9.ジョシュ・クレイツの事情
夜が深まった王城の暗い廊下に足音が響く。このフロアにはエドガーの自室があり、極限られた者しか立ち入ることができない。
ある一室のドアが開き、光が漏れた。入室するジイのモノクルが光る。
「エドガー殿下、お待たせいたしました」
室内にはエドガーと、黒髪に騎士団服を纏った男性……エレーナの父で騎士団員であるオリバー・シライシがランプの下で机を囲み、地図を見ていた。ジイは続ける。
「解析の結果、エドガー殿下がお持ちになられた粉末は、ブラッケンストール子爵領産の毒薬であることが分かりました。死後に検出されにくいため闇ルートで人気が高く、まさに我々がブラッケンストール子爵を内偵しているところでした。今お手元にある地図の地域です。しかし、このような毒薬をエドガー殿下はどちらから?」
「ジョシュ・クレイツが持っていた」
エドガーは地図から顔を上げずに答えた。
「なんと。何故、ジョシュが、何を目的として」
「そのことで今エドガー殿下と話をしていたのです」
オリバーが口をひらく。
「ジョシュ・クレイツは、ブラッケンストール子爵領の出身です。また最近、騎士団寮から行方不明になった者にも一人、ブラッケンストール子爵領の出身者がいます」
「ヴィダル・ハリスですか。エドガー殿下から伺っております。まさか、二人の関係が関わって?」
「ヴィダル・ハリスの失踪は、完璧すぎて逆に不自然なのです。痕跡がなさすぎる。仮にヴィダルの企てとして、奴一人ではとても出来ない、そこまで機転が利く人物ではないからです。素直で優しさに溢れた若者でした。まして周囲に迷惑をかけるかもしれない行動など、取らないでしょう」
エドガーは冷静な口調で言った。
「私はヴィダル・ハリスが誘拐され、ジョシュがそのことで脅されていると考える」
「な」
「ブラッケンストール子爵が、毒薬の生産で私服を肥やしているのは知っていた。ブラッケンストール子爵の抜かりのなさから言えば、我々が内々に捜査していることはわかっているはずだ。その上で、そんな危険な橋を渡ってまでジョシュにやらせたいことは」
ジイは息を吞む。
「まさか……、エドガー殿下の暗殺未遂ですか」
「確かに、この毒薬には密かに解毒剤があることもつかんでいます。それをカードにして、陛下に圧力をかける算段とは……」
エドガーは目を閉じ、身体を後ろに傾けながら、それはさも大したことではないよう気怠に言った。
「まあ、そんなとこだろうね。引き換えに闇での薬物取り引きを黙認させるつもりなんだろう」
「すぐにでもブラッケンストール子爵を拘束したいところです。とはいえ、物証がなければ、公安貴族や騎士団とはいえ子爵家に乗り込むことが出来ません。この毒薬だけでは弱いかと。このことは陛下はご存じで? ジョシュを吐かせますか?」
ここでオリバーが両手を握りしめながら、口を挟んだ。
「恐れながらエドガー殿下、ジイ殿。私にはジョシュがエドガー殿下にそのようなことをするなど信じられません。例え、ヴィダルが」
エドガーは青緑色の瞳を光らせた。
「最愛の弟であっても?」
「はい。ジョシュの性格からすれば、ヴィダルを切り捨ててでも、エドガー殿下をお守りすると」
「大丈夫だよ、オリバー。私もそう思っている。父上への報告もまだしていない。だからこそ、二人に協力してほしい」
オリバーとジイは頷いた。
「しかし、何故あのご令嬢は……」
エドガーは別のところへ思考を巡らせる。
ヴィダルとジョシュが兄弟であることは、極限られたものしか知らないはず。エドガーの疑問は、ヴィダルの話題が出たときに彼女がジョシュを意味あり気に見つめていたことだ。
投資に失敗したクレイツ家が、援助を条件に幼い息子をハリス家に養子に出した。ハリス家には子供が生まれなかったからだ。その子供がヴィダル・ハリスである。幸い短い期間でクレイツ家は復活し、いまや両家はより良い関係だ。しかし、名門クレイツ家の名誉のため、そのことは公式には伏されている。
「エドガー殿下?」
オリバーの声に、エドガーは口に添えていた手を外し、なんでもないと頭を振った。後は立てた計画通りに事を運ぶだけなのだ。
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その日の昼、エドガーはジョシュと騎士団訓練場に向かった。アイスローズがエレーナから剣術を学ぶ予定の日だったからだ。
「エレーナちゃん、体調不良でお休みとは珍しいですね。アイスローズ嬢に会うことを楽しみにしていましたから、さぞかし残念でしょう」
「そうだな」
ジョシュの言葉にエドガーは相槌する。ちなみに、あの薬包は中身を少しだけ抜いた後、懐中時計の中にスリの逆テクニック(?)で入れ戻している。
アイスローズには「エレーナが不在のため訓練日程を改めたい」と急ぎの手紙で伝えた。しかし、思いがけず「予定は変えたくない、代わりのものに指導してほしいから騎士団訓練場へ出向きたい」との返事が来たのだ。
「これはまた意外だな」
エドガーは中庭を見ながら、口元に弧を描いた。そこでは訓練着に着替えたアイスローズが、オリバー率いる騎士団演習の片隅で素振りをしていた。彼女の動きはまだおぼつかないが、真剣さが感じられ、意外にも剣術のセンスは悪くない。
「先日エドガー殿下から訓練場通いの提案をされた時、アイスローズ嬢はあまり乗り気でない印象だったんですけどね」
ジョシュは素直に関心する。公爵令嬢に訓練場通いを勧めるエドガーにも驚いていたが、今はアイスローズ嬢との定期的な繋がりを作りたかったのだろうと理解していた。
オリバーがこちらに気づいたところで、エドガーが手を挙げる。
「ありがとう、この後は私が」
オリバーを見送ったアイスローズは、エドガーへ挨拶のお辞儀をしたが、間もなくジョシュにじっと視線を向けた。
「えっと、アイスローズ嬢?」
ジョシュが問うと、アイスローズはサッと視線を逸らした。
「いえ、何でもありませんわ」
「?」
ジョシュは彼女の意図が解りかね、首を傾げる。結果、視線を戻してきたアイスローズと数秒間見つめ合う。
――カチャ。
音に反応してアイスローズとジョシュが振り返ると、エドガーが身につけていた剣を抜きながら、おもむろにアイスローズに話しかけた。
「アイスローズ嬢、手本を見せよう」
「はい?」
「剣術とは技の熟練だけではない。集中力の維持もかなりを占める。まずは、相手の剣の軌道をしっかり見ることからだ」
エドガーはジョシュの眼前に、真っ直ぐに剣先を向けた。その青緑色の眼差しがあまりに真剣で、ジョシュはドキリとする。
――エドガーが自分に剣を向ける未来が見えたようで。
しかし、今はそんなはずない。緊張感を保ちながらも、ジョシュはエドガーの言う通り、彼の剣先を目と身体で追う。
剣の軌道は、みーぎ、ひだり、丸描いて――ちょん。
「……エドガー殿下。私、猫じゃないんですから」
「すまない、手が勝手に」
一転、気が抜けて恨めしげな視線を送るジョシュに、反省も後悔もなくカラッと笑うエドガー。
「アイスローズ嬢への独占欲ですか、めんどくさいですね」
ジョシュは自己解決する。
そんな二人のやり取りを、アイスローズはただ静かに見守っていた。
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