偶然と必然
「そんなに驚くこと? 今時珍しい話でもないでしょ」
「いや……だってさ……あんたみたいなタイプが、二十歳そこそこで未婚のシンママとかイメージ合わなさすぎて」
彩乃さんの言うことは、なんとなく理解できた。
いつも淡々としていて、自分にも他人にも興味のなさそうな桐子さんが子育てする姿をどうしてもイメージできない。でもそれは同時に、私が彼女に対して一方的な印象を抱き、分類づけしていただけなのだと気づいた。
「ごめん……私、桐子さんに子供がいるはずがないって、勝手に思い込んでた」
それを聞いた桐子さんは瞬きをする。
「別に謝る必要なんてないけど。大抵そう言われるから慣れてるし」
「いやよくないよそれ。勝手なイメージ持たれんのって凄い迷惑だし、流してると相手がつけあがるだけだから」
彩乃さんはきっぱりと言い切ってから、ぺこりと頭を下げる。
「だからあたしもごめん。失礼なこと言った」
桐子さんは驚いた様子で沈黙していたものの、すぐに「わかった」と呟いた。謝罪が受け入れられてほっとしたのか、彩乃さんはレモンカードをシフォンケーキに塗り始める。
「でもさ、21で子ども産むなんて大変だったんじゃないの?」
「まあそれなりに。つわりが酷くて三カ月寝込んだし、産んでからもすぐに仕事復帰できるわけじゃなかったしね」
「相手の男は?」
「黙って産んだ。もう関わりたくなかったし」
「親に頼ったりとかは……」
「絶縁してて頼れなかった。頼るつもりもなかったけど」
「マジか……」
想像以上の過酷さに、私たちは絶句していた。いつも淡々としている桐子さんにそんな事情があったなんて思いもよらなかったし、今だって大変なことも多いはずだ。それなのにおくびにも出さないなんて、彼女らしいのかもしれないけれど。
ただ私は、出会った頃に聞いた話がどうしても引っ掛かっていた。
「桐子さん、ここで働きだしてどれくらいなの?」
「4年くらいかな」
「……じゃあハザマに迷いこんだ時、もう子供がいたんだね」
桐子さんは淡々と頷いた。
「1歳になるちょっと前だった」
「ちょっ……どういうこと? あたしにも説明してよ」
気色ばむ彩乃さんに、私は桐子さんの許可を取って、彼女が迷い魂になったときのことを話した。聞き終えた彩乃さんは「そうなんだ」と呟いてから、躊躇いがちに問いかける。
「今でも思ってんの? 死んでもいいって」
桐子さんは考えるように視線を馳せてから、小首を傾げた。
「わからない。同じ目に遭ってみないと」
「なんでよ……」
納得がいかない様子の彩乃さんに、小さなため息。
「言ったでしょ? 私は積極的に生きたいとも、死にたいとも思ってないって。理解してもらえるとは思ってないけど、そういう人間もいるの」
「そんな割り切れるもん? 子供可愛くないの?」
「可愛いし、私なりに愛してるけど」
「は? ならなんで子供置いて死んでもいいなんで思えんのよ。意味わかんないし!」
「彩乃さん落ち着いて」
興奮した彼女は、もはやけんか腰になってしまっている。私は彩乃さんをなだめつつ、相変わらず感情のこもらない視線を向ける桐子さんに謝った。
「ごめん。私が蒸し返したせいで」
「いいよ。別に気にしてないし」
そんなはずはない。桐子さんはいつも「気にしてない」と言ってくれるけど、彼女なりの優しさだ。短い付き合いだけど、それくらいはわかる。
「私も桐子さんの価値観は、わからないこともあるけど……否定するつもりはないよ。人にはそれぞれ事情があるんだし」
「そうね。私もあななたちの考えを否定するつもりはないし。お互い踏み込まないのでいいんじゃない?」
突き放すような言い方に、彩乃さんが「なにそれ……」と再び気色ばむ。私は再び彼女をなだめ、ひとまずお茶会を解散することにした。
その後、彩乃さんは気まずくなったのか別室にこもってしまった。
私と桐子さんは燕さんの試作づくりを手伝い、しばらくして桐子さんが時間だと帰っていったので、私はそのまま燕さんと試作づくりに励んだ。
柳さんのお茶とお菓子を準備し、茶器の手入れをして、燕さんに頼まれた薬草を取りに裏庭へ行く。
いつも通りの日常だけれど、何かが、少しずつ、変わってきているような感覚があった。言葉にするほど明確ではないけれど、季節がほんのりと、確実に進むように。
テニスコート一枚分くらいの薬草園には、様々な種類のハーブが植えられていた。現世でもよく見るものや、この世界にしかないものが、所狭しと茂っていて、歩くたびにいい香りがする。
今ではすっかり見慣れた月影草を摘み取りながら、ふと空を見上げると一羽の鳥が飛んでくるのが見えた。大きさは鳩より一回り小さいくらいだろうか。胸からお腹にかけての縞模様が綺麗な鳥だ。
その鳥は薬草園の傍に立つ木の枝に留まり、こちらをじっと見つめていた。不思議に思いつつも残りの月影草を摘み、戻ろうと顔を上げた時には、いなくなっている。
「満月ちゃん、どうしたの?」
振り返ると、いつの間にか燕さんが立っていた。仄暗い中で彼の白さはいっそう際立っていて、深山色の瞳はまるで宝石みたいで。
「あ……鳥がいたので気になって」
「鳥? どこ?」
「さっきまでいたんですけど、気づいたらいなくて」
ふうんと辺りを見やる彼に、問いかける。
「燕さんもどうしたんですか?」
「ああ、ついでに摘んでおきたいハーブがあったのを思い出してね」
ふわりと笑んでから、草花の間をかき分けていく。数多のハーブの香りが、弾むように広がった。
「ああ、これだこれだ」
摘み取った花は、薄紫の小花だった。スズランのような形をしているけれど、きっとハザマにしかない植物だ。
「これはちょっと刺激が強いんだけどね。あの子にはいいかもしれないって」
あの子というのは彩乃さんのことだろう。彼は何本か花を摘んでから、なんでもないことのように言った。
「たぶん、もうそろそろだから」
「それって……香月茶をもう一度飲むってことですよね」
「そういうことだね」
つまり彩乃さんには、”その時”が近づいてるってことだ。私たちにはわからなくても、死神には見えているものがあるのだろう。
彼らは見えていても、知っていても、言わない。それがここのルールだから。
月影草の香りを確かめる白い背に、私は声をかけた。
「燕さん」
「うん?」
「燕さんも、以前から私のことを知っていたんですか」
「そりゃ一緒に働いていればね」
「それより前から――お二人が香月を始める以前の話です」
振り返った燕さんは、私をじっと見た。深山色の瞳に、空鏡蝶の淡い光が反射している。
「どうしてそう思うの?」
「私、気づいたんです。燕さんの言う通り、柳さんがずっと前から私のことを知っていたのだとしたら……偶然が重なり過ぎているんじゃないかって」
彼の表情に変化はない。私は小さく息を吸って、その問いを口にした。
「私がアン・レジーナガーデンで働き出したのは、たまたまですか?」
ちらちらと、香月の灯りが揺らめいている。月影草に囲まれた燕さんは、幻想を纏うように綺麗に微笑った。
「なるほどね。うちで働きだしたきっかけは覚えてる?」
「はい。スタッフ募集の張り紙を私が見ていたときに、燕さんが話かけてくれたんですよね」
多くの記憶が抜け落ちているなかでも、彼とのことは覚えている。なんとなく張り紙を見ていた私に、『今人手不足だから、やってみない?』と声をかけてくれたのだ。
「そうだったな。実を言うとね、あのときもう両手に余るくらいの応募が来てたんだ」
息を飲む私の頭に、大きな手のひらが伸ばされる。
「――あのとき、俺を見て懐かしいと思った?」
深山色の瞳が、やわらかく私を捉えている。私は自身の内を探り、小さくかぶりを振った。
「そういう感覚はなかったと思います。ただ……声が聞いたことがあるような、でも違うような……そんな気がしました」
「そっか。満月ちゃんは、ちゃんと見分けられていたんだね」
納得したようにうなずいた彼は、私の頭をぽんぽんとやった。
「今俺が言えるのはこれくらい」
そう言って私が手に持っていた籠を引き取り、店に戻っていく。その背を呆然と見守っていると、ふいに振り返った彼は穏やかに笑んだ。
「満月ちゃん。俺は君を見つけられて、心底よかったと思ってるよ」
「えっ……」
「それだけは信じて」
ひとり残された私の周りを、空鏡蝶がゆるゆると舞っている。
青い鱗粉の余韻を眺めながら、私は無性に叫び出したい想いに駆られていた。
私の中にある感情の塊が、あるひとつの方向へ向かって動き出そうとしている。そのときが近づいているのだと、はじめて確信が生まれた瞬間だった。




