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空中喫茶香月〜あなたの迷い、月香るお茶で紐解きます〜  作者: 久生夕貴
最終章 蜜柑花のハチミツと再会のカンノーリ
27/32

答え

 淡く、淡く――私の意識は醒めてゆく。


 ■

 

 準備を待つ間、私は桐子さんと庭園を眺めていた。

 四季の無いこの世界は、いつも同じ花が咲いている。時おり桐子さんが花を入れ替えることはあっても、季節のうつろいが無いこの庭は、永続的な美しさがある反面、少しだけ寂しい。

 きっとここを訪れる迷い魂にとって、時の経過を感じない安らぎとほんの少しの物足りなさが、自分の立ち位置を思い出させてくれるのだろう。


「満月、怖い?」

 桐子さんの問いかけに、私はかぶりを振った。

「不安がないと言えば、嘘になるけど……。不思議なくらい、今は怖くはないの」

「そっか」

「ねえ、桐子さん。もし私が香月で働き続けられたら……友達になってくれる?」

 彼女は驚いたように瞬きをしたけれど、すぐに小さく頷いた。


「私なんかでよかったら」

「ありがとう。ほんとは『もう友達だと思ってたけど?』って言ってほしかったけど」

 顔を見合わせて、小さく笑う。足元にいたアオが、ぷいぷいと私を見上げていた。抱き上げると、胸に頭を押し付けぐりぐりしている。


「アオも私のボディガードでいてくれる?」

 眠そうな目がこころなしかキリっとした気がした。思わずぎゅうと抱きしめて、まふまふの毛並みに頬ずりする。


「満月ちゃん、お待たせ」

 姿を見せた燕さんの後ろで、柳さんが茶器セットを手に艶然と微笑んだ。

「香月茶の準備ができましたよ」

 私はまっすぐに二人に向き合うと、頭を下げた。

「よろしくお願いします」

 

 香月茶を淹れる柳さんは、いつもと変わらずしなやかで、すべての動きが洗練されている。

 繊細な指先がポットの蓋を撫でると、眠りから醒めた茶葉が開き始めた。

 ゆっくりと、花が咲くように開いてゆくさまに、ただただ見とれてしまう。

 ここへ来たばかりの時と、同じように。


「さあ、どうぞ」

 差し出されたティーカップを、そろりと両手で包む。

「……やっぱり柳さんが淹れる香月茶は、綺麗です」


 魂の記憶を呼び起こす、死神のお茶。

 優しくて、切なくて、温かい祈りが込められていて。

 私は小さく深呼吸すると、カップを持ち上げ口に含んだ。甘く芳醇な香りが、包み込むように広がっていく。

 遠く懐かしい、幸せだったあの頃の。


「――蜜柑の花の、ハチミツ」

 

 ぽろりと涙がこぼれた。私の中に流れ込む音、匂い、景色、出会った人たち――はじかれたように立ち上がると、私は香月を飛び出す。

「満月ちゃん!」

 呼び止める燕さんの声に、一度だけ振り向く。こちらを見つめる柳さんへ、頭を下げた。


「……来ないでください。お願いします」

 再び呼び止める燕さんの声にも、私の足は止まらなかった。記憶の洪水が私の身体を前へ前へ、踏み出させる。

 やっと、やっとすべて思い出した。

 私がどうして、ここへ来てしまったのか。

 柳さんがどうして、私を知っていたのか。

 

 あの湖で会った彼が、本当は誰だったのか。

 

 頬を濡らし続ける涙を拭い、私は走った。浮島を飛び出し、草原を駆け抜け、湖にたどり着いて辺りを見渡す。

 あの人の姿はどこにもなく、私は袖の中から風鈴を取り出すと、空に向けてかざした。どこからともなく吹いてくる風に揺られ、ちりん、ちりんと音が鳴る。


「どこにいるの? お願い出てきて!」

 ありったけの声で叫び、再び辺りを見渡す。湖面はひどく静かで、私は置いて行かれた子供のように茂みを彷徨った。銀色の蝶がゆらゆらと舞う中、対岸に現れた人影に気づき立ち止まる。


「久しぶりだね。僕を呼んだ?」

 駆け寄る私を、その人はじっと見つめていた。以前会ったときと同じ黒い着物、どこか儚い印象を与える優しげなまなざし。

 ()()()()と、なにひとつ変わっていない。


「私、やっと気づいたの。あなたは……あなたの名前は、茅野名月(かやのなつき)

 それを聞いた彼の表情が、はっとしたもの変わる。

 

「私の、お兄ちゃんだよね」


 ぱきん、と音が鳴り、目の前に立つ男性の姿がぽろぽろと剥がれ落ちた。中から現れた9歳の男の子は、紺の半ズボンにラムネ色のシャツ――最後に(20年前)見た時と同じ姿。


「思い出してくれたんだね」

 微笑みかける表情はあの日のままで、私は胸が潰れそうだった。


 優しくて、賢くて、大好きだった兄。

 会いたくて会いたくて――会うのが怖くてたまらなかった。


「どうしてお兄ちゃんが、ここに……」

 そのとき、頭上で何かの鳴き声がした。思わず見上げると、一羽の鳥が私に近づいてくる。どこかで見たと思ったところで、薬草園で見た胸に縞模様のある鳥だと気づく。


「あの鳥……」

「満月、逃げて!」


 兄がそう叫んだ瞬間、(ホトトギス)の姿が一瞬で人の形に変化した。そのひとは私を抱え上げると、猛スピードで飛び去って行く。


「や……離してください! おろして!」

 必死の抵抗も虚しく、湖はどんどん遠くなる。暴れようとするも鈍い衝撃があり、私の意識は薄れていった。最後に聞こえたのは、誰かの「子規」という叫び声だった。


 ■


 気がつくと、見知らぬ場所で横たわっていた。

 辺りは暗くて、自分がどこにいるのかよくわからない。いまだ朦朧としながら体を起こそうとすると、すこし離れたところで声がする。


「ああ、目が覚めたんだ」

 不思議な声音だった。男性にも、女性にも聞こえる捉えどころのない響き。恐怖を感じながらもなんとか目を凝らすと、暗がりの中、ぼんやりと人影のシルエットが浮かび上がってくる。


「やっと捕まえたよ。お前だろう? 柳を堕とした人間は」

「……あなたは、子規さんですか」

「へえ、ボクのこと知ってんだ」


 影が動き、近づいて来た。鳥の羽毛のような衣服を身にまとった、細身の人物。灰色の髪からのぞく顔は人形のように白くて、男にも女にも、大人にも子供にも見える。


 そして私を見据える目は、どこまでも冷たかった。敵意なんて可愛いものじゃない――たぶんあれは、殺意と呼ぶべきもの。


「柳さんを堕としたって、どういう意味ですか」

 震える声で尋ねると、子規さんは鼻で嗤った。そんなこともわからないのか? とでも言うように。


「お前さあ、柳がどれほど美しかったか知ってる?」

「……え?」

「以前のアイツは引くほど正確で冷徹でさあ。誰より美しかった。ホント好きで憎くて、狩っちゃいたいくらい」

 うっとりした表情は恋する相手を語るかのようで、どこか狂気じみている。


「ボクはどうやっても柳に勝てなかった。悔しくて嬉しくて、ずっとずっと振り向くことのないアイツの背を追っかけてきたのにさ……」

 憎々しげな視線が、私を貫いた。

「酷いよ。よりにもよって人間なんかに入れあげちゃって。あげくのはてに管理屋になるとか、ボクへの裏切りだろう?」

「でもそれは柳さんが選んだことで……私が何かしたわけでは」

「お前がアイツに求めたからだろうが」


 突然低くなった声に、びくりと体をこわばらせる。

 はーっとため息を吐いた子規さんは、冷ややかに言い放った。


「これだから愚図で図々しい人間は嫌いなんだよ。柳が新しく雇った人間の噂を聞いて、ピンと来たね。きっとそいつが、アイツを堕とした奴に違いないって」


 つまり私の存在を確かめるために、ハザマに来たということなのだろう。子規さんは冷たい表情の中に、うんざりした気配を漂わせる。


「お前はなかなか浮島から出てこないし、アイツら(柳と燕)の監視も鬱陶しくてホント面倒だったよ。でもおかげで確信したけどねえ、やっぱりお前が柳のトクベツなんだって」


 ごうんと音が鳴り、空気が一瞬で張り詰めた。

 身体の奥からせり上がってくるような重圧。この感じは前に一度、経験した覚えがある。あれは確か――


「お前、ボクが狩ってやるよ」


 現れた巨大なデス・サイズ(死神の鎌)に、全身が総毛立つ。

 子規さんの背後で揺れるそれは、漆黒の切っ先が鋭利な殺意をむき出しにしている。


「そうすれば、柳は元に戻れる。お前が『お願い』するだけでいいんだからさ。アイツのためにできるよね?」


 近寄ってくる相手に、後ずさりながら距離を取る。けれど背後には見えない壁があり、すぐに身動きが取れなくなってしまう。


「……お願いってどういう意味ですか」

「今のお前は柳の預り()だからさあ。でもお前が望みさえすれば、ボクのものに変えられるわけ」

 子規さんは「ま、そんな面倒なことしなくても、お前を狩るくらいわけないんだけどね」と言いやってから。


「ボクは優しいから、ちゃんと手続き踏んであげようって言ってんの。だから早く言いなよ、『子規サマ私を狩ってください』って」

「……嫌です」

「は?」

「私は香月で働き続けると決めたんです。今死ぬわけにはいきません」


 歪んだ口元が、苛立ったようにぎりりと鳴った。どす黒く立ち込めた憎悪の塊が、私のすべてを押し潰そうとしてくる。


「黙れ。お前の意見は聞いてない」

 ゆらりと降りて来た鎌の刃が、のど元につきつけられた。私は足が震えそうになるのを、必死に堪える。


 怖い。逃げ出したい。

 でも。


 私は、ここで屈するわけにはいかない。私を救ってくれた人たちに、大切な人に、まだなにひとつ伝えられていない。

「……もしいつか、死ぬ時がきたとしても」

 私は子規さんの目を、まっすぐに睨みつけた。

 

「私の魂を狩るのは、柳さんだけです」

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