会いたくてでも
「そろそろ焼けたかな?」
オーブンを開けて確認すると、いい具合に焼き色がついている。材料がシンプルなぶん、焼きすぎるとすぐ硬くなるので注意だ。
天板ごとクッキーを取り出すと、サツマイモの香ばしい匂いがした。バターや砂糖を使っていないので、普通のクッキーほどの甘く芳醇な香りはしないけど、これはこれで悪くない。
隣にいるカイ君の瞳も、分かりやすく輝いていて思わず笑みが零れる。
「味見してみる?」
熱々のクッキーを少し冷まして、カイ君の口に放り込んであげる。しばらくもぐもぐする様子を眺めていると、ぱっと笑顔になった。
「僕、これ好き! 早く蓮君と食べたい」
「そっか、よかった」
ほっと胸をなでおろしていると、同じく味見をしていた燕さんがうなずいた。
「硬めの食感とほのかな甘みがクセになるね。人間が食べても十分美味い」
「そうなんです。この素朴な味が妙に気に入っちゃって、ついぽりぽり食べてしまうんです。かぼちゃやニンジンで作っても美味しいですし、卵を追加しても食感が変わっていいんですよ」
「なるほどね。満月ちゃんにこんな特技があったなんて知らなかったなあ」
なにげなく呟いた燕さんのひと言が、気になった。私は趣味のお菓子作りを一度も燕さんに話したことがなかったんだろうか。
もしそうだとしたら、せっかくカフェに勤めているのになぜなんだろう……。
何かを思い出しそうで、やっぱり出てこない。諦めた私は、まだ温かいクッキーを傍らでずっと見守っている柳さんに差し出した。
「柳さんも食べますか?」
「私はお客様を送り出したあとで、構いません」
「それ、邪魔されずにじっくり味わいたいってことだから」
すかさず通訳する燕さんの隣で、柳さんは深緋の瞳をゆったりと細めた。
「お茶もあなたが淹れてくれますね?」
「あ、まだ上手く淹れられるか……はい。頑張ります」
柳さんの微笑の圧には、逆らえる気がしない。そんな私を見て笑っていた燕さんが、ふと何かに気づいた。
「そろそろ時間だな」
蓮君が眠り始めたのだと気づいた私は、カイ君にそのことを告げる。
「もうすぐ、蓮君と会えるよ」
「やった!」
わかりやすく喜ぶカイ君を見ていると、私まで嬉しくなってしまう。きっと耳をぴんと張って、尻尾をぶんぶん振っているんだろうなあ……なんて想像しながら。
若杉夫婦の時とは違って、今回は燕さんが迎えにいくのだそうだ。柳さんいわく「これは現世での話ですからね。燕の領域です」とのことらしい。
蓮君を待つ間、私はカイ君と一緒にテーブルを飾りつけた。テーブルクロスを空色にしてみたり、カイ君が気に入った花を飾ってみたり。
実を言うと、そうでもしてなければ私の方が落ち着かなかったから。康太さんのときはそうでもなかったのに、なぜか今回は緊張してしまう……。カイ君があまりに無邪気で純粋すぎるぶん、反動のように私が緊張する役目を担っているのかもしれない。
しばらくして、カイ君が何かに反応したように顔を上げた。鼻をひくひくさせ、耳を澄まし、全身を使って何かを察知しようとしている。
「ただいまー」
燕さんの声。その後ろを付いてくる少年を見て、カイ君のすべてが歓喜に湧いた。
「蓮君!!!」
現れた蓮君を見て、私はすごく納得した。細身の体に、黒目がちな瞳……。髪色こそ違うけど、私が見ているカイ君の姿とそっくりだったから。
猛ダッシュで駆け寄ったカイ君を見て、蓮君は目を丸くする。
「えっ……俺と同じ顔?」
「会いたかったよ!」
自分と似た顔をしてはしゃぐ少年を見つめ、蓮君は困惑した表情を浮かべている。どうやら彼にも、カイ君が人間に見えているみたいた。
「えっと……誰?」
「僕、カイだよ!」
「あ……カイって名前なんだ。というかなんで俺の名前知ってんの?」
「ずっと一緒にいたのに忘れるわけないよ?」
きょとんと首を傾げるカイくんに、蓮君はますます戸惑った顔になる。燕さんが苦笑しながらはいはいと間に入った。
「ちょっとややこしいからこうするね」
そう言って蓮君の両眼を覆うように手のひらをかざす。燕さんが手を離したあと、蓮君は目の前にいたカイ君を見て驚きの声を上げた。
「……カイ? 本当にカイなの?」
「そうだよ、蓮君!」
カイ君は撫でて欲しそうに、きらきらした瞳で見つめている。蓮君は一瞬呆けたように固まったまま、動こうとしない。その表情にはなぜか苦いものが含まれていて、てっきり喜びの再会になるとばかり思っていた私は内心で戸惑ってしまう。
それはきっとカイ君も同じだったのだろう。ちっとも嬉しそうにしてくれない蓮君を見て、不安そうにそわそわし始めている。
「カイ君どうしたの? どこか痛いの?」
蓮君はうつむいたまま、首を振る。心配そうに様子を伺うカイ君を見ていると、彼がいつもこんな風に蓮君に寄り添っていたのが手に取るようにわかった。
「蓮君もカイ君もお席に案内しますね。こちらへどうぞ」
さりげなく間に入った私は、二人をテーブルへ誘導した。向かい合わせで座らせ、ひとまずは見守ることにする。
カイ君はどうすればいいかわからないようで、ちらちらと蓮君の様子を伺っている。蓮君はしばらく黙り込んでいたけれど、やがてためらいがちに切り出した。
「カイが俺のこと呼び出したの?」
「うん! 蓮君に会いたいっていったら、お兄さんが連れてきてくれたんだ」
「なんで?」
「蓮君が元気なさそうで、僕心配だったから」
それを聞いた蓮君はまた黙り込んでしまう。心配そうにそわそわするカイ君から視線を逸らしたまま、小さく口を開いた。
「……俺、ずっとカイに謝りたかった」
「えっ? どうして?」
驚くカイ君の前で、蓮君はぽつりぽつりと言葉を続けた。
「中学にあがってから、部活や塾が忙しくて全然構ってやれなかっただろ? 小さいときはあんなに一緒にいたのに……。あとで遊ぼう、今度遊ぼうって思ってるうちに、カイが病気になって……」
いったんそこで言葉を切った蓮君は、苦しそうに顔をゆがめた。
「俺を恨んでるよな。……本当にごめん」
「なんで?」
「なんでって……俺はお前をほったらかしにした酷い奴だから」
「酷い? 蓮君は僕にいじわるしてないよ?」
首を傾げたカイ君は、本当にわからないでいるようだ。蓮君はだんだんと、苛立った口調になる。
「ペットをほったらかしにするのだって、酷いことなんだよ。俺は自分の都合ばっか優先して、お前と遊んでやらなかった。俺にはたくさん友達がいるけど、カイには俺しかいなかったのに……!」
握り締めた拳が、白くなっていた。
きっと蓮君の心の中は、後悔と自責で埋め尽くされているのだろう。そのせいで、目の前にいるカイ君がどんな表情をしているのか気づかないでいる。
蓮君をじっと見つめていたカイ君は、困ったように口を開いた。
「あのね、蓮君。僕は犬だから、そういうのはよくわからない」
「だから――!」
「蓮君と毎日散歩に行くの楽しかった。僕をたくさん撫でてくれて、嬉しかった。おやつをくれて、嬉しかった。歌をうたってくれて嬉しかった。ボールを投げてくれて嬉しかった」
カイ君はひとつひとつ、記憶を確かめるように紡いでいく。
「大きくなった蓮君があまり遊んでくれなくて、寂しいときもあったけど……。恨んだりなんかしないよ」
「……なんで?」
「蓮君のことが大好きだからだよ」
それを聞いた蓮君は目を見開き、唖然とした表情になった。やりとりを見守っていた私は、ああそうかと思い至る。
(カイ君の中にあるのは、蓮君が好きという想いだけなんだ)
どこまでも無垢で、純粋で、まっすぐだからこそ――今の蓮君にはその愛が突き刺さる。
気がつけば、私は二人が向かい合うテーブルへ歩み寄っていた。




