一番怖いこと
「黙れって言ってんだろクソが!!!!!!」
巨大な鎌が、叫ぶような音を立てて振り下ろされた。もうだめかと思った刹那、何かが私の前に飛び出し刃をはじき返す。
「なっ……」
「アオ!」
袖の中に隠れていたアオが、その小さな体から障壁を生み出していた。どうやらこの壁が、私への攻撃を防いでくれたらしい。
「アオ大丈夫? 怪我してない?」
慌てて抱きあげると、眠そうな目でぷいぷいと鳴く。心なしか得意げな様子に、ほっと胸をなでおろす。
「ちっ柳の神使か……」
状況を察したらしい子規さんは、急につまらなさそうな顔になった。
「あーあやられた。時間切れ」
直後、頭上の一部に亀裂が入り、轟音と共に大きな穴が空いた。顔をのぞかせた燕さんが、ほっとしたように息を吐く。
「よかった……満月ちゃん無事だ」
「燕さん!」
「アオのおかげで見失わずに済んだよ。結界壊すのに時間かかってごめん」
燕さんの横から音もなく飛び降りた柳さんは、無言で子規さんを蹴り飛ばした。はずみで腰が抜けた私を抱き上げ、結界の外に脱出する。
「怪我はありませんか」
「はい、大丈夫です」
微笑が消えた彼の表情は酷く静かで、背筋に冷たいものが滑り落ちた。
こんなにも温度を感じない目を見るのは初めてで、私の知っている柳さんとはまるで別人としか思えなくて。
「子規。自分が何をやったかわかっているのですよね」
「獲物の横取りはご法度! それくらい知ってるさ~ねえ燕ちゃん!」
咳き込んでいた子規さんはけたけたと笑ってから、白い頬を興奮した様子で震わせる。
「あーその目、ぞくぞくするよ。マジ切れした柳を見られただけでも、ここまで来た甲斐があったよねえ」
柳さんは表情ひとつ変えず、黒手袋をはめた手を軽く上げた。彼の背後に現れたデス・サイズを見て、燕さんの表情が険しくなる。
「まずいな。死神同士の殺し合いは禁忌中の禁忌。このままじゃ兄さんが……」
「そんな……」
私は咄嗟に彼の前へ飛び出した。
「柳さんやめてください!」
「満月。ここから離れなさい」
「私はなんともありませんから。これ以上はもう!」
「あれを生かしておけば、いつまたあなたが襲われるかわかりません」
「よくわかってんじゃん~さすがは柳! 誰よりボクのこと理解してるんだもんねえ!」
恍惚の表情を浮かべた子規さんは、嬉々として大鎌を手にした。
無感動にそれを眺める柳さんの目は、私をまったく見ていない。どうすればいいか途方に暮れそうになったとき、隣で声があがった。
「わかった。子規は俺が殺るよ」
「はあ?」
「燕さん……何を言うんですか」
子規さんと私が唖然となる一方で、柳さんの表情は相変わらず変化が無い。
「燕、これは私の問題です。あなたには関係ありません」
「ふざけるなよ。兄さんの自己満足に満月ちゃんを巻き込むなっての」
聞いたことのない怒声に、柳さんはようやく私たちを見た。人が変わったかのように怒りを露わにした燕さんは、据わった目で畳みかける。
「柳まで罪人になったら、誰か満月ちゃんの傍にいるんだよ? 今度こそ彼女を救いたいと思ってるんなら、なりふり構わず俺を使え。その覚悟もないんなら、簡単に彼女を手元に置くな」
柳さんの表情が、わずかに軋んだ。それを見た燕さんが薄っすらと笑う。
「別に問題ないだろ? 俺だって子規にはキレてんだからさ」
「でも、そんなことしたら燕さんが」
「俺はいいんだよ。どのみち罪人なんだから」
深山色の目は昏い光に満ちていた。けれどそれは邪悪なものというより、今まで彼から感じなかった死神としての本能に近いものに、私には思えた。
燕さんの一歩も譲る気はない気配を感じ取ったのだろう、柳さんは沈黙してから小さくため息をついた。
「……わかりました。子規のことは燕に任せます」
「はーーっ!? 冗談じゃない。ボクの相手は柳だけだろ!!」
苛立った子規さんが突進してこようとするのを、燕さんが進路を塞いで妨害する。
「残念、俺で我慢してよ」
「邪魔すんなこの罪人が!!!」
振り抜かれた鎌を、燕さんが一瞬で展開した障壁が防いだ。アオが作り出したのより、さらに大きく無数の文字が広がっている。
「なっ……」
「鎌を封じられても、これくらいはできるんだよ。一応柳の片割れなんでね」
「くそ……っ糞糞糞糞!」
子規さんが凄まじい速度で振り下ろす鎌を、燕さんの障壁がはじき返す。鈍い衝撃音が鳴るたびに、展開された文字がばきんと音を立てて砕け散った。
二人の攻防が激しくなるなか、柳さんは私の腕を引く。
「行きましょう」
「でも……」
「大丈夫です。燕は強いですから」
それならなおさら不安が募る。私は燕さんに向け必死に呼びかけた。
「約束してください! 子規さんのことは殺さないって」
ちらりとこちらを見た彼は、何も言わず微笑んだ。それはもう、凄絶に綺麗な顔で。
燕さんに手を伸ばすより早く、柳さんは私を抱えアオに命じた。
「起きなさい、藍貘」
刹那、私の肩から飛び降りたアオがむくむくと巨大化し、姿を変えていく。
「嘘……」
鋭い目つきと、象のような鼻、虎のような精悍な体躯。青き神獣になったアオの背中に、私を抱えた柳さんは飛び乗る。
背後で子規さんの怒声が上がった。
「大体お前がクソつまんねー事件起こすからこうなったんだろうが!」
「あーはいはい。悪かった悪かった」
ひと際大きく振った鎌が、障壁の一部を完全に砕いた。けれどその隙をついた燕さんがひらりと身を翻し、背後から子規さんを蹴り飛ばす。バランスを崩したところを抑え込み、動きを完全に封じた。
「かは……っ」
「俺を煽るなら、もうちょっと頭使いなよ」
子規さんを見降ろす燕さんの目は、なんの迷いもない。
「だめ! 燕さん!」
「悪いけど、柳を邪魔するなら躊躇せずあんたを殺るよ」
アオから降りようとする私を、柳さんが阻止する。この場から離れるよう指示されたアオが大きくいなないたとき、頭上から白く輝く鱗粉が降ってきた。
「そこまでだ」
どこからか聞こえた声に、二人の動きが止まる。燕さんは子規さんを押さえつけたまま、不満そうに呟いた。
「……邪魔しないでよ、牡丹さん」
巨大な白蝶が上空に現れ、牡丹さんがやれやれとため息を吐いた。
「まったく……念のためキミたちの動向を探って正解だったよ。燕、これ以上はやめておけ」
燕さんはしばらく子規さんを睨みつけていたけれど、やがて諦めた様子で離れる。入れ代わりで近寄って来た牡丹さんが、冷ややかに言いやった。
「随分おいたをしたようだなあ? 子規よ」
「……五月蠅いな。アンタの説教を聞くつもりはないよ」
それを聞いた牡丹さんが鼻で嗤う。
「お前を諭す手間なんてかけないよ。今すぐ出ていくんだね」
次の瞬間、瑠璃色の蝶の群れが子規さんを瞬く間に覆いつくす。蝶がいなくなったとき、子規さんの姿も消えてなくなっていた。
「悪いが、あれの処遇は私に任せてもらうよ」
私はアオから飛び降りると、彼女に駆け寄った。
「牡丹さん、燕さんは……罪に問われますか」
「はて? なんのことだか。私は何も見ていないからねえ」
飄々と返した牡丹さんは、ほんの少し優しげな口調に変わる。
「心配しなくても、キミたちの悪いようにはしないさ」
「……ありがとうございます!」
何度も何度も頭を下げる私の肩をぽんとやってから、彼女はひらりと白蝶に飛び乗った。ああそうだ、と思い出したように。
「キミはお菓子を作るが得意なんだってね。今度香月でご馳走してもらうよ」
「はい、ぜひ!」
にやりと笑んだ牡丹さんを乗せた蝶が、大きく羽ばたいた。
去っていく姿が小さくなるまで見送っていると、背後で息をつく音がする。振り返ると、いつもの雰囲気に戻った燕さんと柳が、ひと仕事終えたといった調子で微笑んだ。
「じゃあ、俺たちも行こうか」
「ええ。そうですね」
何事もなかったかのような双子の様子に、力が抜けていくのを感じる。そんな私に気づいた彼らは、きょとんと小首を傾げた。
「あれ? 満月ちゃんどうしたの。なんか怖い顔してるけど」
「……私いま、とても怒っています」
顔を見合わせる二人の前で、私は溜まりに溜まった恨み言をぶつける。
「二人とも危ないし無茶するし、ちっとも私の言うことなんて聞いてないし……」
「あー……えーっとそれは……」
「元はと言えば私が一人で飛び出したからですし、助けてくれたことには感謝しかありません。でも……っ!」
柳さんと燕さんを睨む私の目から、涙がぼろぼろと零れ落ちた。
「私本当に怖かったんですよ。自分が死ぬよりずっと、二人を失うことが」
また自分のせいで大切な人を失くすんじゃないかと、怖くて怖くて、たまらなかった。
一度決壊した涙は止まらず、私は大きく肩を震わせながら子供のように泣き続けた。
いっこうに止まない私の前で、彼らはばつが悪そうに黙り込んでいた。やがて燕さんが困り果てたように、私の頭を撫でる。
「ごめんね、満月ちゃん。……ほら兄さんも」
「……すみません」
柳さんはぎこちなくそう言うと、躊躇いがちに手を差し出した。
「二度と、不安にはさせませんから。……許してくれますか?」
「……………………約束ですよ」
ぐすぐすとしながらも彼の手を取った私を見て、二人はほっとした表情を浮かべた。その時、ぶるんと大きな鼻息が聞こえたので振り向くと、アオが鋭い目でじーーーっと私を見ている。
「あっごめん、アオのこと忘れてなんかないよ。さっきは本当にありがとう、アオは命の恩人だよ!」
慌てて駆け寄って大きな頭をなでなですると、アオは満足そうにぶおんとひと鳴きした。見た目はこんなにも変わったけど、中身はアオのままみたいでちょっとほっとする。
「では行きましょうか」
「桐子ちゃんが、彼と一緒に待ってくれてる」
二人の言葉に、私は顔を上げる。そうだ、私の迷いはまだ晴れてはいない。
「……あの、柳さん」
こちらを向く深緋の瞳へ、おそるおそる問いかける。
「兄のことですよね……柳さんが探していた魂って」
魂の回収者だった頃の彼が、唯一、狩り損ねた魂。
私を見つめていた彼は、ゆっくりと頷いた。
「ええ。その通りです」
「……狩るんですか、兄の魂を」
あの日のことを思い出したからこそ、柳さんを湖へ連れていくことに躊躇した。そんな私の不安をわかっていたのだろう、彼は真摯なまなざしで静かに告げた。
「あなたたちが納得するまで、そのつもりはありません」
こちらへ向けられた微笑はいつも通りで、だからこそ私は彼を信じられた。
「帰りましょう、香月へ」
兄と私自身の迷いに、決着をつけるために。




