婚約者に裏切られ処刑された令嬢は、二週目の人生で本当の幸せを掴みます
「――マリー・アストリーを殺せ!」
民衆が興奮と怒りに満ちた表情を浮かべながら叫びます。
彼らは今か今かと待ちわびているのです。
私が死ぬ瞬間を。
私の首が、処刑台のギロチンにかけられる瞬間を。
公開処刑――これが、私の最期。
「ど、どうしてこんなことに……」
思い返せば、何一ついいことのない人生でした。
それもこれも全て、婚約者のギル・オーギュストのせい。
幼少期、互いの家族の話し合いで婚約者となったギル。
彼は私を下僕のように扱い、婚約者らしいことは何一つしてくれませんでした。
そして最後には、私が別の殿方と浮気した……という嘘の証拠をでっち上げられ、社交界の場で婚約破棄を宣言されたのです。
私の反論は誰にも聞き入れてもらえず、アストリー伯爵家の評判は地に落ちました。
何をしても後ろ指をさされ、陰で笑われる毎日。
我が家の権威を取り戻そうと焦った父は――犯罪に手を染めました。
横領、犯罪組織との癒着……殺人の関与まで。
その全てが白日の下に晒されると、アストリー家は捕らえられ、次々に処刑されました。
公開処刑という、貴族に不満を持つ民衆の熱を抑えるためのパフォーマンス。
「わ、私が……私が何をしたというんですかぁ……ううう」
二十四で、この世に別れを告げることになるなんて。
ただ、普通に生きられれば良かったのに。
死にたくない――しかし、そんな思いなど聞き入れてもらえるはずも無く。
「処刑台に立て」
処刑人が、私に歩くように指示します。
目の前にはギロチンーーそして民衆たち。
「あ、あぁ……か、神様……」
私は神に祈りながら、自分の首をギロチンに通し――。
***
「きゃああああああ! ……って、あ、あれ?」
暖かい朝の光を浴び、私は目を覚ましました。
「え? ええっ? ど、どういうことですか?」
私は間違いなく公開処刑されようとしていたのに。
けれど、今は自分の部屋にいます。
……ゆ、夢?
いや、夢というにはあまりにも現実的すぎます。
処刑されるまでの記憶をしっかり覚えています。
婚約者にこき使われ、孤独な学園生活を過ごした苦しみ。
社交界を追い出された後、父に殴られた時の悲しみ。
すべて鮮明に覚えています。
「うう、嫌な記憶ばかりです……ん?」
喋っている自分の声が、いつもより高いことに気が付きました。
その瞬間、私にある一つの仮説が浮かびます。
「ま、まさか……これは」
私は思い立ち、急いで部屋にある鏡の前に立ちます。
「う、嘘――」
鏡に映っているのは唖然とした表情を浮かべる、幼少期の私。
身体も、服も……そもそも、私の部屋が、子供の時の状態でした。
つまり。
「か、過去に戻った、のでしょうか?」
突拍子もない話ですが、状況を整理すると、そうとしか考えられません。
過去に戻るだなんて、そんな摩訶不思議なことが存在するのでしょうか。
いえ、もしかしてこれは……神様が私にくださった奇跡なのでしょうか?
人生をやり直し、死の運命を回避せよ、ということなのでしょうか?
き、きっとそうです!
神様が、私に慈悲を下さり、奇跡を起こしてくださったのですね!
「あ……あああ、あ、ありがとうございます! ありがとうございますううう!!」
私は、どこにいるのかも分からない神様に頭を下げ、お礼を言い続けました。
***
過去に戻り、一時間が経過した頃。
部屋にノックの音が響きます。
「いつまで部屋にいるつもりだ!」
「ひ、ひぃ⁉ お、おと、お父様……」
不機嫌そうな顔の父が入ってきます。
「今日はオーギュスト公爵家の嫡子、ギル様がお越しになる日と伝えたはずだが」
「え」
そ、そんな……よりにもよって、婚約者と初めて会うことになる日……悲劇が始まった瞬間に戻ってきたのですか。
「ギル様はまもなく到着される。すぐ準備しろ」
「は、はい……」
父は険しい顔つきのまま部屋を去りました。
予定を忘れていた私に苛立っていたようですが、過去に戻った私からすれば、十数年前の予定です。
覚えろというのが無理な話です……まあ、そんなことは誰にも言えませんが。
「け、けれど、これは逆にチャンスかもしれません」
ギルとの出会い――これをうまく処理すれば、ごく普通の人生を送れるはずです。
あの時は、私が物静かな子供だったから、彼に付け込まれてしまったのです。
でも、過去に戻った私は、幼少期の彼とは一回りも年齢が違います。
そうです!
強気に出て彼を怯ませてやりましょう。
「ふふふ……」
そうすれば、晴れて処刑への道のりは――処刑ルートは回避です。
***
「はじめまして。ギル・オーギュストといいます」
彼との初めての顔合わせの時間。
金髪で爽やか笑顔を浮かべていますが、将来的には、彼のせいで殺されてしまうことになります。
強気に出る。
そう言った私の第一声は――
「は、はじ、はじめ、まましてえぇ! ま、まま、マリー・アストリーですううぅ!」
大失敗でした。
彼の顔を目にした瞬間、過去のトラウマが蘇り、頭が真っ白になったのです。
「……あ、ああ、よろしく」
ギルは若干動揺しているようでした。
「……さて」
父は私の様子に呆れながらも、構わず彼と話を進めていきます。
「いずれは婚約者となり、両家の発展を――」
などと言っていますが、将来、ギルによって汚名を着せられることになるとは、知りもしません。
しかし、父には何か言ったとしても信じてもらえるわけがありません。
私はただ時間が過ぎるのを待つしかありませんでした。
父の話が終わると、二人で交流でもどうか、という言い、その場から退出してしまいました。
「ねえ、マリー?」
「へ?」
「なんで震えてるの?」
「き、緊張で……」
「ふーん……ちょっとキモイね」
二人きりになった途端、辛らつな言葉を浴びせられましたが、反応する余裕もありませんでした。
ギルの顔を見ると、過去のトラウマが、私の頭を駆け巡っているのです。
「す、すみません、ご迷惑を……」
「はあ、こんな奴と婚約者なんて……」
そう言って、ギルはため息をつきます。
やはり彼は、昔からこのような人間なのですね……初対面にも関わらず悪態をついてきます。
「ていうか、君の父親も気が利かないね。食べ物の一つも無いなんて。こっちは数時間かけて来てあげているというのに」
「は。はぁ……」
「ねえ、なんか食べるモノでも持ってきてよ」
「え……」
「早くしてよ。僕の言葉に従えないの?」
「わ、わかりました……」
こうして――私はまたしても彼にこき使われる日々が始まってしまいました。
***
ギルは一週目の人生と同じく、度々屋敷に訪れるようになりました。
父が居る場では愛想よく取り繕っていますが、二人きりになるとその本性を露わにして、私にいろいろな命令をしてきます。
自分の代わりに課題をしろ、面白いものを持ってこい、高価なものを寄こせ……態度だけは立派な公爵様でした。
このまま従い続けていても、過去に戻った意味がありません。
しかし、彼を前にするとどうしても身体が震えて、何も言い返せなくなってしまいます。
臆病な自分が嫌になりそうでした。
「ああ、今日もあの人がやってきます」
私は、屋敷内の庭園の奥地に座り、自己嫌悪に陥っていました。
「過去に戻っても、駄目なんですね……」
気弱で臆病な性格は、何一つ変わらないみたいです。
それどころか悪化しているような……。
「ん? 何だお前は」
「ひ、ひゃああああぁ⁉」
男の子の声がして、驚いて振り返ると、そこには使用人の服を着た少年が居ました。
一つか二つくらい年上で、真っ黒な髪に、鋭い目がこちらをじっと見つめています。
整った顔……物語に登場するような美男子のようで、眺めているとぽうっとしてきました。
しかし彼は、私のことを目を細めて睨みつけてきます。
「あ、あなたは……だ、誰ですか?」
「……ウォルト・ストレイス。以後お見知りおきを――マリーお嬢様」
「は、はい。こちらこそ、初めまして……」
そう言うと彼は、むっと口をとがらせて言いました。
「チッ、これだから貴族は……つい先月に自己紹介はしたんだがな、庭師見習いとして」
前と言われても、私からすれば約十年前の出来事です。
しかし、このような同世代の男の子が使用人に居たなんて、全く知りませんでした。
「ご、ごめんなさい。私、この頃物忘れが激しくて……」
「年寄りか」
「ひ、ひい……」
あんまりな物言いです。
初対面の少年にまで辛らつな言葉を浴びせられるなんて……。
その事実は私の心に深く突き刺さりました。
私……精神年齢は二十四のはずなのに……何だかもう消えてしまいたい。
「で、お前は何をしているんだ」
「な、何も……ただ一人になりたかっただけです」
「こんな日当たりの悪いの場所にわざわざ来るなど、物好きだな。お嬢様なら、屋敷の中で優雅に過ごしていればいいじゃないか」
「屋敷には今……父が居るんです」
「……よく分からんが、一人になるなら別の場所に行ってくれ。今から庭の手入れをするんだ。そこにいると邪魔だ」
……では私の居場所はどこにあるのでしょう。
もうこの世界には存在しないのでしょうか――。
神様はそれを教えるために私の過去に戻したのでしょうか。
あまりにも残酷な仕打ちです。
そんなことを思うと、涙がポロポロと零れてきました。
「うぅ……すみませんでしたぁ……」
「な……おい、なぜ泣く」
「……ぐすっ」
私はみっともなく、顔をくしゃくしゃにして泣いてしまいました。
「分かった。落ち着くまでここに居ていい。だから泣くな」
「す、すみません……」
「悪かった。少しきつく当たり過ぎた」
「え……?」
ウォルトさんは、バツが悪そうに言います。
「元々、この屋敷はアストリー家のものだ、その跡取りのお前がどこにいようと、使用人がとやかく言える話じゃない」
「そんなことは……仕事の邪魔をしてしまったのは私ですし」
「とにかく悪かった、泣かせるつもりは無かった」
彼はそう言って頭を下げました。
私のはその姿を見て、少し安心感を覚えました。
怖い人かと思いましたが、ちゃんと謝ってくれる方なんですね。
そのことが分かると、すぐに涙も引っ込みました。
「別にいいですよ……というか、泣いていたのは別の理由なので……もう、忘れてください」
「せめてもの詫びだ。愚痴なら聞いてやる」
「え……いいですよ」
「いいから話せ」
な、何でしょうこの人は……悪気はないようですが、変わった方ですね。
ぶっきらぼうな態度ですが、面倒見が良いなのでしょうか。
「で、では少しだけ……」
そして私は、自分が二週目であることは伏せた上で、私を下僕のように扱う婚約者について話しました。
「オーギュスト家の跡取り、か……何度か見かけたが、そんな奴だったとは」
「なにも言い返せない自分が惨めに感じるんです……」
「簡単だ。言い返せないなら、行動で示せ。一発殴ってみれば、向こうも態度を変えるだろう」
「で、できるわけないじゃないですかぁ!」
「なぜだ」
ウォルトさんは真顔でそう問いかけます。
本気なのですか、この人は……。
「そんなことをすれば、報復されるに決まっていますよ」
「少なくとも婚約関係は解消できるだろう」
「ぼ、暴論です……」
「ふん、臆病者め」
「う……仮にも貴族と使用人なのに……」
「下らんな。そんなもの、ただの生まれの違いだ。生まれで上と下を分けるのがそもそもおかしい」
「で、では、何をもって分けるのですか?」
「年齢だ。俺はお前よりも年上だから、敬語など使わなくて当然だ」
……庭師としてやっていけるのか不安な考え方です。
お客様の道案内をする時はどうするのでしょう。
「む、無茶苦茶ですよ……まあ、別にいいですけれど」
「冗談だ……まさか受け入れるとはな。面白い奴だな、お前」
「は、はぁ。あ、ありがとう、ございます?」
良く分かりませんが、褒めてくれました。
褒められることが滅多に無いので分かりませんが、こういう時は、素直にお礼を言っておけばいいんでしょうか。
「殴る話は無しにしても、まずはそのビビりな性格を何とかしろ。仮にも伯爵令嬢だろ。使用人にこれだけ言われて言い返せない奴なんて、お前くらいだ」
「うう、それはそうなんですけどぉ……」
褒めたと思えばこのセリフです……というか、口が悪いのは自覚しているんですね。
「――マリー、いないのか?」
ウォルトさんと話を続けていると、近くからギルの声が聞こえました。
話をしている間に、彼が到着してしまったようです。
「や、やってしまいました……か、完全に遅刻です」
「どうするんだ?」
「と、とりあえず隠れましょう」
「消極的だな……」
急いで庭の垣根の角に身体を隠します。
ウォルトさんが前に居るので、ギルのいる方角からはちょうど見えずに、私からは見える位置です。
ギルはウォルトの姿を目にすると、彼のもとに近づいてきました。
「……やあ、君、使用人の子?」
「ああ、そうだ」
「この先でマリーを見なかったか?」
「……いや、見てないな」
ウォルトさん!
私を助けてくれたんですね、ありがとうございます!
彼の優しさに、胸が熱くなるのを感じながら、二人の様子を伺います。
「そう……ところで君、言葉遣いがなってないね。僕は貴族で、君は使用人だよ?」
あ……やはり指摘されてしまいました。
流石、態度だけは公爵級の男です。
「それが何だ」
「何だと……貴様の雇い主に報告してもいいんだぞ」
「……」
「嫌ならば、地べたを這いつくばって土下座しろ」
信じられないくらい酷い発言です。
ウォルトさんの態度にも問題が無くも無いですが、それでも度を越えています。
この言葉でウォルトさんが鬼のような表情が変わり、一触即発の雰囲気……そそくさと逃げ去りたいですが、彼のことが心配です。
「……それでお前の気が晴れるのか?」
「き、貴様ぁ!」
ギルの手がウォルトの顔に近づきます――危ない!
「あ、あの、あ――あの!」
私は呂律も回らないほどテンパりながら、ギルの前に姿を現わします。
「す、すみません、ギル様。お、お待たせしました。少し別の用事があって……」
「……君、この使用人と話をしていたのか?」
「え、な、何のことでしょう……」
「白々しい! なぜお前は俺を出迎えもせずここに居る! こいつと話していたからじゃないのか! 僕と婚約者になろうというのに、他の男と話をするなど――」
突然のギルの激昂に、血の気が引いていくのを感じます。
「え、あ、その、か、彼とは何も……」
「もういい――君のような人間の婚約者になるなど、僕のプライドが許さない! 今から君の父に伝えるよ。君がいかに不出来な人間かということを。そして君はこの使用人と仲良くしていればいい。来い!」
「う……わ、分かりました」
とんでもない方向へ話が進んでいってしまいました。
こちらとしては、願ってもない話ですが……父に恐ろしいほど叱られる未来が見えます。
やはりこの人は最悪です。
「おい! 命拾いしたな、この貧乏人!」
「……」
ウォルトさんはギルが侮辱する言葉を黙って聞いていました。
ギルの後を追いながら、私はウォルトを横目でちらりと見ます。
彼はギルではなく――私のことをじっと眺めている、そんな気がしました。
屋敷へと戻ると、ギルは父の前で、私との婚約を辞退すると伝えました。
父は呆然自失となり、私のことなど眼中にありませんでした。
おそらく、オーギュスト公爵には様々な根回しをしていたのでしょう。
それが、ギルの一言ですべてが水の泡となったのです。
「こんな奴と婚約者になるなんて、死んでもごめんだ」
最期に吐き捨てられ、ギルは屋敷を去っていきました。
ギルの無茶苦茶な言い分は癪でしたが、結果的には良かったのでしょう。
過去のトラウマに怯えているだけだった私としては、これ以上ない幸運です。
彼が去った後、私は再び庭園へと訪れました。
「う、ウォルトさーん、いらっしゃいますか……」
「何の用だ」
声をかけると、彼は顔を見せます。
手には鋏を持っていて、先ほどまで仕事をしていたようです。
「あ、あの……先ほどはありがとうございました。私のことを助けてくれて」
「ふん……別にお前の為じゃない。アイツが気に食わなかっただけだ」
「そ、そうですか……」
うう、やっぱりツンツンしています。
先ほど助けてくれたのは幻だったのでしょうか。
「……礼を言うなら俺の方だ」
「え?」
「あの時、お前が姿を現わしたのは……俺を庇ったからだろう」
彼は、少し恥ずかしそうにに言いました。
「なぜ庇った」
「なぜって……気づいたら身体が動いたというか……というか、ギルが庭に来たのも、私を探す為でしたし、私が原因ともいえなくないので……あはは」
「……」
ウォルトさんはじっと私のことを見つめています。
なにか、怒らせることを言ってしまったのでしょうか……。
「ふっ、本当に珍しい奴だな」
「な、なぜ私はけなされたのでしょう?」
「違う。褒めているだろ」
「ど、どこがですか!」
「貴族が自分を犠牲にして使用人を庇うなど、そうそういない……だから珍しい奴だといったんだ」
「そ、そうですか……えへへ、あ、ありがとうございます……嬉しいです。ウォルトさん、口は悪いけど案外いい人ですね」
「悪かったな、口が悪くて」
「つ、つい心の声が……」
「……まあいい」
そう言って、ウォルトさんは、柔らかい笑顔を見せました。
その顔を見て、心臓が高鳴るのを感じました。
生まれて初めての感覚に、私は驚きました。
この気持ちは一体……その答えを知ることになるのは、しばらく後のことでした。
***
それから数年の年月が経過しました。
ギルが婚約者で無くなったことで、未来が大きく変わりました。
まず一つは、父が私を用済みと判断して、干渉することが無くなりました。
婚約者になっていた頃は、マナーや作法について厳しく教育させられていました。
が、婚約者にならなかったので、私の価値は無くなった訳です。
父はまだ諦めてはいないようですが……根回しは全て無駄に終わっているようです。
そのおかげで、私は伸び伸びと過ごすことが出来るようになりました。
もう一つは、ギルにこき使われることが無くなり、学園生活を楽しむことが出来ました。
二週目ということもあり、学業では優秀な成績を収めています。
同学年の方々にも一目置かれることになり、友達も多く出来ました。
この私が学園で人気者になるなんて、一週目の時は想像すらできませんでした。
なんだか卑怯な気もしますが……神様のお力なので、有難く利用します。
「ふふふ……すべて順調ですね」
「……おい」
「あとは、結婚さえすれば……幸せルート確定です」
「何をぶつぶつと言っている」
「う、ウォルトさん⁉ な、なぜ、ここに……」
私が庭でのんびり過ごしていると、ウォルトさんが話しかけてきました。
「庭に庭師がいるのは当然だろう」
「そうですけれど……」
恥ずかしいです。独り言を聞かれてしまいました。
しかも、ウォルトさんには絶対聞かれたくないところまで……。
「どうしていつもこの場所にいる」
「な……私に出て行けと言うんですか……うう、私は邪魔ですか……では別のところに……」
「待て。まあ……一人で仕事をしてもつまらんからな。話し相手が欲しかったところだ」
「で、ではお言葉に甘えて少しだけ……」
私は数年間、ウォルトさんと交流を続けてきました。
彼はぶっきらぼうな態度ばかりですが、内面はとても優しい方で、私をよく気にかけてくれます。
素直ではないですが、本心を知ればそれも魅力的に見えるようになりました。
そして私は、彼に淡い恋心を抱いていることに気がついたのです……えへへ。
「それで、結婚とはなんだ」
「き、聞いていたんですかぁ!?」
「嫌でもな」
「うう……が、学園に通って他の貴族との出会いも増えて、そういうことを考えてもいいかなーと、思っただけです」
嘘です。
本当はウォルトさんのことを考えていたのですが、そんなことは恥ずかしくて言えません。
「ふん、馬鹿らしい。学校は社交界の場ではない」
「……夢を見るのは自由だと思います」
「まあそうだな。夢を見るのは自由だ」
「く、繰り返さないでください……悲しくなってきます」
「なんだ、学園の中にそういう相手は居ないのか」
「……居ません」
「ふっ」
鼻で笑われました……。
「昔のように婚約を結びたいというような者は現れないのか」
「それが、そういった話も無く……あ、あの! 一つ訊きたいのです、が……」
「な、何だいきなり」
「男の方から見て、私はどうなのでしょう?」
「……何を言っている?」
「恋人にしたいとか……お、思うんで、しょうか」
これが私の精一杯のアピールです。
それに対する彼の反応は――
「馬鹿らしい」
「……」
この時ばかりは私の心が折れそうになりました。しかし、私の落ち込みようを察してか、
「はぁ……一つだけ教えてやる。ここに居る使用人たちの何人かは、お前に好意的な印象を持っているようだな。優しいとか、柔和そうとか、言っていたが」
と教えてくれました。
「そ、そうなんですか……えへへ、恥ずかしいですけど、嬉しいですね」
「よかったな」
ウォルトさんは顔色一つ変えません。
少しくらい、嫉妬とか、そういう気持ちは無いんでしょうか。
まあ、別にそういう関係でもないので、無いのが普通ですけど……。
こ、こうなったら、玉砕覚悟で仕掛けるしかないみたいですね。
「で、で、で、では! ウォルトさんはど、どうなんですか!」
「……本気で聞いているのか」
「ほ、本気ですよ、もちろん!」
「……別に、悪い印象は持っていない」
「えへへ、そうだったんですかぁ……えへへ」
顔が真っ赤になっているのが自分でもわかります。
「止めろ、にやつくな」
「だって、ウォルトさんが私のことをそんな風に思ってくれたなんて……」
「悪い印象はない、としか言ってないんだが……」
ウォルトさんも、少しだけ頬が赤くなっているようです。
これはもう相思相愛の可能性も――って、さすがに浮かれすぎでしょうか。
しかし、希望は十分にあることは分かりました。
貴族や使用人なんて立場は関係ありません。
大事なのは気持ちですから!
***
しかし……私の平穏は、ある日突然崩れ去ることになりました。
「やあ、マリー……久しぶりだね」
学園内で、元婚約者であるギルがいきなり話しかけてきたのです。
彼が在籍していることは知っていましたが、互いに関わろうとしませんでした。
このように話しかけられるのは、完全に予想外です。
ハッキリ言って、嫌な予感しかありません。
「な、何でしょう?」
「君……昔とずいぶんと変わったね」
「え?」
「人気者になって……子供の頃は分からなかったけど、綺麗な顔だ」
彼は自分の手を私の頬に近づけようとします。
私はすぐにその手を払い、すぐに距離を取ります。
「な、な、何を――」
しかし彼は私の気持ちを考えることも無く、一歩ずつじりじりと近づいてきます。
「子供の頃、君の父親が僕と君に婚約させようとしたこと、覚えてる?」
「……そ、それが、何でしょう?」
「今なら――そういう関係になってもいいと思ってね」
「え?」
頭の中がフリーズしました。
この人は、一体何を言っているんでしょう。
「安心してよ、今度は本気だから。きちんと君のお父様にも話をして、そのうえで話をしよう」
「そ、そんな……嘘」
「また会おう。今度は学園じゃなく、君の家でね」
唖然とする私。
彼は私を見て薄く笑い、立ち去っていきました。
「な、どうして今さら……ど、どうしましょう……」
父に言ってしまえば、私の意志など関係なく、了承するに決まっています。
父は権威やお金に取りつかれている人間です。
彼もそのことを知っていて、あのようなことを言ったのです。
「う、うう……」
私が学園で人気になったから?
優秀な成績を収めていると知ったから?
……あの人のせいで過ごせなかった、学園生活をもう一度楽しみたかっただけなのに。
それは……悪いことなんですか?
***
ギルの言っていた通り、婚約の話は父にすぐ伝わることになりました。
父は乗り気で、すぐにでもギルをアストリー家に招待し、話を進めていく計画を立てていました。
もちろん、私の意志など聞き入れてくれません。
すでにアストリー家の屋敷へ招待する旨を伝えた手紙は、ギルの元に届いているでしょう。
明日以降……いえ、早ければ今日にもギルがこの家に来るかもしれません。
「うう……どうしてこんなことに」
私はまた庭に隠れていました。
いつ来るか分からないギルの姿に怯えながら。
「前に見た時より随分大人しいな。何かあったのか?」
いつものように、庭の手入れを行っていたウォルトさんが私に声をかけます。
「それが――」
私は彼に、ギルと婚約する話が進んでいることを明かしました。
何かを期待していたわけではありません。
誰かに自分の感情を吐露したかったのです。
「……そうか、それは災難だな」
「わ、私はもう破滅です……」
「何を言っている。まだ決まったわけではないだろう。どうにかする方法はないのか?」
「ありません……やっぱり私は、何もできないんです。見てください――あの人のことを考えただけで、手が震えてしまうんです。私は何も言うことが出来ません」
過去のトラウマはまだ払拭できていません。
社交界の場で、嘘の証拠で糾弾され、多数の貴族たちに笑い者にされた時。
父の汚職により捕らえられ、食事も与えられずに薄汚れた牢屋で過ごした日々。
そして、民衆の怒りに満ちた表情と、私の首を刎ねようとした処刑台。
「うう……うう……」
「お前は諦めるのか?」
「だってもうそれしか……私、ウォルトさんとお友達になれて嬉しかったです」
「……しみったれたことを言うな!」
「!」
ウォルトさんが今まで見たことも無い剣幕で私に言います。
「俺はまだお前に――」
ウォルトが何か言いかけた時、彼の言葉が途中で止まりました。
彼は、私ではなく、後方を憎らしげに見ています。
それを気づいて振り向くと。
「……」
ギルが笑顔を浮かべて立っていました。
笑顔ですが、それは内側に隠した怒りを取り繕うような、仮面のような笑顔でした。
「ど、どうしてここに――」
「……やあ、マリー。君の父上からのお話を受けて、急いで君に会いに来たんだ」
「あ、ああ……そんな」
「さあ、屋敷で父上と共に話をしよう。婚約者として、交流を深めるのは大事だろう?」
「う……あの、その……」
ギルに強引に手を掴まれそうになった時。
「止めろ――こいつに触れるな」
「う、ウォルトさん……」
ギルの手を、ウォルトさんが掴んで止めてくれました。
そして、私を庇うようにして目の前に立ちます。
「……なんだこの手は? 使用人風情が私の手を掴むなど、ありえんぞ」
「知るか」
彼は今にも殴り掛かりそうな勢いです。
「……僕はオーギュスト公爵家の嫡子であり、マリーの婚約者だぞ」
「だから何だ?」
「ふ、ふざけるなよ貴様!」
ギルは掴まれている手を離そうとしますが、ウォルトの手は微動だにしません。
「クソ、このクズが……お前のことは必ず解雇してやる」
「! や、やめてください、ギル様!」
私は咄嗟に叫び、彼の前に姿を現わしました。
何だか、数年前も同じ行動を繰り返した気がします。
「……」
ウォルトが私が現れたことに驚きながらも、ギルを掴んでいた手を離します。
「わ、私が彼に代わって謝ります。な、なので許してくれませんか」
「……ふん。だったら、さっさと僕と来るんだ!」
「わ、分かりました」
「待て――」
「う、ウォルトさん! わ、私は大丈夫ですから!」
ウォルトの心配そうな顔つきを見て、私は言いました。
「何が大丈夫なんだ」
私の気持ちを知ってか、心苦しそうに彼は言います。
しかし、これ以上彼に迷惑をかけるわけにはいきません。
「……ありがとうございます、ウォルトさん」
私は大きく頭を下げ、彼に感謝の意を示しました。
そして、振り返ることなくギルと共に屋敷に向かいました。
これでよかったんです……ウォルトさんを守ることが出来れば後悔は……無いんです。
***
「おい、さっきのは何だ!」
屋敷の中の客室に入ると、ギルは突然激昂しました。
「僕と言う婚約者がありながら、男の使用人と楽しげに話をして」
「そ、それは……」
昔も同じようなことを言われた気がします。
しかし、現時点ではそもそも婚約者でもないのに、何の権限があって言っているのでしょうか。
ですが、私の口は何も言えません。
やはり、彼を前にすると身体が震えてしまいます。
「君のことなど、僕の言葉一つでどうにでもなるということを忘れていないか?」
「……」
「答えろ!」
バシン! という音と共に、私の頬に激痛が走ります。
彼が私のことをぶったのです。
「う、うう……す、すみません」
「泣くな。顔を背けるな」
「な、んですか」
ギルは私の顎を掴んだかと思うと、すっと顔を近づけてきました。
ま、まさか――
「な、なにをするのですか!」
私は首を振り、彼から離れました。
「なんだ。婚約者同士、キスの一つをしてもおかしくないだろう」
「そ、そんな……ひ、ひどい、です」
「君に拒否権などない、断れば君の父に報告するからな」
「……」
「目を閉じろ。そして辛い顔ではなく、可憐な顔をしてくれないか」
この世で一番嫌いな人間にキスされそうになっているのに、可憐な顔などできるはずがありません。
しかし、諦めるしか――
『お前は諦めるのか』
ウォルトの顔が浮かび、彼が言っていた言葉を思い返します。
その瞬間、私の身体の震えが止まったことに気が付きました。
「……嫌です! わ、私は――あなたと婚約なんてしない! 帰ってください!」
私は精いっぱいの声を出して叫びました。
今までため込んでいた感情を、ギルに向けて解放します。
「!? 物分かりの悪い女だな!」
部屋から逃げ出そうしますが、ギルが私の肩を掴み、動きを止められてしまいます。
「は、放してください!」
「黙れ!」
「誰か! 誰か助けて――」
ギルの拳が、目の前で高く振り上げられた、その瞬間。
パリン!
と、室内のガラスが割れる音が響きました。
「な、何だ……」
そして、割れた窓ガラスから、強引に身体をねじ込み、部屋に入る人物が一人。
「マリーに触るな」
「ウ、ウォルトさん――!」
彼の姿が見えた瞬間、私は心臓が跳ね上がるのを感じました。
「な、何だ貴様――!」
「今すぐ目の前から消えろ。そして二度とマリーの前に立つな」
「誰に向かって言っている――グハァ!」
ウォルトさんは、ギルの顔面を思い切り殴りつけました。
バキィという音と共にギルは倒れ、そのまま動かなくなりました。
「う、ウォルトさん、どうして……」
「……昔の借りを返しに来ただけだ」
「う、ウォルトさああああん……ううう」
私は彼に抱き着き、涙を流しました。
彼は何も言わず、私の頭を撫で、泣きやむのを待ってくれました。
「これから、どうなるんでしょうか……」
涙を流し終えたところで、この前代未聞の状況を見て、私は呟きました。
部屋には、公爵家の嫡子が血を流して転がっているのです。
「まあ、非は向こうにあるから、大丈夫だろう。それにたかだか殴っただけだ」
「たかだかって言いますけど、使用人が公爵家の人間を殴るなんて、大変なことですよ……うう、何だか不安になって来ました。もしかしたら、処されるかもしれません」
もうすぐ騒ぎを聞いた使用人や父がやって来るでしょう。
言い逃れをすることは不可能です。
「その時はその時だ……いざとなれば逃げればいい」
「ウォルトさんはそれでいいかもしれませんけど――」
「何を言っている。逃げる時はお前も一緒だ」
「え?」
「もしそうなったとしたら……責任は取る、と言ったんだ。嫌に思うかもしれんが――」
「嫌だなんてこと、ありません! う、ウォルトさん、私――嬉しいです!」
「そ、そうか……なら、そうしよう」
私はもう一度ウォルトさんに抱き着きました。
これ以上なく幸せな瞬間でした。
例えこの先何があったとしても、この人と一緒なら大丈夫だと、私は確信していました。
***
「――そして数々の至難を乗り越え、ウォルトさんは私の夫となったのでした、めでたしめでたし」
話を終え娘を見ると、ぐっすりと眠りについているようでした。
「ふふ、いつの間にか寝ていたんですね」
「……娘を寝かせるために、俺たちの馴れ初めを話すなど、どうかしているぞ」
「き、聞いていたんですか」
気づけば部屋のドアの前に夫が立っていました。
「少し前からな」
「は、恥ずかしいですよ、ウォルトさん」
「こっちのほうが恥ずかしい」
確かによく見ると、うっすらと顔を赤めていました。
珍しい表情なので、とても可愛らしいです。
「しかし、思い返すといろいろあったものだ」
「そうですね……まさか、公爵家の嫡子をぶん殴るなんて」
「いつの話をしている。よく覚えているな、あんな昔の出来事を」
「覚えてますよ、あの時のウォルトさんは格好良くて……私、惚れ直してしまいました」
「……そう、か」
ウォルトさんは照れた顔を隠すためにそっぽを向きました。
そして、服の中から何かを取り出します。
それは小さな箱でした
「これをやる――少し遅くなったが」
「なんですか」
「誕生日プレゼントだ」
箱の中には、小さなネックレスが入っていました。
そこには小さい青色の宝石が装飾されています。
「俺なりにいいものを選んだつもりだが……気に入らなかったら悪い」
「ウォルトさんが選んだものなら、何でも嬉しいですよ。綺麗です……ありがとうございます。そっか、今日で二十五になるんですね」
二十五歳……私は処刑される未来を無事乗り越えました。
そして、最高の未来を手にすることが出来ました。
それもすべて、私の目の前にいる、愛する人のおかげです。
「だ、大好きですよウォルトさん……これからもよろしくお願いします」
「……ああ。俺もだ」
「もう、ちゃんと言葉にしてくださいよ」
「言えるか、そんな恥ずかしいこと」
「わ、私だって恥ずかしいんですよ!」
思わず声に出すと、眠っていたはずの娘がもぞもぞと布団から起き上がります。
「……んー? あ! パパだ―!」
「ああ、起こしてしまいました……」
娘が夫に向かって抱き着きます。
彼は笑顔で娘を受け止めます。
ごく普通の、家族団らんの風景。
だけど――それは私が何よりも欲しいと思っていたものでした。
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