サツマイモのシュガーレスクッキー
思わず上げた声に、柳さんと燕さんがきょとんとした表情を浮かべている。
「すみません、いま犬って聞こえましたけど……」
「うん、言った」
「えっと……誰が犬なんですか?」
「あの子が。見たまんまだと思うけど」
「いやいやいや! 私には人間にしか見えませんでしたよ?」
カイ君に尻尾や犬耳が生えていたわけでもない。まったくかみ合わない会話に困惑していると、柳さんがふむと指先を顎に当てる。
「おそらくですが、死神と人間では魂の見え方が異なるのでしょうね。私たちはあくまで魂の本質を見ていますから」
「えーそうなの? 桐子ちゃんは何も言ってなかったから気づかなかったよ」
今度は燕さんが驚いた様子で、私を見た。
「じゃあ満月ちゃんにはどんなふうに見えているの?」
「12,3歳くらいの男の子です。大人しそうな感じの子ですよ」
「なるほど……。もしかしたら満月ちゃんが見ているのは、あの犬の中にあるイメージが作り出した姿なのかも」
「イメージ?」
「自分に対するイメージなのか、誰かのイメージなのかはわからないけどね。たぶん”迷い”に繋がっている可能性が高いんじゃないかな」
そう言われてもう一度、カイ君の姿を覗き見てみる。やっぱり彼はどう見ても人間の男の子で、犬だと言われてもまったく実感が湧かない。
「外見がどうであれ本質は変わりませんから。いつも通りで大丈夫ですよ」
柳さんは私の顔を覗き込むと、いつも通り微笑んだ。
「では、行きましょうか」
今日は茶器を並べるところまで任されたので、私はカイ君の前でティーカップやポットを順に並べていく。
彼は瞳をぱちぱちさせながら、その様子を見守っていた。
「これは、なんですか?」
「お茶を淹れるものですよ」
カイ君は小さく頷き、鼻先をカップに近づけた。その振る舞いは確かに犬っぽくて、ちょっと和んでしまう。
柳さんが香月茶を淹れる間も、カイ君はじっと黙って見つめていた。そういえば犬って熱いお茶を飲めるんだろうか……なんて考えているうちに、茶葉が柔らかく開いていく。
ふわりと広がった香りに鼻をひくひくさせたとき、カイ君の目がぱっと輝くのがわかった。
「あっこれ、蓮君の匂いだ」
慌てて立ち上がった彼は、部屋のあちこちを歩き回りながら誰かを探している。
(……凄い。まだ飲んでもいなかったのに)
きっとそれだけ、思い入れのある匂いだったのだろう。そして探している相手は、ある程度想像がつく。
「蓮君どこ? どこにいるの?」
「カイ君ごめんね。蓮君はここにいないの」
「そうなの?」
その目にありありと落胆の色が浮かんだ。しょんぼりとうなだれる彼を椅子に座らせ、優しく頭を撫でてあげる。
こうしていると、本当に犬みたいに思えてくる。……いや、柳さんにはきっと犬の頭を撫でる私の姿が見えているんだろう。
「どうしてカイ君がここに来てしまったか、思い出せた?」
彼はどこか遠くを見る目つきになってから、こくりと頷いた。
もう一度部屋のなかを見渡し、残念そうにうつむき、そして何でもないことのように言った。
「僕、死んじゃったんだ」
胸の奥を鷲掴みされたみたいに、『死』という言葉が突き刺さった。ここへ来るのは、生きているひとばかりではない。わかってはいたけれど、自分と同じ迷い魂が死者であるというのは、やっぱり心穏やかではいられない。
私は動揺を悟られないよう、小さく深呼吸した。
「どうしてカイ君は、死んじゃったの?」
「病気。もう寿命だったみたい」
「そうだったんだね……怖くなかった?」
「怖い? どうして?」
不思議そうに首を傾げたカイ君は、ひとつひとつ、言葉を確かめるように話しだした。
「体が動かなくて辛い時もあったけど、みんな優しかったし、痛くなかったよ。お別れするのは悲しかったけど……ずっと前からお迎えが来るのがわかってたから」
「ご自分の命が尽きるときを、受け入れていらしたんですね」
柳さんの言葉に、彼はうんと頷いた。そういえば動物は人間より、自分の死期をよくわかっているという。カイ君も”そのとき”が近いことに気づき、自然と受け止めていたのかもしれない。
「でも蓮君が……」
そこまで言って、目を伏せた。
「僕がいなくなって、すごく落ち込んじゃった。部屋にこもったまま、学校にも行けなくて……。本当は天へ上がらなきゃいけないのに、僕は心配で心配で、どうしようって思ってたらここに来てた」
「そっか……蓮君のことが心配で、離れられなかったんだね」
うなだれるカイ君の頭を、私はもう一度撫でた。きっと賢く、愛情深い犬だったのだろう。それだけに、蓮くんの心の傷が想像できてしまう。
「貴方はこれからどうしたいですか?」
柳さんの問いかけに、カイ君は困ったように私たちを見上げた。
「わからない……どうすればいいかな?」
「そうですね。蓮様にここへ来ていただくのはどうでしょう」
「えっ蓮くんに会えるの?」
まんまるに見開いた瞳が、わかりやすく輝いた。にこりと頷いた柳さんに、待ちきれない様子で言い募る。
「会いたい! 蓮君に会わせて!」
いったんカウンター奥へ戻った私たちは、これからのことを話し合った。
「蓮君はアン・レジーナガーデンから連れてくるんですか?」
燕さんや桐子さんが行き来している扉を使えば、ハザマへ連れてくることは可能なはずだ。
「いいえ。今回は中身だけを呼び出します」
「俺たちにとって、魂を呼び出すのは本業みたいなもんだから」
二人の説明を聞き、私は疑問に思ったことを口にする。
「いきなり魂が抜けて、蓮君の体に影響はないんですか」
「肉体の意識はなくなるけど、魂との繫がりを切るわけじゃないからまた戻れる。しばらく魂がどっか行ってても、気づかれないタイミングを狙うのがベストだけどね」
「そうか……眠っているときですね?」
燕さんは「正解」と言ってから、「蓮君が眠るまでまだかかりそうだから、待つしかないかな」と付け加えた。
「わかりました、カイ君にもそう伝えますね。それと……待っている間に、お菓子を作ろうと思うんです。カイ君と蓮君が食べられそうなものを」
「ええいいですね」
即答した柳さんに、燕さんがはいはいと言いやる。
「兄さんは満月ちゃんのお菓子を食べたいだけだろ」
これは多めに作っておかなくては……私は失敗しないよう、こっそり祈っておいた。
燕さんに頼んで材料をそろえてもらい、私はカイ君と一緒にお菓子づくりを始めた。
「カイ君も食べられるように、今回は砂糖なしのクッキーを作ろうと思うんです」
「なるほど。でも砂糖なしだと味気ないんじゃ?」
燕さんはそう言ってから、「あ」と思い至った顔になる。
「そのためのこれね」
指し示した先には、今回のメイン食材であるサツマイモが並んでいる。
「はい。昔犬用に作ったことがあるんですけど、人間が食べても美味しかったので、また作ってみようかなと」
誰のために作ったとかは忘れているんだけれど、美味しかったことだけは覚えている。こういう不思議な感覚も、ずいぶん慣れた。
「サツマイモおいしい。おやつで食べたことある」
カイ君はサツマイモに鼻を近づけ、嬉しそうに髪の毛を弾ませた。
私は皮をむいたサツマイモを適当な大きさに切って、蒸し器でふかした。もうもうと上がる蒸気には、ほっこりと甘い香りが混じり始める。
柔らかくなった芋を潰し、そこに小麦粉とオリーブオイルを加えて混ぜていく。材料も工程も、至ってシンプルだ。
「あとはこれを伸ばして型を抜いて焼くだけです」
「へえ、半分以上がサツマイモなんだね」
手伝ってくれていた燕さんが、器用に生地を伸ばしていく。
「はい。なのでサツマイモの味がものを言うんですけど……。燕さんが準備してくれた二種類のサツマイモ、ふかしたのを少し味見してみたら美味しくて」
「だろう? 細長い方が鳴門金時でほくほく系、シルクスイートはしっとり系で甘みが強い。どっちも美味しいから両方試したいよねって」
カイ君はにこにこしながら生地を星型にくり抜いている。ちなみに柳さんはというと、こういう時は大抵楽しそうに様子を見守っているだけだ。(燕さんには柳さんに絶対手を出させるなと言われている)
オーブンで焼き上げる間、カイ君に蓮君の話をしてもらった。
初めて蓮君の家に来た日のこと。
まだ小さかった蓮君は、カイ君を怖がって泣いてしまったこと。
蓮君のお父さんが、カイ君の名前をつけてくれたこと。
大きくなった蓮君といつも一緒に遊んで、一緒に寝ていたこと。
カイ君は蓮君のことが大好きだったこと。
まるで兄弟のように暮らしてきたふたりの姿が、目に浮かぶようだった。




