【31】リンネの巫女
とある山奥の秘境に、その集落はあった。
人里離れた森深い山奥、街道の一本すら通っていない場所である。普通ならば、どう道に迷ったところで迷い込むはずもないその地に、数百人の人々が暮らす隠れ里はある。
その隠れ里の一角、山肌に刻まれた崖下にぽっかりと一つの穴が開いていた。
この穴を内部へ向かって進んでいくと、その奥には明らかに人の手が入った空間がある。天然の洞窟ではない、崖を削って作り出した空間だ。
洞窟のような細い通路を進んだ先にある、高い天井を備えた広い空間。
広間、とでも呼ぶべき場所だが、壁面や天井に刻まれた彫刻や、最奥に掲げられた輪っかのごとき偶像を見れば、そこが単なる広間ではないことが分かるだろう。
明らかに宗教的意味合いを備えた場所。
それもそのはずだ。
ここは里の者たちが祈りを捧げるための聖堂だった。
当然の事ながら採光のための窓などない聖堂内には、照明用の魔道具が設置され、十分ではないながらも内部を柔らかく照らしている。
その灯りに照らされて、聖堂の最奥にて祈りを捧げる者がいた。
ゆったりとした白い布地の法衣に身を包んだ、十代半ばほどの年若い少女だ。
月明かりのごとき銀色の長髪に、瞑想するように半分だけ閉じられた瞼の下には、青よりもなお薄い水色の瞳がある。肌は白く透き通っていて、顔立ちは怜悧に整っていた。
浮世離れして見えるほどに美しく、そして儚い外見の少女だ。あるいは幽玄、とでも表現すべきかもしれない。
いったいどれほどの時間、彼女は祈りを捧げていただろうか。
ふと何の予兆もなく、少女は瞼を上げて、両膝をついた姿勢から静かに立ち上がった。
「リィーン様」
背後から窺うような声が掛けられる。
少女が振り向けば、背後に控えていた声の主もまた、外見は年若い少女だった。ただしこちらは、リィーンと呼ばれた少女とは違い、意志の強そうな瞳をして、武人のごとき雰囲気を纏っている。長い黒髪を頭の後ろで纏めた黒い瞳をした少女。
――なのだが、耳が横に長く尖っている。
エルフ、と呼ばれる長命種族だ。
その事を考えれば、黒髪の少女の年齢は見た目通りではないかもしれない。
「予見がありました」
鈴の鳴るような透き通った声で、リィーンが言う。
その言葉に、黒髪のエルフはハッと息を呑んだ。
「どうやら、希望は絶たれてはいなかったようです。【予言の御子】が少しずつ、力を取り戻しているのでしょう。ここ数日、彼の者の存在を感じます」
「では?」
黒髪エルフの問いに、リィーンは静かに頷く。
「予見はミッドガルドの王都を映しました。そこに、【予言の御子】はいるでしょう」
「なるほど」
「里の戦士数名を率いて【予言の御子】を迎えに行きます」
「戦士たちを? しかし、【予言の御子】に警戒されないでしょうか?」
黒髪エルフの懸念が籠った言葉に、しかしリィーンは静かに首を横に振る。
「黒き翳りが【予言の御子】に近づいているのを感じます。恐らく、魔の者たちも御子の存在に勘づいたようです。あの者たちよりも早く、我らが御子を保護しなければ」
リィーンの返事に、黒髪エルフは瞳に理解の光を浮かべ、覚悟を決めたように頷いた。
「承知いたしました。それでは戦士たちを率いて、御子をお連れします」
「いいえ」
だが、リィーンはまたしても首を横に振った。黒髪エルフの言葉に、自らの認識との齟齬を見つけたからだ。
「わたくしも同行します」
「っ!? なりません! 里の結界を出ればリィーン様の存在が奴らに知られてしまうのですよ!?」
リィーンの言葉を激しく拒否する黒髪エルフに、リィーンは儚げな印象を一変させて、強い意志の籠った眼差しを向けた。
「わたくしが向かわねば、魔の者たちに先を越されてしまうでしょう。時は一刻を争い、事態は常に流動しています。少々の危険はあれど、わたくしの予見で御子と確実に合流することが先決です。これはリンネの巫女としての決定です」
「――っ!?」
自分たちが住まう里の指導者たる、リンネの巫女の決定。
そう言われてしまえば、黒髪エルフに否を唱える権限はなかった。
死を覚悟するかのように表情を引き締め、リィーンに頭を垂れる。
「承知しました。リィーン様のお考えに従います」
「ごめんね、シュリ」
リィーンは悲しそうに謝り、だが、それからぎこちなく微笑んだ。
「でも、まだ悲観する必要はありません」
「と、申されますと?」
「御子のそばに、大きな光を感じるのです。御子を導くかのような、強い光の存在を」
「それは、いったい……? 我らのような戦士でしょうか?」
「そう、だと思います。けど……」
と、リィーンは不思議そうに首を傾げた。
「大戦の転生者とも違うような、不思議な魂の輝きを感じます。まるで……いえ」
そこまで言って、リィーンは首を横に振った。それはここで考えても分からないことゆえに。
今はただ、やるべきことを為すだけだ。
「さあ、急いで出立の準備を」
「はい」
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