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空中喫茶香月〜あなたの迷い、月香るお茶で紐解きます〜  作者: 久生夕貴
第三章 サツマイモの星くずクッキーと宵待ち白茶
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意外な来客

 私の呟きに、男の人がはっとしたように振り向いた。年齢は二十代後半くらいだろうか、優しそうな目元がじっとこちらを伺っている。


「あ……驚かせてしまってごめんなさい。風鈴の音が聞こえてきたもので、気になってしまって」

「……この音が聞こえたの?」

 相手は手に持っていた風鈴を、私の前にかざす。赤い金魚が描かれたそれを見て、私は頷いてみせた。

「最初は何の音かわからなかったんですけど……。風鈴の音って案外遠くまで聞こえるものなんですね」


 彼は少し目を見開いて沈黙していた。不思議に思い「あの……」と声をかけると、相手は我に返ったように微笑む。


「そうだね、僕も驚いた。ええと……君はどこから来たの?」

「草原にある浮島です」

「ああ香月か……じゃあ君はあそこの客ってことなんだ」

 そう呟く彼は、納得したような複雑な表情を浮かべている。

「香月を知っているんですか?」

「ここの住人であそこを知らない人はいないよ」


 そうだったんだ……全然知らなかった。そもそも香月以外を知らない私に、ハザマの事情など分かるはずもない。


「どうしてここに来てしまったのか、思い出せていないんだね」

 視線を上げると、彼がこちらを見つめていた。なぜだろう……この人の目を見ていると、安心と不安が入り混じるような、変な感覚がする。


「香月茶を淹れてもらったんですけど、だめで……。早く思い出せたらって思うのに、どうすればいいのかもわからなくて」

「そう……」

「あの、コツとか知りませんか?」

「え?」

 虚を突かれたように瞬きをする彼に、慌てて手を振る。

「すみません。いきなりこんなこと聞かれても困りますよね」


 初対面の相手に何を聞いているんだろう。この人が何者なのかすら知らないのに、自分でも信じられない。

 彼は紺碧の水面へ視線を映してから、呟くように言った。


「そうだな……コツは僕にもわからないけど、思い出せない理由ならたぶん分かるよ」

「えっそうなんですか? ぜひ教えてください!」

 食い入るように頼む私は、きっと切実さがにじみ出ていたのだろう。彼は苦笑をにじませながら、はっきりと告げた。


「君が思い出したくないと思っているから」

 

 予想外の返答に、私は固まってしまう。冗談かと思ったけれど、彼の静かなまなざしは、ふざけているようにも見えない。

「そ……そんなはずはありません。今だってこんなに必死なのに……」

「うん。その気持ちは本当だと思う。でも君の心が『思い出したくない』と強く感じているのも、嘘じゃないはずだよ。よく考えてみて」


 そういわれてみると、記憶の欠片に手が届きそうになったとき、思考がシャットアウトしてしまったのを思い出した。

 あの時は深く考えなかったけれど、確かに私は怖いと感じているのかもしれない。

 思い出したいけど、知ると何かが壊れてしまいそうで――。


「私、どうすれば……」

 縋るように見上げた先で、彼は穏やかに笑んだ。

「大丈夫。向き合う勇気が持てれば、きっと思い出せる」


 彼のなだらかな声は不思議と私を安心させた。もっとこの人と話していたい……そう思ったとき、耳元でぷいぷいとアオが鳴いた。

 はたと我に返る。


「私そろそろ、帰らなくちゃ。黙って出てきてしまったし」

「ああそれは早く帰ったほうがいいね」

「すみません、話を聞いてくれてありがとうございました。私、満月っていいます」


 彼は小さく頷くと、手に持っていた風鈴を差し出した。


「これあげる」


「えっ……いいんですか?」

「僕にはもう必要ないから」

 そう言って彼は立ち去る素振りを見せる。


「あの……また会えますか」

「僕が必要なときはその風鈴を鳴らして」


 そう告げると、彼はそのまま姿を消した。受け取った風鈴を見つめ、ぽつりと呟く。

「……名前、聞きそびれちゃったな」

 でも彼とはまた会える気がする。私はなぜだか、そんな気がしていた。


 ■


 浮島に戻ると、柳さんと燕さんが香月の外でうろうろしていた。

 私の姿に気づいた燕さんが、ほっとした様子で駆け寄ってくる。


「ああ満月ちゃん、よかった」

「何かあったんですか?」

「いやいや、満月ちゃんが急にいなくなったから探してたんだよ」

「えっ」


 思わず柳さんを見ると、とげとげしい視線とぶつかる。これは……たぶん、怒っている。


「黙って出て行ってすみません。ちょっと浮島の外に出てみたくなって……」

 慌てて謝ると、燕さんは苦笑しながら私の頭をぽんぽんとやる。

「まあ柳の神使がついてるから大丈夫だとは思うけどね。念のため、今度からは声をかけてくれると助かるよ」

「はい……気をつけます」


 思った以上に、心配をかけてしまったようだ。ずっと黙り込んでいた柳さんが、小さく吐息を吐いた。


「外出は構いませんが、今のあなたは不安定な状態だということを忘れないでください」

 それだけいうと、奥に引っ込んでしまう。彼の背を見送りながら、おずおずと燕さんに問いかけた。


「柳さん怒ってましたよね……」

「あー……あれはね。怒っているというより、心配してたんだよ。満月ちゃんの前では見せないけど、さっきまでずっとそわそわしてたし」

「……ええ?」


 あの柳さんの落ち着きないところなんて、まったく想像できない。きっと目をまん丸にしていたのだろう、燕さんが私の顔を見てさも可笑しそうに言った。


「ああ見えて、嫉妬深いんだよ兄さんは」


 嫉妬……? 燕さんが何を言っているのかわからないけど、今後は黙って外出するのは止めることにしよう……。柳さんのとげとげしい視線は結構堪えるものがある。


「それで、島の外では何か見つかった?」

 燕さんの質問に、私は湖であったことを正直に話した。何となく黙っておきたい気もしたけれど、心配かけた以上、ちゃんと報告するのが筋だと思ったから。

 話を聞き終えた燕さんの表情は思った以上に硬い。


「満月ちゃん。その男にはもう会わない方がいい」

「えっ……どうしてですか」

「ハザマの住人は、ひと癖ある奴が多い。ここの存在理由を考えると、わかるだろう?」


 返す言葉がなかった。

 ハザマに存在するのは、私のような迷い()とそれを管理する死神のみ――そう聞いていても、どこか実感がなかった。でも実際は二人があれほど心配するくらい、危険なことだったのかもしれない。


「そいつがどういう目的で近づいてきたのかもわからないし、警戒するに越したことはないよ」

「……はい」

 あの人へ無防備に声をかけたことを、素直に反省した。悪い人には見えなかったけれど……。


 それから私は店内の掃除をして、お茶を淹れる練習をして、燕さんとたわいのない話をした。

 柳さんは二階にこもりっきりだったので、お茶でも持っていこうかと迷っていると、来客を知らせる音が鳴り響いた。

 ゆっくりと開いた扉の向こうに現れた人物を見て、私は一瞬言葉を飲み込む。


(子供……?)


 見たところ、12、3歳くらいだろうか。明るい茶色の髪をした、細身の男の子だ。

「ようこそ、空中茶廊香月へ」

 声をかけると、相手はびくりと固まった。黒目がちの瞳が不安そうにこちらを見つめている。


「あっあの……僕、どうしてここにいるのかわからなくて」

「大丈夫ですよ。皆さまそうおっしゃいますから」

 にこりと微笑みかけると、彼は困惑した様子で沈黙している。


「失礼ですがお名前を伺ってもよろしいですか?」

「あ、えっと……カイ、です。」

「カイ様ですね。苗字はおわかりになりますか?」

「苗字? それはなに?」


 きょとんとした表情のカイ君を見て、私は瞬きをした。どうやら冗談で言っているわけではなく、本当に質問の意味がわからないみたいだ。


(もしかしたら記憶が曖昧なのかも)


 ここでは珍しいことじゃないし、私もそれ以上尋ねることはせずカイ君を席へ案内する。

 しばらく彼は所在なさそうにうろうろしていたけれど、私が香月茶を準備するので待つように伝えると、大人しく椅子に座った。

 その様子をこっそり見守りつつ、私はカウンターへと向かう。


(まだ子供なのに……何があったんだろう)


 ハザマに迷いこんでしまうほど、悩みがあったんだろうか。もしそうだとしたらやるせない。

 もやもやした気持ちを抱きながらカウンターへ入ると、いつの間にか降りてきていた柳さんが、準備を始めている。その奥にいた燕さんが声をかけてきた。


「お疲れ満月ちゃん。あの子、どうだった?」

「自分の名前は憶えていました。でも苗字は覚えていないというか、苗字そのものがわからないみたいで……」

「まあ仕方ないだろうね。犬だし」

「えっ!?」

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