盾
男は想像していた。
もし自分が表彰されることがあったら、その時は、
「言葉は僕にとっての盾です。鋭利な槍や遠くからの銃。そして、時折視える自身の悪魔を払い除けるための盾です」
そう言ってやろうと思っていた。
ボーっと住宅街を歩いていた男の目に映ったのは、道端で小銭を拾おうとしている、みすぼらしい爺さんだった。男は爺さんに声をかけた。
「ジュース代くらい、僕があげますよ」
男は、財布を取り出して本当に幸せそうに笑った。ところが爺さんは良い顔をしない。むしろ、「馬鹿にしとるのか!」と怒り出してしまった。
「怒ってもどうにもなりません。ほら、100円で良いですか?」
爺さんは男の好意を断った。少し俯いて、
「あれは特別なんだ。婆さんと揃いの昭和の5円玉だ」
そう言った。
爺さんの眉間がギュッと狭まる。深く刻まれたおでこのしわが男には印象的に映った。爺さんは少し感情的になって続きを話した。
「おい! お前、昭和を知っとるんか。どうせ知らんのだろう! 私の生きた時代は全て令和に塗り替えられた! 町を歩けばみんな、画面の向こうで生きとる! 赤ん坊でさえもだ! 取り残された私は老害と呼ばれ、必要ないと言われた! ならば、私はどこに行けばいい!? なぁ、教えてくれよ兄ちゃん!」
男は、答えを持っていなかった。
自分を守るための言葉なら沢山持っていた。しかし彼には、他人を守る盾となる言葉が思いつかなかったのだ。爺さんは、念を込めたように言う。
「こんな世界、疫病と共に終わってしまえばええんじゃ!」
それを聞いた男はついカッとなって、
「僕達のせいにしないでください! お爺さんの人生が面白くないのは、そういう言葉で人を遠ざけたからです! 僕等には僕等の生き方がある。お爺さんにも有ったでしょう? どうして悪い言葉ばかり振りかざして、他人の心を抉るのですか!」
男は言い終わってからハッとした。
言葉で攻撃してしまった。爺さんは、フォローしようとする男の声を無視するかのように、昭和の5円玉を探している。それに男も手伝う。流れ的にそうせざるを得なくなった。
男は、スマホのライト機能で自販機の下を探した。
「……あった!」
まだ深くにはいっていない。男の細い腕なら取り出せそうだ。試してみる。結果、男は掠り傷をしながら昭和の5円玉を入手した。目の前の爺さんの目にハイライトが入ったことで男はこの上ない喜びを得ることになる。
爺さんは、「さっきはすまんかった」と謝った。
続けて、
「今時、こんな訳も分からない頑固ジジイに興味を持つ奴がいるとは……令和の絶滅危惧種だな。昭和の頃は、人と人の距離が近かった。様々な困難があったが、みんなで協力してやって来た。さっきみたいに」
と言った。
昭和の5円玉には赤い紐が結ばれていた。
男は言った。
「どんな時代にも絶滅危惧種は居ますよ。大丈夫です」
それは、初めて男が放った、他人を守るための盾の言葉だった。その後、爺さんは男とよく話す仲となった。爺さんの行きつけの古びた喫茶店で、新旧異なる時代の話題が響き渡る。
男はブラックコーヒーに大量の砂糖とミルクを入れた。それを小バカにするように、爺さんはブラックコーヒーをちょびちょび飲んでいる。
時代は重なっていく。決して無くなっては行かない。忘れた人が途端に寂しくなるのだ。時代を思い出させてくれる人を大事にして生きれば、きっと生きてきたことを肯定できるはず。
ちょっとしたことなのに難しい。
本当に、ちょっとしたことなのに。
おしまい。