死神の部屋
無事にお客様を送りだせたことで、ほっとした私は気が抜けたようになっていた。
燕さんが気を遣って休憩をくれたので、しばらく自室でぼんやりと過ごす。ふいに、身に着けていた衣服の袖の中に何かがあるのに気づいた。
「あ、これ……」
小さな金魚柄の風鈴を見て、湖でのことが浮かぶ。結局あの人が誰だったのかはわからないし、今となっては夢だったのではと思えるくらい現実感がなかった。
なんとなく風鈴を鳴らそうとして、彼に言われたことを思い出す。そういえば「僕が必要なときはこれを鳴らして」と言われたんだった。
仕方なく机に仕舞おうとして――私は袖の中に戻した。なぜだかわからないけど、身に着けておきたいと思ったから。
休憩を終えてホールに戻ると、柳さんが戻ってきていた。彼と一緒に後片付けを終えてひと段落つくと、先に部屋へ戻った柳さんにクッキーとお茶を持っていくことにする。
「そういえば、二階に行くのって初めてだ……」
上は双子の住居になっていると聞いていたので、今まで入ったことはない。柳さんがお茶を飲むときはいつも一階のカウンター席だから、てっきり今日もそこで飲むのだとばっかり思っていたのに。
「今日は私の部屋へ持ってきてください」
にっこりとそう言われ、今に至る。初めて足を踏み入れる二階にどきどきしつつ、茶器が乗ったトレーを持って階段を上るのは、少々不安かも……。そう思っていたら、何かが階段を下りてくるのに気づいた。
「えっ……テーブルが歩いてる?」
一見、木目が綺麗な普通のテーブルだけど、しなやかに伸びた四本の猫脚が、本当に猫みたいに歩いている。
テーブルは私の傍まで来ると立ち止まり、「にゃあ」と鳴いた。
「もしかして……置いていいの?」
もう一度「にゃあ」と鳴いたので、私はおそるおそるトレーをテーブルに乗せる。すると音ひとつ立てず、そのまま階段を昇っていったので、慌ててついていく。
二階につくとテーブルは迷いなく歩き続け、ある扉の前で止まった。
「ここが柳さんの部屋なのね?」
やっぱりにゃあと返って来た返事に笑みをもらしつつ、私はドアをノックした。透かし彫りが施された素敵な扉を開け、中に入ると香木のような匂いにつつみこまれる。
入ってすぐの部屋は客間になっているようで、見事な彫刻が施されたダイニングテーブルと椅子が置かれていた。その奥の扉を開けると、一面本棚で埋め尽くされた部屋の中央の几で、柳さんが本を読んでいた。
「失礼します、お茶とお菓子をお持ちしました」
几に置くよう指示されたので付いてきていたテーブルから、食器を移動させる。
「運んでくれてありがとう」
そう言って撫でてあげると、ごろごろと聞こえてくる。本当に猫みたいだ。
「素敵な書斎ですね。見たこともない本がいっぱい」
「現世には無いものばかりですからね。半分は私の趣味で集めたものです」
「燕さんの部屋もこんな感じなんですか?」
「入ったことがないもので、私は知りません。燕もここへ来たことはないと思いますよ」
「えっそうなんですか?」
「死神は互いに手の内を明かさないものです」
そういうものなんだ……でもそうなると、私なんかがここへ来てよかったのだろうかと思ってしまう。
「それで、お茶を淹れてくれるのではないのですか?」
「あっそうですね」
彼が見ている前でお茶を淹れるのは、かなり緊張する。それでも燕さんに教わった手順通りに淹れると、山に咲く花のような、控え目だけど力強さを感じる香りが立ち上ってきた。
その様子を柳さんはいかにも楽しそうに見守っている。
「水出しのもありますので、両方味わってみてください」
「あなたも一緒にどうですか?」
「え? いいんですか」
「お茶はひとりで飲むのも悪くありませんが、誰かと飲むほうが楽しいものです」
そう言われたら、断る理由はない。実は私も白茶を飲んだことがなかったので、気になってはいたのだ。
彼に勧められた椅子に座ると、どこからかティーカップが現れた。
「私が淹れてもよいのですが……」
「いえ自分でやります大丈夫です!」
またあの酷いお茶を飲まされることになったらシャレにならない。私はいそいそと自分の分のお茶を淹れると、柳さんの向かいに改めて座った。
「……どうでしょうか」
「ええ、美味しいですよ。このクッキーも」
にっこりと微笑む彼の目に嘘はなさそうだ。私はほっと胸をなでおろすと、淹れたばかりの白茶を口に含む。柔らかな甘みとすっきりした味わいに、思わずほうとため息が漏れた。
「美味しいですね……ここのお茶は本当に、どれも美味しくて」
「燕のおかげですね。現世から色々なものを取り寄せているようですから」
「あ、でも香月茶はやっぱり別格というか……。心の奥底を揺り動かすような、不思議な感動がありました」
「あのお茶は魂に直接語りかけますからね。といっても、私自身はその感覚を味わうことはできないのですが」
そうなのだ。あんなに素晴らしい技術を持つ柳さんは、自分が淹れるお茶の味を知ることができない。そしてたぶん私も、自分が淹れる香月茶の味を知ることはないのだろう。
ひと通り飲み終わった柳さんは、几に置いてあった木箱を取り出すと、私に差し出した。
「では、今回の報酬です」
受け取った小さな木箱を開けると、中にはミルク壺のような形をした陶器が入っている。
「あ、茶海ですね。素敵……」
取り出してみると、私の両手にすっぽり収まるちょうどいいサイズだった。ほんのり桃色がかった乳白色の表面はつやつやで、柔らかな曲線が美しい。茶の注ぎ口はつんとしてキレがよさそうだ。
「気に入りましたか?」
「はい、とっても。ありがとうございます」
柳さんは満足そうにうなずくと、今度は私の足元にいるアオに視線を移す。
「それからこれを、神使につけておいてください」
手渡されたのは、組紐のようなものでつくられた首輪だった。柳さんの瞳みたいに、深い緋色で染められている。
「綺麗な色ですね。アオに似合いそう」
「その首輪を装着した神使の居場所を、私は常に知ることができます」
「えっ……」
つまりそれって、柳さんは常に私の居場所がわかるということだ。ちらりと彼を見やると、にっこりと微笑まれる。
「必ずつけておいてください」
……断れる雰囲気じゃない。
黙って香月の外に出てしまったことが影響しているのは明らかだった。柳さんの笑顔圧に負け、私はその場でアオに首輪を装着する。
ぷいぷいと喜ぶアオに和んでいると、柳さんが恒例の質問を投げかけた。
「今回のお客様はどうでしたか」
彼は私が客を担当するたびに、感想を尋ねる。最初は店主としての務めだからと思っていたけれど……最近はそれだけじゃない気がしていた。
「そうですね……ここへ来るのが人間だけじゃないことを知って、驚きました。でも迷うのが人間だけだなんて思い込みは、おかしいですよね」
愛情や執着は人間だけのものじゃない。そんな簡単なことを忘れてるんだから、思い込みって怖い。
「カイ君の迷いや望みは、ただただ蓮君のことばかりで……。そのまっすぐさが、あの時の蓮君にはつらかったんだと思います」
自分が愛情を注ぐ立場だと思っていたのに、遥かに大きな愛を受け取っていたのだと思い知った。彼の打ちのめされた表情には、その苦しさがありありと浮かんでいた。
「だからこそ蓮君は、カイ君に怒ってほしかったんだろうなって」
そうでもしなければ、後悔で押し潰されそうな心の持っていきどころがなかったのだろう。でもカイ君はそんなことを望んでいなかった。
胸の奥がつきん、と痛んだ。痛みの理由を探ろうとして、ふと気付く。私が蓮君の気持ちをすぐに気づけたのは、自分も同じ感情を抱いたことがあるから――?
でも、なぜ?
肝心な部分がどうしても思い出せない。




