表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/32

それぞれの役目

「あっ……すみません! 気づかなくて」

「構いませんよ。少しいいですか」

「はい、なんでしょう?」


 居住まいをただすと、柳さんは音もなく目の前にやってきた。彼は相変わらず微笑を刻んだまま、私の顔をじっと見つめている。


「あの……?」


 美形に見つめられるのは慣れていないので、うまく視線を合わせることができない。沈黙に耐えられず何か言おうと思考をめぐらせていると、ふいに頬に何かが触れた。


「――!」


 顔を上げた私の目に、深緋の瞳が映った。

 頬に触れた柳さんのてのひらが、ゆっくりと離される。


「付いてきてください」


 ふ、と笑んだ彼は踵を返し、カウンターの奥へ向かっていく。私は慌てて立ち上がると、彼のあとを追った。


(今のは何……?)


 頬に触れたひんやりとした感触に、速くなる鼓動が止まらなかった。

 

 ■


 柳さんに付いていった先は、茶器や茶葉が保管してある部屋だった。


「わあ……」


 10畳ほどの部屋は、壁一面収納棚で埋まっていた。格子状に分かれた棚のひとつひとつには木箱が収められていて、ラベルが貼られている。


「あ、満月ちゃん来たんだね」


 燕さんは作業をしていたようで、大きなすり釜のなかで手を動かし続けている。


「凄いですね……これ、ぜんぶ香月茶の材料ですか?」

「そう。半分くらいは現世のもの。もう半分はここで採れるものだね」


 柳さんは食器が収められている少し大きめの棚を示し。


「ここで燕は茶葉を、私は茶器を選んでいます。貴女はまずお客様のご案内と、私たちが選んだものをここから取り出し、配膳することから始めてください」

「わかりました」

「満月ちゃんもそうだったからわかると思うけど、ここに来るお客は戸惑ったり混乱したりしてることが多い。そういうの、気にかけてあげて」


 燕さんのアドバイスに頷いてみせる。ちゃんとやれるか不安もあるけれど、ホールスタッフの仕事なら現世でもやっていたし、なんとかなるはず……と思ったところで不思議な気持ちになった。

 自分のことは何ひとつ思い出せないのに、燕さんや桐子さんのことはちゃんと覚えていた。今だってアン・レジーナガーデンでいつもやっている手順を、何の問題もなく思い出せているのだから。


「ああ、そうだ。香月の裏に桐子ちゃんが育てている薬草園があるんだよね。そこからこれと同じものを採ってきてくれる?」


 燕さんから差し出された植物は見たことがない形をしていた。真円に広がる花びらと、三日月のような形の葉。


「不思議な形だろう? 月影草(つきかげそう)って言ってね、ハザマにしかない植物なんだ」

「この香り……もしかして、これが香月茶になるんですか?」

「そうそう。他にも色々使うんだけど、これが無いと香月茶は作れない」


 彼いわく、香月茶はハザマにしかない植物をベースに、現世の植物を組み合わせて作るのだそうだ。その方が現世の人間には飲みやすく、記憶を引き出しやすいからだという。


「俺も一緒に行けたらいいんだけど、ちょっと手が離せなくて。柳は植物のことはからきしだからさ……この間も薔薇くらいわかるだろうと思って頼んだら、採って来たのがカニなんだよ信じられる?」

「それは……割と重症ですね」


 既に植物ですらない。というかこの島カニがいるんだ。

 だよねえと遠い目をする燕さんの隣で、柳さんは「役割分担ですよ」と微笑んでいる。

 どうやらお茶やハーブの管理は柳さんにまったく任せられないらしく、桐子さんがいない頃は大変だったそうだ。


「そんな状態でよくアン・レジーナガーデンとの掛け持ちをしようと思えましたね……」

「もともと現世と繋がる扉を、管理しなくちゃならなかったしね。それならいっそ、カフェでもやってみようかなって」


 そういえば、『朔』(現世へ)の扉を開くのは燕さんの役目だと言っていた。じゃあ『円』(幽世へ)の扉を開く柳さんも、向こうで何かしているんだろうか……私はそんなことを考えながら、裏庭へ向かった。

 

 香月の外に出ると、来た時と同じように薄暗い中を青く光る蝶たちが行き交っていた。燕さんいわくこの蝶は『空鏡蝶』といって、月影草の花が好きで集まってくるのだという。

 私は裏庭へ回るついでに、おそるおそる下を覗いてみた。


「やっぱり高いなあ……」


 香月は周辺の敷地を含めた小さな島になっていて、その島が文字通り中に浮いている。島の端にある螺旋階段が下の陸地と行き来する手段で、私も最初ここを登って来た。

 目が回りそうに長い螺旋階段を覗き込んでいると、一瞬人影のようなものが見えた気がした。


「もしかして……お客さん?」


 しばらく観察していると、やはりその人影はこちらへ登ってくる。私は急いで香月の扉を開けると、声を張り上げた。


「誰かがここへ登ってきてます。お客さんかもしれません」

 奥から姿を見せた柳さんは、そうですかと頷いた。

「では入ってきたら、席へ案内してください」

「あ、私迎えにいってきましょうか。ここの入り口ちょっと分かりづらいですし」

「その必要はありません」


 なぜという質問を受け止めるように、柳さんは瞳を細める。


「扉を開けて足を踏み入れるのも、必要な『段階』ですから」


 彼の説明はいつも曖昧だけど、おそらく自分の意思で入ってくることも、迷いから抜け出すために必要ということなのだろう。

 私は彼に言われた通り、扉の前で待ち続けた。あの人影はここにたどり着けるだろうか、一体どんな人が迷い込んだんだろうか。

 私はちゃんと出迎えられるだろうか……

 緊張と好奇心で胸をどきどきさせていると、後からやってきていた燕さんが私の頭をぽんとやった。


「大丈夫だよ。満月ちゃんの仕事ぶりは、俺がちゃんと知ってる」


 彼の屈託ない笑みは、不思議と気持ちを落ち着かせてくれる。ゆっくりと深呼吸して、よしと気合をいれたとき、店の前を誰かが通った気配がした。

 小さな足音が聞こえ、立ち止まる。

 そしてりん、と音を立てて扉がゆっくりと扉が開かれた――

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ