいたく気に入ったそうな。以来、エドガーが訪れるたびにピアノをせがむようになったとのこと。
(そういえば、漫画でもたまに弾いていたわね。無敵の主人公の生演奏!)
「エドガー様の演奏、気になりますね」
スイーツでリラックスしたのか、素直な気持ちがアイスローズの口をつく。
「私、今流行っているあの曲がいいの!」
女の子がフンフンと鼻歌で歌ってくれたのは、確かに話題の曲だった。ピアノの心得があるアイスローズは、アンナマリアからよく最新曲の譜面をもらっている。この曲も習得済みだが、アップテンポでかなり難易度は高かった。
エドガーから反応がないためアイスローズが視線をやると、彼は何とも複雑そうな表情をしている。
「エドガー様?」
「私が代わりに言いますね。こちらの『じゃない方のお兄さん』的には、その程度の曲、お茶の子さいさいかと思います。しかし、あいにく、お兄さんは右肘を負傷中」
「ジョシュ!」
エドガーは何やら焦って遮った。
(肘? ……ひじ!! もしかして)
「――エドガー様、もしかしてヴィダル様救出時、窓ガラスを割った時に?」
慌てたアイスローズがエドガーの右袖を捲ると、肘には包帯が巻かれていた。エドガーはされるがまま、何とも気まずそうな顔をしている。
「なんと……申し訳ありません」
「なんでアイスローズが謝るんだ。別に君のせいじゃない」
「そういうわけでごめんね、お嬢さん」
ジョシュが屈みながら女の子に言うと、女の子はひどくがっかりした顔になる。よほど楽しみにしていたのだろう。エドガーも彼女に詫び、女の子は泣きそうな顔でエドガーの肘を労わるようさすっていた。
(えっと……)
責任を感じたアイスローズはあることを閃く。
「あ、あのエドガー様。よろしければ、右手パート、私弾きますが」
「アイスローズ?」
「私もこの曲を弾けることには弾けるのですが、なんせ新しい曲ですから暗譜までは完全にできていないのです。でも、エドガー様と連弾ならば、なんとか出来るかなと」
女の子はぱあっと顔を輝かせる。
「弾いてくれるの? 嬉しい!」
わあっと、何故か話を聞いていた周囲のお客たちからも拍手があがる。これは後には引けない状況だ。
エドガーは息を小さく吐いた。
「上手く連弾になるか保証はないぞ。私は譜面を見ていないんだ。聞いて覚えるから」
「耳コピ!? 逆にすごくないですか!?」
店員に誘導され、ピアノの椅子に並んで腰掛ける。アイスローズが右手、エドガーが左手を演奏するために、2人の距離はかなり近い。それでも、エドガーは身体がぶつからないよう、それとなく配慮してくれた。
タイミングを合わせて弾き始める。
(すごいわ……!)
はじめて連弾したとは思えないような、アイスローズは不思議な気持ちになった。
音が接近しているパートでは手がぶつかってしまう危険があるが、エドガーはさすがの指遣いでアイスローズが気持ちよく弾けるようにしてくれている。
アイスローズは謙遜していたが、アンナマリアの教育下で彼女のピアノの腕は確かだ。「その道だけでも成功できる才能」と言われてきた。それゆえ内心かなりの自信があったのだ。そんなアイスローズから見ても、エドガーの演奏は見事だった。
アイスローズは珍しいほどに楽しくなって、頬が緩む。エドガーを横目で見れば、その青緑色の瞳で視線を返され、もっと嬉しくなる。
――この時の演奏は、後にこのリバーサイド・カフェの伝説となる。
アイスローズは思った。
(エドガーは無敵の主人公だけど、ちゃんと人間なんだわ。身体に怪我をするし心が傷つきもする。当たり前のことなのに、なんで今まで考えもしなかったんだろう)




