【52】グレーターデーモン
『万魔殿』第十階層、最奥の間。
壁面や天井には重厚精緻な彫刻が刻まれた広大な空間。
俺たちがそこへ足を踏み入れた瞬間、その中央に膨大な魔力が渦巻き凝集していき、瞬く間に一体の魔物が実体化した。
出現したのは最奥の間の主にして『万魔殿・中級』のボス――グレーターデーモンだ。
その姿は背中にコウモリのごとき羽を生やし、腰の後ろから漆黒の皮膚を持つ尾を伸ばしていること以外は、基本的に人型と言える。
身長は2メートルそこそこ。体躯はボディビルダーのように見事な筋肉で鎧われているが、 衣服の類いは一切身につけていない。皮膚はテラテラと光を反射する漆黒で、頭部は髪一本すらない禿頭だ。
「こいつがグレーターデーモンか……あまり強そうではないな。これならレッサーデーモンの方が大きいし強そうではないか」
「油断するなよ」
筋骨隆々の巨体ではあるが、レッサーデーモンと比べれば二回り以上も小さい。
魔物は体の大きさで強さを測れるものではないが、マンティコアも巨体であっただけに、シュリは拍子抜けしているのだろう。それが油断なのだが。
確かに体の大きさではレッサーデーモンよりも遥かに小さいが、グレーターデーモンの不吉さはレッサーデーモンを遥かに上回る。
髪の毛のない頭部には目も鼻も耳もなく、つるりとした漆黒ののっぺらぼうだ。まるで仮面のようなその顔には、赤い口腔と鋭い牙を覗かせる口だけがある。
まるで出来の悪い、人間のカリカチュアのような姿。
実際に目の前にしてみると、得体の知れない不気味さを感じる姿だ。
「ハァアアアア……」
息を吐いたグレーターデーモンの口腔の奥から、次の瞬間、言葉が発された。
「ニンゲンのメスが三匹に、オスが一匹……おお! それに妖精までいるではないか! これは、御馳走であるな」
意外にも低く通りの良いダンディーな声音。
「なッ!? こいつ、喋るのか!?」
シュリが目を見開いて驚くが、マンティコアも喋っていたはずである。
とはいえ、内心では俺も驚いていた。ソルオバではダンジョンの魔物が喋るというのは経験がなかったのだ。おまけにここまで流暢に喋るとなると、驚愕するのも無理はない。
かなり知性が高く、それなりの知識も「再現」されているのだろう。
そうなると、ゲームとは行動パターンからして変化している可能性が高い。少なくとも、ゲーム的な決まりきった動きしかしないと考えるのは危険だろう。
俺が予想もしない行動をする可能性があるとしたら、かなり厄介だ。
もしかしたら、強い魔物ほどゲームとの乖離が大きいのかもしれない。
「喋るのかとは、失礼だろう? 君たちのような下等種が喋れるのに、私のような上位悪魔が喋れない道理もあるまい?」
「誰が下等種だ! その減らず口、すぐに後悔させてやるぞ!!」
シュリが納刀したまま腰を落とし、構える。
対するグレーターデーモンは悠然と仁王立ちしたままだ。
「一撃で終わらせてやる!」
スペシャルスキル――【絶影閃】
影をも絶つほどの超高速の抜刀術。
遠い間合いを刹那に踏破し、一瞬の後には攻撃を終えている。
マンティコアとの戦いでそうであったように、シュリはグレーターデーモンの背後に刀を振り抜いた姿勢で出現していた。
そして――、
「おお!? なかなか速いではないか」
「なッ!?」
平然と――グレーターデーモンは背後を振り返り、感想を口にする。
その飄々とした口調に、こちらも背後を振り向いたシュリが驚愕の声をあげた。
「そんな馬鹿なッ!? なぜ効いていないのだ!?」
慌てて背後へ跳び退き、グレーターデーモンから距離を取る。
そうして刀を構えて警戒しながらも、【絶影閃】にて断ち斬ったはずの悪魔を確認したのだろう。
その体に一筋の切り傷さえないことに愕然と両目を見開く。
「効いていないわけではないぞ? ただ……お前の攻撃が軽すぎるだけだ」
反撃するでもなく、悪魔は悠然と告げる。
シュリの力が自らの命を脅かすものではないと知って、余裕を見せているのか、はたまたシュリの心を折るつもりかもしれない。
「くッ……! 舐めるな!! ならばお前が倒れるまで何度でも斬るだけだ!!」
叫び、シュリは立て続けに【絶影閃】を発動する。
その攻撃速度は凄まじく速く、グレーターデーモンは回避することもできない。
一閃、二閃と悪魔の体に超速の斬撃が叩き込まれていく。
「お、おお!? 速い! 速いなぁ!! ――だが、無駄だと分からないのかね?」
残像だけが瞳に焼きつくような連撃を無防備に受けながら、それでも悪魔が倒れることはない。言うことを聞かない子供を諭すかのように、むしろ優しげな声音で言う。
「ヴァンさん、奴には物理攻撃が効かないんですか?」
シュリと悪魔の戦いを観戦していたルシアが、まさかという表情で問う。
レイスという物理攻撃が完全に効かない魔物を知っているからこそ、すぐに予想できたのだろう。
だが、それは正解とは言えない。
「いや、完全に効かないわけじゃない。実際にはダメージは通っているはずだ……が、グレーターデーモンには【物理攻撃軽減・大】のパッシブスキルがある」
ダンジョンのボスクラスや、レベルの高いエネミーは様々な能力を持っていることがある。
システム的に俺たちのパッシブスキルやアクションスキルと完全に同じなのかは分からないが、効果としては似ているから、エネミーの能力もスキルと呼ばれることが多い。
そしてグレーターデーモンの持つ【物理攻撃軽減・大】は、物理攻撃ダメージの70%をカットするという効果を持つ。おまけにグレーターデーモン自体の防御力も高いため、生半可な物理攻撃ではほとんどダメージを通すことができないのだ。
これの厄介なところは、防御力無視の貫通系アクションスキルのダメージをも軽減するパッシブスキルである、という点だろう。
【ペネトレイトスタブ】を使ったところで、奴の防御力は無視できるが、スキルによってダメージの軽減は行われる。結果として、俺が与えられるダメージもシュリとそう変わらない値になるはずだ。
「とはいえ、それだけだったらシュリでも頑張れば倒せないこともない」
「他にも何かある……ってことですか?」
「ああ。奴には【再生】のパッシブスキルもある。小さなダメージじゃあ、幾ら攻撃しても意味がないんだ」
「【再生】って……!」
思わずといったように、ルシアは自らの背中を見る。
【歴戦のホブゴブリン】からドロップし、今はルシアの背中に刻まれているスティグマこそが【再生のスティグマ】だ。
その効果は常時僅かずつヒットポイントを回復していく、というもの。
【再生】は持続治癒のバフよりは効果が低いが、持続治癒とは違って時間制限がない。
グレーターデーモンの【再生】は、ルシアのスティグマと完全に同じ効果のものだった。
回復量は低いが、シュリが与えられるダメージも少ない。結果――、
「く、くそッ……!」
「おや、もう終わりかね? ……終わりのようだな。それでは、今度は私から行くぞ?」
【絶影閃】を連発していたシュリの動きが止まり、激しく息を荒げながらふらふらとしている。
スキルの連発により、ソウルが枯渇したのだ。
ソウルは時間経過と通常攻撃によって簡単に回復するが、それでもスキルばかりを続けて発動していれば、すぐに底をつくのは当然だった。
対して、グレーターデーモンに目立った負傷はない。それでもダメージ自体はあるはずだが、十分に【再生】で回復できる範囲に収まっているのだろう。
自らの攻撃が全く効いていない事実に絶望の表情を浮かべるシュリへ、グレーターデーモンは悠然と右手を掲げた。
伸ばした手の先、虚空で、先端が鋭く長い氷の槍が生成されていく。魔法攻撃だ。
息も絶え絶えで足が完全に止まっている今のシュリでは、あれを回避することも受け流すこともできないだろう。シュリも自分ではグレーターデーモンに勝てないことを理解したはずだ。
ゆえに、氷槍が放たれる寸前、様子を見ていた俺たちも動くことにした。
「ルシア、行くぞ!」
「はい!」
「リィーンは説明通りに頼む!」
「かしこまりました」
道中、はしゃぐシュリとは別に、ルシアたちにはグレーターデーモンとの戦い方について説明していた。
非常に単純な説明だったので、改めて説明し直す必要もないだろう。
それよりも今は、あちらをどうにかするのが先決だ。
オリジナルスキル――【スピードステップ】
俺はスキルを発動すると、グレーターデーモンにより放たれた氷槍の軌道上――シュリの前へと瞬時に移動した。
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