表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
仕事を辞めたい死神  作者: カラスムギ
1/3

一話 死を運ぶ封筒

 レンガの壁に、影法師が燃えていた。街灯のつくる早足な影は、ある一軒家の前に立ち止まった。

 闇が見守る中、彼は難なく室内に侵入する。

 そこには、床に伏す老婆だけがいた。がらんとした部屋には、パンの一欠けすら見当たらない。老婆はひだのような目を、ゆっくりと開けた。

「誰だい? そこにいるのは」

 光のないはずの一室でも、彼の顔は、老婆からはっきりと見えていた。それは、青白く光る彼の両目のせいだろうか。しかし、大きすぎる郵便屋の帽子の、その輪郭まで浮かび上がって見えるのは不思議だった。帽子がのるのは、成人男性の半分ほどの背丈しかない男の子だ。厚手の制服はその体格を覆い隠すが、袖から覗く手首や足首は折れてしまいそうに細い。暗闇の中でうかがえないその表情には、静謐が満ちていた。

 彼女はハッと息をのむと、目を見開いた。しかし、重い体は少しも持ち上がらない。

 郵便屋は右手で、老人に手紙を差し出した。白い封筒には金色の装飾が縁どられ、青白い光を頼りにぼんやりとその存在を主張している。

 老婆は諦めたような顔でその封を切ると、それきり体を動かすことはなかった。

 一軒家の屋根から、黒い大ガラスが一羽、飛び立った。


 誰もがグリムのことを恐れていた。誰もがグリムの仕事を忌避していた。

 街で彼を目にすると、警官もゴロツキも関係なく背を向けた。そして、己のところへ来ないように祈るのだ。

 郵便屋の男児のような風貌であったが、彼の正体を誰もが知っていたからである。

 誰もが、彼の肩掛けカバンの中身の宛名に、自分の名前がないことを祈っているのだった。

 しかし、何事にも例外はあるものだ。


「ねぇ! グリム!」

 呼び止められて、彼は振り返った。

 そこには、幼い女の子。柔らかそうな頬はリンゴ色で、そばかすが眩しい。栗色のなめらかな髪は二つにまとめられている。深緑色の洋服はピアノの演奏会にも着ていけそうだが、そのすそはホコリと土にくすんでいる。生意気そうな表情の彼女には、ある意味よく似合っていた。

「ちょっと顔貸しなさいよ」

 グリムは苦笑して帽子のツバをくいとあげた。

「僕は忙しいんだ。他を当たってくれ」

「気取っちゃって! せっかく声をかけてやったっていうのに!」

 グリムは微笑み返してきびすを返した。

「また今度。可愛い『お嬢さん』」

 後ろに振った手をつかもうと駆ける靴音を感じて、グリムは背中の黒い翼をはためかせて空へ逃げた。

 彼女は面食らったが、肩をいからせて負け惜しみを吐き捨てるのだった。

 見た目に不釣り合いな粗野な言葉に、通りがかりの男性が顔をしかめた。


「可愛らしいじゃあないか。少しくらい付き合ってやればいいのに」

「あまり無責任なことを言わないでください、マスター」

 グリムは仕事終わりの一杯を堪能しながら、いつもの雑談に興じていた。

 黒炭よりも深い色のカウンターテーブルに、白く厚いカップ。その中には、机よりもさらに濃い色の液体が収まってる。グリムはそこへ角砂糖を一つ、溶かし入れた。彼の鼻と口は、挽いた豆の香りに包まれている。

 がらんとした店内には、店主の陽気な声がよく響いた。

「君はお堅いな。土星のようだ。もっと火星のように、己の情動に身を任せてみたらどうだい」

 両の手を広げ微笑む店主は、透き通るほど真っ白な髪を揺らた。その両目は髪の毛とは対照的な濁った白。光を失ったはずのそれらは見開かれ、グリムをなめ回すように動いた。

 グリムはそんな店主を無視して、熱い液体を体に沁み込ませる。体の芯になだれ込む黒色に押し出されるように、体中の鬱憤が晴れるのが感じられた。

 この世と呼ぶには命から遠過ぎるそのカフェは、今日も静かに一人の客を迎えていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ