【15】善人神父は騙された
俺たちは孤児院の奥にある部屋に通されて、さっそくラック神父から事情を聞くことになった。
さっきのチンピラどもは、いったい何者なのか?
その疑問の答えは、前世で様々な物語に触れてきた俺からすれば、非常にシンプルでありきたりなものだった。
「――奴らは、歓楽街を根城にするマフィアの一味、ガッゾ・ファミリーの者たちだ」
ラック神父は最初にそう言って、続けた。
「最初、奴らは善良な信徒を装って私に接触してきた。経営に難儀している孤児院を何とか手助けしたいと」
ラック神父が滔々と語った話は、少し長くなるので纏めよう。
つまりはこういう事情だ。
ガッゾ・ファミリーの者たちは、ただの信徒を装ってラック神父に接触してきた。何度か少額の喜捨もして、ラック神父とそれなりの信頼関係を築いた頃、奴らは経営難の孤児院を助けるため、無利子で金を貸したいと申し出て来たのだ。返済は余裕が出来た時に、少しずつ返してもらえれば良いと。
喜捨ではなく借金という形にしたのは、さすがに自分たちにとっても大金だから――とラック神父には説明したらしい。その言葉には疑うような要素はなく、確かに、とラック神父も納得したという。
だが、それは奴らの罠だった。
交わした借用書にはちょっとした細工が施されており、大部分はラック神父に説明した通りの条件が書かれていた。だが、「とある条件」を満たした場合、別の条件が適用されるという一文があった。
とある条件とは、返済が不可能であると貸主が判断した場合、担保として教会と孤児院、およびその土地を売却し、借金の返済に充てる、というもの。
本来ならば警戒して当然の項目であるが、ラック神父は貸主の「たとえ返せる見込みがなくとも、この条文は適用しません。王国法に基づいて記載しているだけです。むしろ貸主の意思一つで適用しないことも選択できるので、保険のために記載しています」という言葉を疑わなかった。
理由は三つある。
一つは単に、契約を申し出てきた相手とそれまでに築いた信頼関係があったこと。
二つ目は孤児院の子供が病気で、治療のためにどうしてもすぐに纏まったお金が必要だったこと。
そして一番重要な最後の一つは、これが「教会相手の契約」であったことだ。
リンネ教会はミッドガルド王国の国教であるばかりか、周辺諸国でも広く信仰されている巨大宗教だ。その一教会と言えども、契約を欺いて貶める行為はアウトローであるマフィアにとっても危険過ぎる行為なのだ。
マフィアと言えども宗教の影響から逃れることなど出来ない。出産、結婚、葬式では誰もが必ず世話になるし、取引相手だってリンネ教会の信徒たちであることが多い。それら全てにソッポを向かれれば、非合法の商売と言えども運営することはできなくなる。何よりマフィアたち自身、リンネ教会の信徒であるのだ。破門されれば表社会にも裏社会にも居場所はない。
ゆえに、この大陸でリンネ教会を敵に回す行為は貴族でさえ恐れる行為であり、まさかこちらを騙すとは思っていなかったという。
だが、ガッゾ・ファミリーの者たちは平然とその禁忌を犯した。
それが出来た理由は一つ。
王都を含む教区を預かるリンネ教会の司教と話がついているからだ――ということを、先ほどのチンピラたちが得意気に語っていたらしい。
つまり、ラック神父の教会と孤児院は、ついに教会上層部から捨てられたのである。むしろこの際、ラック神父の過失で潰れてもらえれば、自分たちが悪評を被ることなく金食い虫である孤児院を無くすことができる――と教会上層部は考えたのだろう。
もちろんこの場合、勝手に教会と孤児院を借金の担保としたことになるラック神父は無事では済まない。最低でも教会から破門されるのは確実だ。
そして一方、ガッゾ・ファミリーの目的である。
王都は広いとは言っても、壁に囲まれた土地である以上、その広さは有限だ。
この孤児院はスラムと歓楽街のちょうど中間に位置しており、歓楽街を拡張しようと思えば、教会は邪魔になる。加えて教会の土地は交通の便が良い通りに面しており、商売をするのに向いた場所でもあった。
賭場や娼館を運営するガッゾ・ファミリーにとっては、喉から手が出るほど欲しい場所だったのである。
つまり、ガッゾ・ファミリーの目的はこの土地そのもの――ということだった。
「なるほどな」
と予想通りの事情に頷いて、俺は念のためにラック神父に尋ねる。
「ラック神父、借りた金を返せる当てはあるのか? 例えば、他の信徒から金を借りるとかして」
「この教会に足を運ぶ信徒たちは皆、貧しい。その中から少しずつ喜捨をしてくれる者たちもいるが、借金を肩代わりできるほどの余裕などないだろう」
すでに借りた金の残りも、教会と孤児院の修繕、食料その他の購入、炊き出しの費用……などなどで、だいぶ使ってしまっているという。
ガッゾ・ファミリーのチンピラどもも、そうして金が減り、絶対に返せなくなるのを待って取り立てにやって来たのだろう。
この問題を解決する正当な手段は借りた金を返すこと――ではない。そもそもガッゾ・ファミリーの目的が教会と孤児院の土地であり、貸主の一存で担保を売却できるという条文が借用書に記載されている以上、金を用意したところで奴らが素直に受け取るはずもないのだ。
つまり状況は、
「完全に詰んでるな……」
「そんな……どうにかならないんですか?」
俺の言葉にルシアが痛ましそうな表情で問うが、俺はゆっくりと首を振った。
ラック神父は眉間に皺を寄せて苦しそうに言う。
「私が教会から破門されるのは良い。これは私が不用意に借金などした報いなのだからな。……だが、この孤児院の子らは、ここを出れば他に行く場所がない。せめて彼らだけでも、どうにかならないものか……」
「「…………」」
ラック神父に返せる言葉は、俺もルシアたちも持たなかった。
そんな俺たちに、ラック神父は心配させまいとしてか、苦笑しつつ言う。
「いや、ともかく今日は助かった。ありがとう、ヴァン。それに食べ物まであんなに貰ってしまって、君の方は生活は大丈夫なのか? もしも無理をしているのだったら……」
「気にすんなって言ったろ。俺は優秀な冒険者なんだぜ? あれくらい何てことはねぇよ」
肩を竦めながら当然のように言う。義賊として盗んだ金で食料を購入して持って来ていた時も、ヴァンはラック神父に冒険者として働いていると嘘を吐いていたのだ。なので、
「はい! ヴァンさんは凄いんですよ!」
ルシアが屈託なく褒めてくれたのは、俺のセリフの信憑性を高めるのに一役買ってくれた。
いやまあ、今はちゃんと冒険者として活動しているし、完全に嘘というわけでもないのだが。
「そうか」
それでもラック神父は安堵したように頷いて、
「それなら良かった。……なに、こちらのことは心配するな。子供たちのことは、他の孤児院で引き取ってもらえるよう手を尽くしてみるつもりだ」
そう告げた。
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