牡丹と蝶
彩乃さんを見送ったあと、程なくして来客を告げる音が鳴り響いた。
扉を開けて入って来たのは、黒いアオザイに似た衣装に身を包んだ少女だった。銀髪のツインテールを飾る大きな黒牡丹が、よく似合っている。
彼女は出迎えた柳さんを見るなり、やあと手を上げた。
「世話かけたねえ」
「うーわやっぱり牡丹さんだった」
やれやれとため息を吐く燕さんの隣で、桐子さんが「まあ予想はしてました」と頷く。牡丹さんと呼ばれたその人は、瑠璃の扉がある方をちらりと見やった。
「あの子、無事帰れたんだろう?」
「ええ。先ほど」
頷く柳さんに、そうかそうかと頷く。
「悪いねえ。私の預りだった魂なんだけど、うっかり目を離したあいだに逃げちゃってさ」
「よく言うよ……。わざと目を離したんだろうに」
ぼそりと呟いた燕さんに、牡丹さんは「ん? 何か言ったかい?」とそしらぬ顔。柳さんは慣れているのか、特に気にしている様子もない。
「うちのスタッフに感謝してくださいよ。あの子が迷いと向き合えたのは、彼女たちのおかげなんですから」
燕さんの言葉に、牡丹さんは「ああそれはそれは」とあっけにとられている私に目を留めた。
「……んー? この魂は初めて見るね」
紫水晶のような瞳に、じっと見つめられる。柳さんとどこか似た、見透かすようなまなざしに私は思わず身を硬くした。
「へえ、なかなか面白い魂だね。もしかして、燕の新しいカノジョ?」
「いや……あえて言うなら兄さんかな」
「はっ!?!?!? マジで!!????」
銀髪のツインテールが、逆立つように波打った。
先ほどまで飄々としていた彼女の顔は、目玉が飛び出そうなほど驚愕に満ちている。
「ち、違います。私はただのスタッフです」
慌てて手を振る私の隣で、柳さんは微笑んだまま何も言わない。牡丹さんは柳さんと燕さんと私を交互に見たあと、さも愉快そうに笑った。
「いやービビったビビった。まさか柳がねえ」
そう言ってからすっと居住まいを正し、手を差し出してくる。
「申し遅れたね。私は牡丹、ココの統括をやってる死神だ」
統括というのはハザマの責任者ということだろうか。挨拶をしながらその点について尋ねてみると、彼女は「そう思ってもらって構わない」と頷いた。
「といっても、ここにいる管理者たちのお目付け役程度のものだけどね」
つまり牡丹さんは、柳さんたちの上司にあたるということなのだろう。見た目は10代半ばの少女だけれど、死神の外見は当てにならないらしい。
「ここの住人は色々面倒ごとを抱えてるからさ。牡丹さんが交通整理をしてくれてるんだけど、やり方が少々ね……」
「人聞きが悪いな、燕。あの子だって私が香月に送ってなきゃ、今頃闇落ちしてただろう?」
「やっぱりわざと逃がしてるし……。普通に連れてきてくださいよ」
半目になる燕さんに対し、彼女はしれっと「次からはそうするよ」と返す。要するに、彩乃さんが香月に行くようわざと仕向けたのだろう。
店内をぐるりと見渡し、再び私に視線を向けた牡丹さんは、柳さんに言いやった。
「あれほど優秀だったキミが、ここに来るとは……と思っていたんだが。それなりのワケがあったようだねえ?」
「ご想像にお任せします」
にっこりと微笑む柳さんに、牡丹さんはハイハイと笑ってから。ほんの少しだけ、眉間に皺を刻んだ。
「ああそうそう。この前子規を見かけたよ」
「え……彼、ハザマに来てるの?」
顔色を変えた燕さんに、彼女は軽く鼻を鳴らす。
「こっちに話は来てないから、仕事じゃないのは確かだ。何しに来てるのか知らないけどねえ」
二人の様子が気になった私は、尋ねてみる。
「あの、子規さんというのは……?」
「俺たちと同じ死神なんだけどね。ちょっと……というか、だいぶやっかいな奴でさ。兄さんとトップ争いしてたほどの腕利き魂の回収者ではあるんだけど」
「まータイプ的には正反対だね、柳とは」
うんうんと頷いた牡丹さんは「ま、せいぜい気をつけるんだね」と言いおいてから。
「じゃあ私はこれで失礼するよ」
入り口扉へきびすを返した彼女は出ていく寸前、呼び寄せた私に耳打ちした。
「柳をよろしく頼むよ。ああ見えて、あの子は情深いからねえ」
私は微笑みながら、頷いてみせた。
「はい。知っています」
「そうかそうか。なら安心したよ」
牡丹さんはどこか嬉しそうに、ツインテールを弾ませた。香月を出たところで片手を上げると、どこからか巨大な白い蝶が飛んでくる。
それに乗って飛び去って行く背を見送りながら、私は自分の中にある意志を、静かに、固めた。
ちらりと隣を見ると、気まぐれで、お菓子が好きで、あらゆる情を秘めた横顔がある。
私は、香月で働き続けたい。
このひとと、皆と共に、迷い魂たちを導く手助けをしたい。
――そのために、私は私を乗り越えるんだ。
傍らに立つ彼に向き合うと、深緋の瞳がこちらを捉えた。
「柳さん、私に香月茶を淹れてください」




