ワケアリ客
「ようこそ、空中茶廊『香月』へ」
桐子さんが双子を呼び戻している間に、私は扉を開けて入って来た女性に声をかけた。
まだ二十代だろうか……こちらを向いた大きな瞳には、警戒の色がはっきりと映し出されている。すらりと長い手足に、豊かに波打つ長い髪。まるでモデルみたいに綺麗なひとだ。
「……あんた、誰? 店長は男だって聞いてるけど」
「私はここのスタッフです。オーナーの柳はただいま席を外しておりますが、すぐに戻りますので」
表面上は平静を装いながら、私は内心で動揺していた。最初から香月のことを知っている人が来たのは、初めてだからだ。
(誰かから聞いて来たのかな……)
とはいえ勝手に詮索するわけにもいかず、ひとまず席へ案内する旨を告げるとそっけなく拒否された。
「店長が来るまで待ってる」
「あ……わかりました。ではそちらにおかけになってお待ち下さい」
彼女が歩くたびに、高いヒールがかつかつと音を立てた。入り口近くの椅子に腰を下ろすと、きょろきょろと辺りを見渡している。そそくさとカウンターへ戻った私は、桐子さんに声をかけた。
「二人とも連絡取れた?」
「すぐ戻れるって」
「よかった……。あのお客さん、香月のこと知ってたんだよね……」
「聞いてた。なんか訳ありっぽいね」
5分ほどして(と言っても時計は無いので完全に私の体感だけど)、先に燕さんの方が顔を見せた。お客さんについて説明すると、難しそうな表情を浮かべる。
「なんかそれ、嫌な予感がするなあ」
「……そうなんですか?」
「事前にうちを知ってるってのが、どうもね……」
そう言って彼は何事か考えている様子だけど、そこから先は聞けなかった。そうこうしているうちに柳さんが戻って来たので、お客さんの対応をお願いする。
現れた柳さんを見た彼女は、じろじろと眺めまわしてから口を開いた。
「へえ、あんたが店長? なんか思ってたより普通だね。もっとヤバい感じかと思ってたけど」
「柳と申します。失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいですか?」
「あたしは彩乃。白川彩乃」
「白川様ですね。では、こちらへどうぞ」
柳さんは特に事情を尋ねることもなく、普段通りの対応をしている。そのせいか彩乃さんは少し戸惑っているようだけれど、素直についていった。まだ警戒の色が消えたわけじゃないけれど、オーナーの言うことに逆らうつもりはないようだ。
席に案内された彼女は、椅子に座るなり口火を切った。
「私は殺されたの。復讐したい」
突然飛び出したとんでもない要望に、一瞬思考がフリーズしてしまう。前方から聞こえて来た柳さんの声で、はっと我に返った。
「あなたのお話を伺う前に、まずは香月茶を飲んでいただきましょう」
彼の声はいつもと変わらず、落ち着いている。けれど彩乃さんの方は、明らかに苛立った様子に変わった。
「そんなのどうでもいい。ここはあたしの望みを叶えてくれるって聞いてきたんだし。早くあいつに復讐させてよ」
「申し訳ありませんが、あなたがここのお客様か判断するのは私です。そのためには香月の作法を守っていただく必要がありますが、どうされますか?」
有無を言わせぬ微笑に、彩乃さんはぐっと言葉を飲み込んだ。恨めしそうに柳さんを見やる。
「……わかった。早くそのお茶持ってきて」
カウンター奥へ向かうと、様子を伺っていた燕さんが訝しげに首をひねった。
「うちに来るはずがないんだけどなあ」
「どういうことですか?」
「彼女、最初から目的がはっきりしているだろう。そういう人は香月茶を飲む必要がないからね」
確かにそうだ。香月は迷いを抱き、彷徨う途中で記憶を失くしたりして、どうしようもなくなった人がたどり着く場所だ。
彩乃さんは自分がここへ来た理由を最初から明言している。
「たまたま迷いこんだようには、見えませんでしたけど」
桐子さんの返しに、私も同じ感想を持った。彼女の口ぶりからすると、誰かから聞いてここへ来たとしか思えないし……。
「彩乃さんのような人は、本来ならどこへいくんですか」
「他に担当がいるんだよね。そういうの専門にしてるのが」
燕さんはそう言って、何事か思案している柳さんを見た。
「あのひとに連絡したほうがいいんじゃない?」
「いえ。少し様子を見ようと思います。おそらくは敢えてのことでしょうから」
「あー……まあ確かに」
小さくため息をついた燕さんは、私たちを見渡した。
「じゃ、とりあえず準備しようか」
柳さんが淹れた香月茶を、彩乃さんはまじまじと眺めていた。
おそらく見慣れないものを(人も物も関係なく)観察するのが癖なのだろう。元からそうなのか、彼女の警戒心がそうさせるのかはわからないけれど。
「ふうん、これが香月茶? ……結構キレイじゃん」
「どうぞ、飲んでみてください」
「毒とか入ってないよね」
「もし入っていたとしても、白川様はもうお亡くなりになっているのでしょう?」
微笑む柳さんに、彼女は顔をしかめる。
「あんた結構イヤミだね。死神ってみんなそんななの?」
「おや、他にも似たような死神を見かけましたか」
「……なんでもない」
彩乃さんはそそくさとカップを持ち上げ、口に含んだ。
こくんと飲み込み、またひと口。固唾を呑んで見守る私に気づくと、鬱陶しそうな視線を向けてくる。
「何? 寄ってたかって見られるの好きじゃないんだけど」
「あっ申し訳ありません。どのような味がしたか気になりまして……」
「味? 別に悪くなかったよ」
「その……何か思い出しませんでしたか?」
「は?」
彩乃さんは困惑したように私達を見渡すと、柳さんに言いやる。
「説明してよ」
「香月茶は魂に呼びかけ、記憶を呼び起こすものです。あなたはこれを飲んで、何も思い出さなかったのですね?」
「……そうだけど」
「何か懐かしい香りがしませんでしたか?」
私の問いかけに、彼女は「たとえば?」と返す。
「説明が難しいんですが……私のときはそうだったんです。なんの香りかはわからないけど、懐かし気がして……」
彩乃さんはカップを見つめると、再び口にしてみた。今度はしっかり味わってから。
「……わかんない。そんな気もするけど、しない気もするし」
「そうですか。ではまた飲みたくなったら、いつでもいらっしゃってください」
それだけ告げて去ろうとする柳さんを、慌てて呼び止める。
「待ってよ。あたしは復讐したいって言ってんじゃん。こんなお茶飲むだけで終わりとかありえないし!」
振り返った柳さんは、静かに、けれどはっきりした口調で告げた。
「ここはそういう場所ですので」
「嘘! ここでならあたしの望みは叶うってあいつ言ってたんだよ。あんたたちまであたしを騙すの?」
彼女は喚きながら、柳さんの腕をすがるように掴む。
「お願いだから話聞いてよ!」
「白川様がここをどのような場所だと聞いてきたのかは存じ上げませんが――あなたの中に『迷い』があるのであれば、いずれ香月茶が紐解いてくれるでしょう。香月にできることは、それだけです」
「嘘でしょ……」
彩乃さんは柳さんから手を離すと、唖然とした様子で立ち尽くした。声をかけようか迷っていると、俯いた彼女は唇を噛みしめ、低く呟いた。
「――もういい。帰る」
逃げるように出ていく背中を、私はほとんど無意識に追いかけた。
「待ってください!」
螺旋階段を降りかけていた彩乃さんは、ぴたりと足を止めた。けれどこちらを向くことはなく、くぐもった声だけが聞こえてくる。
「……何」
「あの、えっと……お菓子食べませんか?」
「は?」
予想外の言葉だったのだろう。大きな瞳がこちらを向いたけれど、警戒と困惑がありありと映し出されている。
「私、いろいろ試作品を作ってるんですけど、たくさん作りすぎちゃって……。美味しいお茶もあるので、よかったら」
「……何があんの」
「シフォンケーキと抹茶のスコーンと、スイートポテトと紅茶のショートブレッドと……フロランタンの失敗作もあります」
「失敗作って」
その時初めて、彩乃さんは少し笑った。笑うと目尻が下がって、柔らかな雰囲気になる。
「レモンカード、作れる?」
「え?」
「作れるかって聞いてんの」
「あ、はい。作れます」
「じゃあ行く」
連れ戻した彩乃さんを見て、柳さんは何も言わなかった。ひとまず彼女には客席で待ってもらい、私はお菓子の準備に取り掛かることを皆に告げる。
「柳さん、すみません。どうしても放っておけなくて」
「構いませんよ。あなたならそうするだろうと思っていましたし」
「えっ」
「レモンカード、あとで私にも持ってきてください」
にっこりと微笑む柳さんの隣で、燕さんがにやにやと言いやる。
「まんまと兄さんに乗せられちゃったねえ、満月ちゃん」
「流れるように見事でしたね」
桐子さんにも頷かれ、私は柳さんにしてやられたのだと思い至る。よく考えてみれば、彼が彩乃さんの事情も聴かずに放っておくなんてありえない話だ。
「あの方は私よりあなたの方が適任だと思いましたので」
「だね。ああでもしないと、満月ちゃんが担当することに彼女納得しなかっただろうし」
それならそうと……と言おうとして、飲み込む。事前に言われていたら、あんな風には振る舞えなかったかもしれない。下手に取り繕った言葉をかけても、たぶん彩乃さんには見透かされてしまっていただろうから。
悪びれず頷き合う双子を見て、私は苦笑するしかなかった。




