10.瀕死の王太子事件
「アイスローズ嬢、ようやくわかりました」
何度目かになる騎士団での訓練の終わりに、オリバーが声をかけて来た。
「これは、郊外東区域にある礼拝堂です。近くに20ヘクタールほどのラベンダー畑がありますから確実かと。礼拝堂自体は今もう使われていないようです。……しかし、素晴らしい絵の才能ですね。どちらで習得を?」
言いながらオリバーはアイスローズに一枚の絵を返却する。それはアイスローズが描いた風景画だった。
王城から帰って来た日。
【瀕死の王太子事件】を思い出したアイスローズは考えた挙句、「ヴィダル・ハリスが捕らえられていた小さな礼拝堂の風景画」を描いた。その礼拝堂は白い漆喰塗りの壁にとんがり屋根が特徴的で、漫画のイラストが記憶にあったのだ。中に大きなステンドグラスがあることも覚えている。
騎士団からこの礼拝堂について情報を得たかったため、剣術を学ぶことを了承した。ヴァレンタイン家の人間たちにも見せて回ったがみんな心当たりなく、あちこちを巡回している騎士たちなら知っているかもと考えた。「以前見かけた建物が素敵だったけど場所が思い出せない」という設定にして。エドガーには近づきたくはなかったが、このツテが一番有力と思われたため、背に腹は代えられず。
「語るほどではないです、ただ個人的に学んでいただけですわ」
オリバーに御礼を言いながら、アイスローズは心の中でガッツポーズする。
(やった! 良かった! 絵の技術ごと転生していて本当に良かった……!)
さすがに、漫画の模写が趣味だったとは言えないけど。
ちなみに、「王太子少年の事件日和」について、エドガーに口頭で言えないのなら、文章にして書いて渡すことはできるのか、とも考えた。しかし、ネタバレをしてエドガーが漫画と異なる動きをしたらストーリーが変わり、もはやアイスローズには収拾できなくなるだろう。エドガーは主人公で彼を中心にストーリーは進む。それは避けなければならないと気づいた。
「あと、実はジョシュ様にお届けものがあって。このあと王城医師様との約束が差し迫っていて、ジョシュ様に会えないと思いますから。ご多忙のところ申し訳ありませんが、お渡し願えませんか?」
アイスローズはオリバーへ小さな紙袋を差し出した。
「構いませんよ。規則上、中身を聞いても良いですか?」
「城下で買ったお菓子……チョコクッキーバナナマフィンです」
(そう、これはスイーツ好きなジョシュの大好物!)
説明しよう! チョコクッキーバナナマフィンとは、紙カップに入った手のひらサイズのバナナマフィンで、表面に3〜4等分に割られた黒いチョコクッキーが飾られている。チョコクッキーは白くて甘いクリームがサンドされているものだ。
漫画でジョシュはしょっちゅうこのマフィンを食べていた。エドガーは「チョコクッキーとバナナマフィンをそれぞれ食べればいいのでは」と言うが、ジョシュは「一緒でないと魅力が半減、いやそれ以下です」と絶対に譲らなかった。
(先日、エドガーとジョシュに騎士団訓練場で会ったとき、ジョシュはやつれていたわ。そりゃ、裏であんな事件が動いているなら、全く心が休まらないわね)
アイスローズは眉根に力を入れた。少しでも彼の気が紛れてくれればそれで良い。アイスローズが事を起こす前に彼が倒れてしまったら何にもならない。
「そういえば、エレーナさんはまだ体調が回復していないと聞きます。心配ですわ」
「お気遣いありがとうございます。エレーナにアイスローズ様のお言葉を伝えますね、きっと励みになるでしょう」
ここでアイスローズはカマをかけた。
「よかったらオリバー様、エレーナさんのお見舞いをさせてはいただけませんか? ひと目お会いできれば、直ぐ帰りますから」
「……申し訳ありません、アイスローズ嬢がいらしたらエレーナは喜ぶに違いないのですが、何せ流行病の疑いがあり、私やジョシュさえもう一週間面会できていないのです」
オリバーは顔色ひとつ変えなかった。しかし、彼はアイスローズの問いかけに対して声を大きくして答えた。まるで騎士団中に聞かせるように、そう思わせるように。
ヴィダル・ハリスが監禁されている礼拝堂の場所はつかんだ。エレーナ・シライシは体調不良のため、長らく姿を見せていない。
「アイスローズ嬢、私は明日、諸用があって騎士団訓練場に来られません。なので申し訳ありませんが、稽古はお休みとさせてください」
「もちろん、承知いたしましたわ」
アイスローズは優雅に微笑んだ。
機は熟した、決行は明日。
4/7 誤字報告ありがとうございます。助かります。




