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ハザマの人々

 空中茶廊香月。

 勢いでここに勤めることになったわけだけど、いまだに私は現実味がなかった。

 ここがハザマの世界で、自分は現世で生死を彷徨っている魂……と言われても正直実感が湧いてこない。

 でも実際に私は記憶を失っているし、柳さんと燕さんは死神だし、ここはアン・レジーナガーデンじゃない。

 だから私はたくさんの疑問やモヤモヤを無理やり押しのけ、ここでやっていくしかないのだ。


「ちょっといい?」


 かけられた声に振り向くと、桐子さんの能面のような顔があった。


「これ。着てみてくれる?」


 差し出されたのは、浅葱色をした柔らかそうな衣服。デザインは桐子さんが着ているものと似ていて、袖や裾は長いけれど軽いので動きやすい。袖を通すとなんだか身も心も落ち着くような気がした。


「素敵ですね……これはここの制服ですか?」

「それもあるんだけど、この服は魂を保護する役目もあるみたい。私みたいに現世から来ている人間は、ふとしたはずみで魂と肉体が分離してしまうことがあるから」


 そう説明してから、桐子さんは視線を外に向けた。


「柳さんにここの案内頼まれたから。ついてきてくれる?」

「あ、はい」


 無言で前を行く彼女の後ろを、ついて歩く。沈黙に気まずさを感じていると、前方から声がした。


「私は有沢桐子(ありさわとうこ)。よろしく」

「あ……満月です。こちらこそ、よろしくお願いします」


 背中に向けそう伝えると、微かにうなずくのが見えた。

 桐子さんは私を案内しながら、香月のこと、ハザマの世界のことをかいつまんで説明してくれた。そっけない態度は相変わらずだけど、私の質問にも面倒がらず答えてくれたし、親切な人ではあるみたいだ。

 ちなみに香月のオーナーは柳さんだけど、実質は燕さんとの共同経営らしい。


「香月茶の茶葉を選ぶのが燕さんで、淹れるのが柳さん。朔の扉を開くのが燕さんで、円の扉を開くのが柳さん。二人が揃ってはじめて、この店は成り立つの」

「そうなんですね……でも燕さんは現世での仕事もあるのに、大変じゃないんですか?」

「ここと現世じゃ時の流れが違うから。現世での五分がここでは何時間になったりすることもあるし、その逆もある」


 そういえば柳さんもここは時の流れが曖昧だと言っていた。詳しいことはわからないけれど、私の知っている時間の概念は、ここでは通用しないと思っておいたほうがよさそうだ。

 

 ひと通り店内を案内されて分かったのは、店として使用しているのは1階のみで、2階は双子の住居になっているということだ。

 私たちが出入りするのも1階だけで、2階は桐子さんもなにがあるのか知らないらしい。

 驚いたのが、1階の奥にはスタッフ用の個室があること。中をのぞくとソファやテーブルなど、一通りの家具まで揃っている。


「凄い……ワンルームマンションみたい」


 住み込みでもない限り、従業員用の個室なんてそうそうない。


「香月は常に開いているし、ハザマの住人は眠ることもないんだけど。”一人になりたいときもあるだろう?”って燕さんが準備してくれたみたい」

 なるほど、彼らしい気遣いだと思った。

「案内ありがとうございました、すごく助かりました」

「分からないことがあったら、その都度聞いてくれればいいから」


 表情筋をほとんど動かさずに喋る彼女に、私は問いかけてみる。


「あの、桐子さんは……」

「タメ口でいい。そんな年変わらないだろうし」

「……わかった。じゃあ桐子さんは、どうしてここで働いてるの?」


 その問いに、彼女はああと呟いてから。


「私も客としてここに来たことがあるの。そのとき、オーナーにスカウトされた」

「えっ……じゃああなたも死にかけたってこと?」

「そう」


 あっさりと認める口調に変化はなかったけど、死にかけるってそうそう誰にでも起こることじゃない。しかも「迷って」この世界に来たわけだから、深い事情でもあったんだろうか……。

 何も言えずにいる私に気づいた彼女は、なんでもないことのように口を開いた。


「元々庭師をしてたんだけど、木の剪定してたときに足を滑らせて落ちたの。大した怪我じゃなかったんだけど、頭を打ったせいでしばらく意識がなかったって。ハザマに迷い込んだ理由は、落ちたときに別に死んでもいいかなって思ったから」

「どうして……」

「特に理由はない。死にたいと思ってたわけじゃないし」


 桐子さんの言う意味がわからなくて、再び黙り込んでしまう。それを見た彼女は、うーんと首を捻ったあと。


「私は積極的に生きようとか、死のうとか、思ったことないから。どっちでもいいの。理解できないかもしれないけど」

「……なんかごめん」


 こちらを見やる彼女に、私は気まずさを隠せない。


「話しづらいこと聞いちゃったなって」

「別に話しづらくなんてないけど。なんでそう思うの?」

 桐子さんは不思議そうに私を見つめている。

「だって凄くプライベートなことだし、死生観だっけ? そういうのって初対面の相手と気軽に話すことじゃないだろうし……」

「私は別に気にしないから、気をつかわなくていい」


 あっさりそう言われ、私はまた戸惑ってしまう。死神ならまだしも、彼女は私と同じ人間で現世で生きているはずだ。

 いったいどんな人生を歩んできたら、こんなふうになるんだろう。


「えっと……それで桐子さんは、どうして柳さんにスカウトされたの?」

「これ」


 彼女が指さした先には、さっき玄関の入り口で抱えていた草花が束ねられている。そういえば桐子さんが通り過ぎたとき、ハーブのような香りがしたことを思い出した。


「もしかしてこれ、ハーブ?」

「そう。柳さんが飲むお茶に使うやつ」


 カモミール、ミント、セージ、レモンバーム……桐子さんは一つ一つを丁寧により分けながら、私に説明してくれる。


「柳さんは無類のお茶好きだからね。私は栽培技術を買われたってところ。あとは香月の庭園管理も私がやってる」


 なるほど、あのひっそりとした美しさは確かに桐子さんの雰囲気に合っている気がする。


「で、ここで働くなら現世に戻るしかなかったから、『朔の扉』を選んだ。あの世に行っちゃうとここには来られないから」


 確かに生きていれば三途の川に何度も行けるだろうけど、渡り切ってしまったらもう戻ってはこられない。

 とはいえ、『現世で生きる』方を選んだ理由がここで働くためというのも、たぶんこの人くらいだろう。


「……でも、どうしてだろう」

「何が?」


 こちらを見やる桐子さんに、さっきから疑問に思っていたことを口にする。


「お茶に詳しい桐子さんがいるのに、なんでわざわざ香月茶を教えるために私を雇ったのかなって」

「柳さんも言ってたよね。現世での知識は役に立たないって」

「そうだけど、別に私じゃなくてもいい気がするし……」


 彼女はほんの少し考えたあと。


「適性ってやつなんじゃない? あれは誰にでも扱えるものじゃないだろうし」

「そうなの?」

「さあ」

「さあって……そんな適当な」

「柳さんの考えることなんて私にはわからないし。本人に聞けばいいんじゃない?」


 仰るとおりだ。

 なんとなくバツが悪くなった私は、話題を変えることにする。


「そういえば桐子さんは、どうやってこっちの世界に来てるの?」

「アン・レジーナガーデンの奥にハザマへ通じる扉があるの。私も燕さんもそこを通って行き来してる」

「そんな扉があったなんて知らなかった……」

「普段は隠してるから。うっかり誰かが入り込んじゃまずいし」


 そうか、それで初めて会った時『もしかしてあの扉から来た?』って聞いたんだ。おそらく香月とアン・レジーナガーデンはその扉を境に、裏と表のように存在しているのだろう。

 桐子さんは懐から何かを取り出して、呟いた。


「……あ、そろそろ私上がりだから。あなたも適当なところで切り上げていいよ」

「もうそんな時間なんだ。ここ時計がないからわからなくて」

「そういう世界だしね。スマホや電波時計も使い物にならないから、もし現世に戻っても持ってこない方がいい」


 ちなみに香月には営業時間というものがない。ハザマの世界には朝夜の区別もないから、本当に時間の感覚がわからなくなる。

 でもそうなると、新たな疑問が浮かんだ。


「桐子さん、さっきここは現世と時間の流れが違うって言ってたよね。それなのに時間を確認できるものなの?」

「ああ、これ」


 桐子さんが先ほど取り出したものを見せてくれる。それは真鍮色をした懐中時計に見えるけれど、なぜか文字盤が真っ白だ。


「この時計針が無い……」

「あ、やっぱりそうなんだ。私にだけ時間が見えるって聞いてる」

「えっじゃあ桐子さんには針が見えてるんですか?」

「そう」


 彼女によると香月に勤めることになったとき、柳さんにもらったのだそうだ。仕組みはよくわからないけど、()()()()()だけが表示されるようになっているらしい。


「じゃあ、また」

 

 桐子さんがいなくなると、一気に心細さが増してきた。彼女の価値観には戸惑うこともあるけど、現世の人がいるというのは、私にとって安心感をもたらしていたらしい。

 テーブルの上に並べられたハーブたちを、ぼんやりと眺める。

 ここに置いてから結構な時間が経っているはずなのに、なぜかどれもみずみずしく、まるで今摘んできたかのようだ。

 これでフレッシュハーブティーを淹れたら美味しそう……なんて考えていると、なぜか胸の奥がきゅっとなる。


(なんだろう……この感覚)


 何かが思い出せそうで、思い出せない。でも直感的に、この感覚は『迷い』の記憶に繋がっているような気がする。

 しばらく自分の中を探ってみようとしたけれど、うまくいかなかった。手が届きそうになるたびに、なぜか思考がシャットアウトしてしまうのだ。

 結局記憶の欠片は拾えないまま、諦めた私は大きく伸びをする。視線を上げると、いつの間にか姿を現していた柳さんがこちらを見ていた。

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