星夜と白茶と思い出と
「失礼します、このへんでお茶とお菓子をいかがですか」
「あっそうだった。さっきお姉さんと一緒にサツマイモクッキー作ったんだよ!」
ぱっと瞳を輝かせるカイ君とは対照的に、蓮君は不安そうな表情を浮かべている。
「でも……俺、お金持ってないし」
「サービスなので大丈夫ですよ。カイ君は蓮君と一緒に食べるのをとても楽しみにしていたんです」
にこにこと頷くカイ君を見て、蓮君も「じゃあ……」と頷いた。
カウンターへ向かった私は、サツマイモクッキーを並べながら燕さんを振り向く。
「燕さん、このクッキーに合うお茶ってありますか」
「そういうと思って準備しておいたよ」
取り出してきたのは、小ぶりな硝子ピッチャーだった。中はよく冷えた、淡い橙黄色の液体で満たされている。
「なるほど、アイスティーですね」
これなら熱いのが苦手なカイ君も大丈夫だろう。ピッチャーに浸していた茶葉を取り出した燕さんが、そうそうと頷く。
「この味には白茶が合うと思ってね。水出しにしてみたんだ」
「白茶っていうと……確か乾燥のみでつくるお茶ですっけ」
大抵のお茶は茶葉を摘み取ったあとに揉みこんだり、発酵させたりする工程がある。でも白茶は風通しの良い場所で、茶葉を乾燥させるだけ。最も自然な方法でつくられるから、茶葉が摘み取ったままの形をしていることが多い。
私はまだ飲んだことがないけれど、苦みや渋みがなくて優しい味がするのだそうだ。
「コクと香りの強い発酵茶だと、クッキーが負けてしまいそうでね。白茶なら互いを引き立てるだろうし、水出しすることでよりまろやかな風味になるから、あの子たちも気に入ってくれるんじゃないかって」
そういって微笑む燕さんを見て、私は胸が温かくなるのを感じた。
彼のお茶の選び方は、いつも丁寧で優しい。ただ美味しいだけじゃなく、みんなが幸せになれるお茶を選んでくれているのがわかるから。
お茶とクッキーをワゴンに乗せてカウンターを出ると、柳さんが待っていてくれた。そういえば彼の断りなく休憩タイムを入れてしまったのを、今になって気づいた。
「すみません柳さん、勝手なことしてしまって」
「謝る必要はありませんよ。あなたのお客様なのですから、あなたが判断すればいいのです」
そう微笑まれ、私は責任の重さを感じつつも嬉しさを感じた。自分の店を大切にしている柳さんが、私に判断を任せてくれたのは、きっとそれなりに信頼してくれたからだ。
大したことはできない私でも、少しは役に立てているのかも……そう思うと、たまらなくほっとする。
出されたクッキーを手に取った蓮君は、物珍しそうに眺めていた。
「これ、ほんとにカイが作ったの?」
「うん! こうやって星をいっぱい作ったよ」
型抜きする動作をカイ君がしてみせると、蓮君が苦笑する。
「それ、型抜きだけやったってことだろ? 俺でもできるし」
「そうなの? 蓮君と一緒にやりたかったなあ」
ぱくりとひとつ口に入れた蓮君は、もぐもぐしながら「うん、美味い」とさらに手を伸ばす。
「このクッキーはサツマイモと小麦粉だけで作っているので、カイ君が食べても大丈夫なんですよ」
私の説明に蓮君はそうなんだ、と星型のクッキーを目の上にかざし、ぽつりと呟いた。
「カイが生きてるときに食べさせてやりたかったな」
蓮君によると、カイ君が病気になったとき、最後はほとんど食事をとれなくなっていたそうだ。
「だんだん食べられるものが無くなって、がりがりになってさ……。こんなことなら、もっと好きなものたくさん食べさせてやればよかったって」
「寿命だったから仕方なかったんだよ。それに今蓮君と食べてるから嬉しい」
ちっとも気にしてない様子のカイ君を見て、蓮君はやれやれとため息をついた。
「なんかすごく落ち込んでる俺が馬鹿みたいじゃんか」
「えっ蓮君は馬鹿じゃないよ?」
「わかった、わかった」
蓮君は苦笑しながら、アイスティーを口にする。
「わ……このお茶初めて飲んだけど、美味しい」
「うん。蓮君と散歩した野原の匂いがするよ」
「言われてみれば確かに。散歩だけは毎日行ってたもんな」
雨の日も、風の日も。
花咲く季節も、雪降る季節も。
「部活で遅くなったときは夜になっちゃうことも多かったけどさ……。俺、カイと星を見るのが結構好きだったんだ」
「蓮君、よく空を見てたよね。僕は星とかよくわからないけど、夜の野原の匂いも好きだったな」
「え、お前も星を見てたんじゃなかったの?」
「僕、遠くのものはあまり見えないんだ」
「なんだよ……一緒に見てると思ってたのに」
脱力する蓮君を、カイ君はにこにこ見守っている。
「最後に行った散歩も覚えてるよ。もうすぐ桜が咲くなって、蓮君言ってた」
「そうだったな。桜が咲く前に、カイが死んじゃったけど……」
そう言って言葉を切ったあと、蓮君は目元をぬぐった。
「俺、カイが病気になっても何もしてやれなかったな」
「そんなことないよ! 僕が動けなくなっても、毎日声をかけてくれたし撫でてくれた。嬉しかったよ」
「父さんや母さんみたいに、看病してやれなかった。俺にだってもっとできることがあったのに……」
「お迎えが来た時も、傍にいてくれたでしょう? だから僕、寂しくなかった」
「でも……っ!」
「ねえ蓮君、笑ってよ」
カイ君はまっすぐなまなざしで蓮君を見つめている。
「蓮君ここに来てから、まだ一度もちゃんと笑ってない。僕は蓮君が泣いていたら悲しい。笑っていたら嬉しいよ」
それ以外に必要なものなんて、ないとばかりに。
「だって、僕は蓮君が大好きだから」
カイ君を見返していた蓮君の瞳が微かに震え、くしゃりと歪んだ。
掠れた涙声が、室内に響き渡る。
「笑えるわけないだろ……っ」
とつぜん大声を出した蓮君を、カイ君は驚いた表情で見つめている。その視線から逃れるように、蓮君は立ち上がって背を向けた。
「俺は逃げたんだ。カイが弱っていくのを見るのがつらくて、耐えられなくて……。忙しいって嘘をついて看病からも逃げた。最低な奴なんだよ!」
「蓮君……」
「もっと怒れよ! 酷い奴だって! 飼い主失格だって!!」
思わず駆け寄った私は、崩れ落ちそうな蓮君を抱きとめた。取り乱した彼は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、喚き散らす。
「なんでだよカイ、なんで死んじゃったんだよ!」
泣きじゃくる蓮君を、私は抱きしめた。
かけるべき言葉は見つからなかったし、たぶん私が頭で考えたことなんて彼の心に少しも響きはしないだろう。
だから今はたくさん泣けばいいと思った。泣いて泣いて、心にうずたかく積もった澱を洗い流してしまえばいい。
しばらくの間、静まり返った部屋に蓮君の嗚咽だけが響いていた。やがてそれも小さくなったとき、そっと近寄る気配を感じる。
「……蓮君、ごめんね」
カイ君の姿が、いつの間にか犬に戻っていた。いまだすすり泣く蓮君の傍に行き、濡れた頬をぺろぺろと舐める。
泣き腫らした目をこすりながら、蓮君はおそるおそるカイ君の頭に触れた。鼻先でちょいちょいと催促され、今度は両手でめいいっぱい撫でる。
「ごめんな、カイ。お前は何も間違ってないのに」
わしゃわしゃされるカイ君の表情は、とてもとても嬉しそうだ。それを見た蓮君は、どこか安心したようにちいさく微笑んだ。
「蓮君、今度は後悔のないようにしないとね」
振り向いた彼は、ためらいがちに問う。
「どうすれば、後悔せずにすむかな」
「難しいことなんて考えなくていい。自分が大切だと思うことを、そのまま伝えてみたらどうかな」
私の言葉に頷いた彼は、小さく深呼吸してきゅ、と口元を引き結んだ。カイ君をまっすぐ見つめるまなざしに、迷いの色はもう感じられない。
「俺、もう大丈夫だから。カイの気持ち伝わった。今はまだ悲しくてうまくいかないけど……ちゃんと笑えるようになるから」
「うん。僕ちゃんと、見てるから。だいじょうぶだよ」
カイ君をぎゅっと抱きしめた蓮君は、もふもふの毛並みに鼻先をうずめる。
届けるのは、一番伝えたかった言葉。
「ありがとな。ずっと一緒にいてくれて。俺もカイが大好きだ!」
カイ君は応えるように、大きくひと鳴きした。
それはとても誇らしげで、見ている私の胸までいっぱいになってしまった。
蓮君を見送ったあとのカイ君は、やっぱり少し寂しそうだった。でもここへ来た時の不安そうな色は、すっかり消え去っている。
「迷いは晴れましたか?」
柳さんの質問に、カイ君はわん!と晴れやかに返事した。
私はカイ君を瑠璃の扉の前へ案内すると、どちらかを選ぶように伝える。カイ君は朔と円の扉を一度だけ交互に見てから、元気よく言った。
「円の扉にするね!」
もう答えはわかっていたのだろう。円の扉の前に立った柳さんが、静かに手をかざし何ごとか呟いた。
彼が身にまとう漆黒の衣装が、瑠璃色に溶け込み輪郭を曖昧にする。
淡い光を見つめる深緋の瞳は、静謐の中に情動を秘めたように妖しく綺麗で。
――ああ、このひとこそ死神なんだ。
なんの疑問もなく、圧倒的な事実だけが目の前にあった。私はただただ、その姿に見入ってしまう。
カイ君を振り返った柳さんは、いつもように艶やかに微笑んだ。
「さあ、いきましょう」
私たちをふんふんと見渡したカイ君は、礼儀正しく挨拶した。
「お姉さんお兄さん、ありがとうございました」
「カイ君、元気でね」
かがんだ私の頬を、カイ君はぺろりと舐めた。
「僕、お姉さん大好きだよ!」
思わず抱きしめてしまった私を、柳さんと燕さんがにこにこと見守っていた。
若杉さんのときは燕さんが見送る形だったけど、今回は柳さんが水先案内人として、幽世まで連れていくそうだ。
ちなみに幽世にいったひとたちは、しばらくそこで過ごしたあと、転生の準備に入るらしい。どれくらいの期間でそうなるのかは、ひとによるんだとか。
いつか生まれ変わったカイ君と蓮君が、出会うこともあるのかもしれない……そんな幸せな可能性を夢見ながら、私は二人の背中を見送った。
「ご来店、ありがとうございました!」




