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迷いこんだ世界


 深く、深く――私の意識は落ちてゆく。


 ■

  

 ぼんやりとした意識の中、私はふと目を開いた。

 仄暗いなか、月明かりに照らされたような青白い草原がどこまでも広がっている。

 ここはどこだろう。なぜ私はここにいるのだろう。

 思い出そうとしても頭に靄がかかったみたいに何も出てこない。ここへ来るまでの記憶がすっぽりと抜け落ちていて、気がついたら見知らぬ場所に立っていた。


 周囲を見渡すと、地上から伸びる階段が目に入った。上へ上へと昇るそれを目で追っていき、そのまま空を見上げると――


「えっ。あれ……何?」


 空に島のようなものが浮かんでいた。結構な大きさで、学校のグラウンドくらいはあるだろうか。

 私は島の真下にいるせいで、何があるのかは見えない。でもなぜか私の目は吸い寄せられるように、釘付けで……気がつくと階段を登り始めていた。

 一段、また一段。

 長い階段を登りきったとき、大きな建物が目に入る。


「凄い……」


 私は島の真ん中に立つそれを、唖然と見上げていた。二階建ての木造建築だけれど、和風なようで少し違う。幾何学模様の透かし彫りが施された欄間や窓枠は目を引くし、あたりは薄暗いせいで、あちこちにある吊り灯籠からは柔らかな光が漏れていた。

 建物の周りは青く発光する蝶が舞っていて、目の前を横切るたびに鱗粉が光を散らしている。


 ――まるでこの世じゃないみたい。


 そう思ったとき、大きな扉が目に入った。ここにも幾何学模様の透かし彫りがされていて、中から橙色の光が漏れているのが見える。おそるおそる手をかけてみると、りんと音が鳴り、まるで自動ドアみたいにゆっくり開いてゆく。

 足を踏み入れると、中は思ったよりモダンな雰囲気で、広々とした空間にいくつかのテーブルと椅子が置いてあった。

 

「いらっしゃいませ」


 声の聞こえたほうを振り向くと、カウンターの奥から人影が現れた。私は思わず目を見張る。


「……(えん)さん?」


 すらりとした長身、少し癖のある柔らかそうな髪。男性にも女性にも見える中性的な顔は、思わず見とれてしまうくらいに整っている。


 そうだ、この人は私が勤めるカフェ『アンレジーナ・ガーデン』のオーナーだ。でもなんでこんなところにいるんだろう……それになぜか彼はこちらを見つめたまま沈黙している。

 いつもなら明るく「おはよう、■■ちゃん」と返ってくるのに、今日は見たことのない黒い衣装に身を包み、人形のような微笑を張り付けたままで。


「あの、燕さん……ですよね?」


 おずおずと声をかけると、相手はああといった様子で告げた。


「それは私の弟です」

「えっ……すみません! 燕さんにお兄さんがいたのを知らなくて」


 声も顔もまったく同じということは、双子だろうか。

 そんなことを考えていると、背後で扉が開く音がした。振り返ると、手に草花の束を抱えた女性が顔をのぞかせている。


「あ、お客さんですか」


 20代半ばくらいだろうか、小柄でショートカットの風貌はどこかで見たことがある気がしたけれど、うまく思い出せない。

 入ってきた彼女の方も、私の顔をじっと見ている。


「この人確か……”表”のスタッフだったような。間違って()()扉から来た?」

「あの扉? その入り口から入ってきましたけど……」

 それを聞いた彼女の瞳が、わずかに見開かれた。

「え。じゃあまさか……」

「ええ。彼女は”お客様”ですよ、桐子(とうこ)


 ふわりと、ハーブのような香りが舞う。

 燕さんによく似たその人は、私に手を差し出すと艶やかに微笑んだ。


「ようこそ、空中茶廊(さろう)香月(こうげつ)」へ。私はオーナーの(りゅう)です」


 ■


「くうちゅう……さろう?」


 困惑する私に、桐子と呼ばれた女性がそっけなく答えた。

「茶廊はティーラウンジのこと。平たく言うと、お茶専門のカフェってところ」

 なるほど、そうだったんだ。でも私以外にお客さんの姿はないし、表にも看板はなかった。

 隠れ家的なお店なのだろうか……と考えて、はっとなる。


「そうだ。このお店、空に浮いてますよね?」

「ええ。()()茶廊ですから」


 柳さんは当たり前のように頷いたが、いやいやそういうことじゃない。なんでこの島が浮いているのか、そもそもここはどこなのか、分からないことだらけだ。


「そういえば桐子、彼女が”表”のスタッフというのは本当ですか?」

「はい。間違いないと思います」

「成程。それで私を燕と間違えたのですね」


 納得した様子の柳さんとは反対に、私の混乱は深まるばかり。けれど桐子さんの横顔を見て、ふと記憶がよみがえった。


「思い出した。確かあなた、アン・レジーナガーデンで燕さんと話してた人ですよね?」


 さっきからにこりともしない横顔を、見かけたことがある。てっきり取引業者だと思って、気にも留めていなかったから、すぐには気づかなかったのだ。


「私もあそこから出勤してるから……」

「出勤?」

「ここはアン・レジーナガーデンの”裏”なの。といっても、急には理解できないだろうけど」


 さっきから一体何を言っているのだろう。戸惑う私の質問から逃れるように、彼女は「あとは柳さんに聞いて」と奥に引っ込んでしまった。

 決まりの悪さを感じながら、柳さんに視線を戻す。こちらを見つめる彼は、相変わらず微笑を浮かべたまま口を開いた。


「名前を伺っても?」

「あ、私は――」


 言いかけて、愕然となる。

 どういうわけか、自分の名前が思い出せないのだ。


「わからない……なぜか思い出せないんです」

「そうですか。ここでは珍しいことではありませんので」

 柳さんは驚いた様子もなくそう言うと、店の奥へ促した。

「あの……私、客のつもりで来たわけじゃないんです。迷い込んでしまっただけで」

「貴女がここのお客様かどうか、判断するのは私です」


 そう言い切られて、返す言葉を失う。表情こそ柔らかいけれど、この人の涼しげな声には有無を言わせぬ響きがある。

 私は仕方なく後をついて歩きながら、改めて柳さんを観察してみた。


 顔や背格好は燕さんとまったく同じだ。違うのは、猫のような瞳の色。

 燕さんの瞳は深山の色を思わせるような、緑がかった青だ。けれど柳さんの瞳は深い紅に染まっている。

 そして明るい色を好んでいる燕さんと違い、柳さんの服は黒一色。

 どこかの民族衣装だろうか、和服とアジア系の服が入り混じったような、袖も裾も長い衣服をまとっている。


「どうぞ、こちらへ」

「あ、はい……」

 促されるまま、上品なビロードの布張りがなされた椅子に座ると、柳さんは瞳をゆるやかに細めた。


「では、”香月茶”の準備をしてきます」


「香月茶?」

 聞いたことのないお茶の名前に、つい訊き返す。彼は微笑むと、「当店のメニューはこれだけです」とだけ言った。


 柳さんを待つ間、私は窓から見える庭園を眺めていた。

 私が勤めているアン・レジーナガーデンの庭は、色とりどりのグラスやハーブ、四季咲きの薔薇などがバランスよく植えられている。

 季節によって表情が変わる華やかさがお客さんにも好評で、庭見たさに定期的にカフェを訪れる人もいるくらいだ。

 それに比べると香月の庭はひっそりしていて、幻想的な美しさがある。

 仄暗い庭に植えられている花は全体的に彩度が低めで、淡い紫や灰ががった青、白がほとんどだ。他にも見たことのない色や形の花が控えめに咲いていて、入口でも見た蝶があちこちで舞っていた。

 ここの手入れは誰がやっているんだろう……そんなことをぼんやりと考えていると、カウンターの奥から誰かがやってくるのが見えた。その顔を確認した瞬間、私は思わず立ち上がる。

 柳さんと同じ顔、深山の色を思わせる、緑がかった青の瞳――


「燕さん!」


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