【47】誘発され狂っていくストーリー
独立都市パンデモニウム。
如何なる国家の管理下にも置かれていない自立した都市――そう謳われているとはいえ、往々にして建前と現実との間には齟齬があるものだ。それはパンデモニウムとて例外ではない。
この巨大な都市は商人ギルドや各種職人ギルド、冒険者ギルドなどの本部やリンネ教会大聖堂など、幾つもの組織から選出された議員たちによる議会によって、その運営方針が決定されている。
されど、議席の大半を占める議員たちの多くは、ギルドや教会など国家とは関係のない者たちではない。全体のおよそ三分の二ほどが、実のところ三大国から派遣された議員によって埋められている。
それゆえに三国の影響を取り除くことは、事実上不可能と言っても過言ではないだろう。
ゆえに当然のことながら、都市内には各国から派遣された議員たちが住まう豪邸がある。
パンデモニウムの北地区の一画にも、都市の内にあるとは思えない広い敷地を備えた館が幾つか存在した。その館の一つ、さらに客人どころか使用人すら許可がなければ踏み込むことのない場所に、館の主の執務室はあった。
人払いをされて静寂に包まれる執務室で、一人の男が高級な革張りの椅子に深く腰掛け、重厚な執務机の上にポツンと置かれた魔道具に視線を向けている。
男の名はゲイル・ブランディッシュ。
四十代半ばほどの男性で、のっぺりとした顔立ちに目尻のつり上がった鋭い目つきをしている。黒髪を後ろへ撫で付けているのも相俟って、見る者にどこか邪悪な蛇のような印象を抱かせる男だ。
ゲイルはアルペディア帝国から派遣された議員の一人だった。
静かな室内にはゲイルの他に人影はない。それでも独り言には思えない確固とした調子で、彼は口を開く。
「私が許可証を手配してやった下級魔族たちが、『万魔殿』で消息を絶った。その後、リンネの巫女が迷宮を出たことを確認しているから、襲撃はどうやら失敗に終わったようだな」
『そうですか……。巫女も護衛にそこそこの手練れを用意していたようですね。下級魔族とはいえ十人も派遣すれば十分かと思っていたのですが……少々甘く見ましたか』
不思議なことに、ゲイルの言葉に返答があった。
肉声とは異なる不思議な調子の声の出所は、ゲイルが今も視線を向けている執務机の上だ。
机の上にポツンと置かれた魔道具――台座に大きな水晶球が乗っただけの簡素な見た目の魔道具から、声が発されているのだ。
それは起動されていることを示すかのように、水晶の内部で淡い光が揺蕩っている。
「どうするつもりだ? リンネの巫女の確保は必須ではないとはいえ、優先度は高い目標のはずだ。このまま見逃すわけではあるまい?」
『無論、巫女の確保には全力を尽くしたいところです。しかし、派遣した手勢が壊滅してしまいましたらね。中途半端な戦力を送っても、二の舞になるだけでしょう。それに何より、こちらにも人員の余裕はありません。ただでさえ少ない同胞たちを、封印解除のために各地へ派遣しているのですから』
「ならばどうする?」
『ブランディッシュ卿、そちらの手勢を動かすことはできませんか?』
魔道具からの問いに、ゲイルは沈黙した。
それは返答の内容を考えているようでもあり、同時に問い自体を厭うているようでもある。
眉をしかめて眉間に皺を寄せたまま、ゲイルは答える。
「……こちらは封印の解除に都市派の議員たちへの工作と暇はないのだが? まさか被害を覚悟で私に動けと言うつもりか?」
『卿がお忙しいのは十分に承知しているのですが、各地からまた人員を振り分けてパンデモニウムに向かわせるとなると、そちらに到着するまで一月は掛かるかと。それまでに巫女がまた行方を眩ます可能性は高いですから、どうにかお願いできませんか?』
「……陛下はどう仰っているのだ? 帝都から新たな魔族を派遣するのであれば、そこまで時間は掛からないはずだ」
『新たなる魔族の転生体はある程度確保していますよ。しかし、陛下のお力ならば魂に働きかけることはできるとはいえ、陛下ご自身もそのお力は不完全です。転生体たちが使えるようになるには、もうしばらく掛かるでしょうね。そういうわけで、こちらにも派遣できるだけの余剰はありません。陛下もできれば、そちらで確保してもらいたい、と』
ゲイルは深くため息を吐いた。
陛下直々に下された任務に影響するとあって、軽々とは頷けない話だ。
だが、その陛下自身から新たに下された命とあらば、否応もない。
「承知した。だが――」
と、ゲイルは続ける。
「代わりに、一つ陛下から許可をもらいたい」
『はて、何でしょうか?』
「いまだ自覚はないようだが、なぜか巫女の傍に魔族の転生体がいるのを見つけたのだ」
『ほう? それは興味深い。巫女は知っていて傍に置いているのでしょうかね?』
「分からんが、確信はないのだろうな。知っていて傍に置くとは考えられん」
『まあ、それはそうですか』
「ともかく、その状況はこちらにとっては都合が良い。巫女の傍の転生体に私が干渉し、魔族としての自覚を取り戻させて駒とするつもりだ。その許可を、陛下よりいただきたい」
ゲイルの願いに、今度は姿なき声の主が沈黙する番だった。
それから数秒の時が過ぎて、ようやく言葉が返される。ただし、警戒するような固い声音で。
『……あなたは上位魔族とはいえ、陛下ほどの力はないのは分かっていますよね? 不完全かつ強制的な干渉は、その者の魂を壊しますよ? 陛下からは同胞を無為に使い潰すような行為は厳に戒められているはずですが』
叱責するような言葉へ、ゲイルは反論する。
「無為ではない。我らが同胞の魂とはいえ、巫女を確保するためとあらば、一人くらいの犠牲は安いものだろう?」
『…………分かりました。無理を言っているのはこちらなのです。陛下には私から進言いたしましょう』
「よろしく頼む」
この数時間後、再び机の上の魔道具が起動し、ゲイルの願いを受け入れた旨が伝えられた。
お読みいただきありがとうございます!




