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空中喫茶香月〜あなたの迷い、月香るお茶で紐解きます〜  作者: 久生夕貴
第三章 サツマイモの星くずクッキーと宵待ち白茶
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湖での出会い

 香月で働くようになって、あっという間に二週間が経った。

 昼も夜もなく、時の流れが曖昧なハザマでなぜそれがわかるかというと、桐子さんの存在だ。

 桐子さんは週に5日ここへ来ているそうで、彼女と会うのが6回目になったとき、一週間が経ったことになる。


(と言っても私に同じ時間が流れているかどうかは、わからないのだけど)


 香月を訪れる客は思ったほど多くない。一日一組あればいいほうで、まったく来客がない日もある。

 柳さんが言うには、迷い魂たちが行きつく先は他にもあって、香月に適した客だけがここにたどり着くからなんだとか。

 ちなみに今、私たちはテーブルを囲んで”あるお茶”を飲んでいる。


「ま……不味い……」


 吐き出すのをなんとか堪え、私は口に入れたお茶らしきものを飲み込んだ。桐子さんも顔をしかめながら、ティーカップを皿に置く。


「初めて飲みましたけど、フォローのしようがないほど酷いですね」

「ね? 俺の言ったとおりだろう」

 机に突っ伏す私を見て、燕さんが愉快そうに笑った。


「柳が淹れた普通のお茶は、冗談抜きで不味いんだって」


 今になって、燕さんが頑として飲まないと宣言していた理由がわかる。目の前にある紅茶は見た目こそ普通なのに、とんでもなく酷い味がする。


「でもおかしいですよ、これほど不味くなるなんて」


 普通、どんな人が淹れてもそれなりに飲めるはずなのに。柳さんの手を通して、味が変わってしまっているとしか思えない。

 淹れた張本人は軽く小首を傾げると、困ったように微笑した。


「きっと香月茶に嫉妬されてしまうのでしょうね。なかなか気難しいお茶ですから」


 そんなことがあるのかと思ったけれど、なんとなく腑に落ちてしまう。確かにあのお茶は、まるで生きているかのようだった。


「ま、そんなわけで普段飲むお茶は俺が淹れてたんだけど。満月ちゃんも覚えてくれるなら助かるよ」

「そうですね。いちいち燕さんを探す必要もなくなりますし」

 そっけなく頷く桐子さんに、燕さんがだよねえと肩をすくめる。


「兄さん味にうるさいくせに、自分で淹れられないからさあ」


 ちなみに桐子さんはお茶の味に疎いらしく、柳さんのOKが出なかったそうだ。私が練習したところで納得してくれるのか、まったく自信ないんだけど……


「頑張ってみます……あ、でも私香月茶も覚えてもらうって柳さん言ってましたよね。それだと私も普通のお茶を美味しく淹れられなくなるんじゃ……」


 それはかなり、困る。こんな酷いお茶を誰かに出したら怒られる程度じゃすまなそうだし、自分で淹れるお茶が飲めないほど不味いのはどう考えてもツライ。


「それは香月茶との付き合い次第でしょうね。私の気は、香月茶と深く同調してしまうのです。ですがそこまで同調しなくても、香月茶は淹れられますので」

「そういうものなんですか……」

 柳さんがそういうなら、信じるしかない。なるべく燕さんの負担を減らせるよう、練習を重ねよう。


 (……って、私すっかり記憶が戻らない現状に馴染んじゃってる)


 最初の頃こそどうすれば思い出せるのか悩んでいたけれど、今ではなるべく考えないようにしている自分がいる。

 このままじゃいけないとわかってはいても、今の私にできることは限られているし、結局のところ仕事に打ち込んでいるときが一番落ち着いてしまう。

 ふと顔を上げると、柳さんと目が合った。気恥ずかしさから軽く会釈をして、目を逸らす。

 彼のまなざしは、私の中を見通すように遠慮がない。自分の見たくない部分を暴かれそうで、私はいつも怖気づいてしまう。

 いつかあの深く紅い瞳に、向き合えるときが来るだろうか――


 その後桐子さんが時間だと帰っていったので、私もしばらく休憩時間をもらった。

 といってもそんなにやることがないので、いつもは燕さんのお茶づくりを手伝ったり、お茶を淹れる練習をしたり、お菓子作りをしたり……。特にお菓子作りは若杉さんと一緒に料理をしたのがきっかけで、作れることを思い出したのが大きい。

 紅茶や青茶に合うショートブレッドやスコーンをなんとなく作ってみたところ、柳さんがやたら気に入ってくれたので、最近は作り置きするようにもなった。大して腕に自信があるわけでもないけれど、食べた人に喜んでもらえるのはやっぱり嬉しいものだ。

 今日も何か作ろうかと考えていたところで、ふと香月の外へ出てみたいという気持ちになった。

 ここへ来たばかりの頃は自分の状況を受け容れることと、仕事を覚えるのに精いっぱいで他のことを考える余裕がなかった。少しずつ慣れてくるにつれ、外のことが気になり始めていたのもある。

 香月の玄関扉を開くと、青いバクがとてとてと足元にまとわりついてきた。


「わかった、わかった。アオも一緒に行こうね」


 眠そうな顔でぷいぷいと鳴くアオ(と私が名づけた)を肩に乗せ、私はひとまず庭へ出てみた。

 香月の外は相変わらず仄暗く、空鏡蝶がそこかしこで青い光を散らしている。

 いつもなら店の裏にある薬草園へ向かうけれど、今日は庭園の方へ行ってみることにした。庭園の管理も桐子さんがやっているので、ちゃんと足を踏み入れるのは今日が初めてだ。


「やっぱり素敵だなあ……」


 店の中から見た時も感じたけれど、近づいてみるとここの植物が丁寧に育てられていることがよくわかる。見たことのない花や木々がバランスよく植えられ、色も大きさも邪魔し合っていない。

 庭師としての桐子さんの腕前に感動していると、ふいに視線を感じて振り向く。


「誰かいるの?」


 辺りを見渡してみても、人影らしきものは見当たらない。気のせいかと思い庭園から出ようとしたところで、聞きなれない音が響いた。

 

 ちりん、ちりん。


「なんだろう……?」


 楽器の音色のような、そうでないような。どこか懐かしさを感じるその音は、風の音に紛れてどこからか聞こえてくる。

 気になった私は庭園から出て音の出所を探してみると、どうやら浮島の外で鳴っているようだ。私は思い切って、下へ降りてみることにした。


(外出が禁止されているわけでもないし、アオもいるからいいよね)


 階段を下って耳を澄ますと、まだ音は聞こえている。辺りを見渡してみるけれど、草原が広がるばかりで音の出所は見当たらない。

 一瞬ためらいはしたものの、私は音が鳴っている方向へ、導かれるように歩き出した。

 しばらく歩いていると、草原が途切れて湖が現れた。ずいぶん大きい湖のようで、端がどこまであるのかよくわからない。

 水辺には硝子のように透き通った花が咲いていて、その周りを銀色の鱗粉を纏う蝶が舞っている。香月とはまた少し違う幻想的な雰囲気で、私はしばらく見とれてしまう。

 ちりん。

 すぐ近くであの音がした。慌てて周囲を見渡すと、奥の水辺に男の人が立っている。すぐに気づかなかったのは、仄暗い中、彼が身に着けている着物が柳さんのように黒かったからだ。

 ちりん。

 その人の手元で、またあの音が鳴った。目を凝らした私はようやくその音がなんだったのか理解する。


「風鈴だ」

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