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始まりの日

 玉座の間の黒い扉は、ひどく大きく重たく見える。衛兵に開けてもらって中に入ると、最後に見た時よりも若い父と母がいた。子供の目線で見ると、玉座の父はずっと遠くに見える。記憶の中の父の顔はいつもいかめしく、母の目は厳しかった。


「お父様、お母様……遅くなって申し訳ございません」


 (カーテシー)をすると、父と母が目を見合わせる。なにか不適切なことをしたのだろうかと焦る。


「驚いたな……所作がずいぶん品良くなったじゃないか」


「ええ、いつの間に? こっそり練習していたの? リナリア」


 出来るのが当たり前、出来ないのはマイナス。両親はいつもそうだったから、褒められるのはなんだか不思議で、きょとんとしてしまう。


「えと……は、はい。5歳なので……」


「ああ、誕生日おめでとう。朝から災難だったようだが、腫れは引いたか。痛みは?」


「じいとばあやが、よくしてくれました」


「まあ、王女として立派な物言いだわ。お利口ね、リナリア」


 椅子から降りてきた母に頭を撫でられ、リナリアはコチンと固まった。


(わたくし、わがまま姫にならないといけないのに、早速褒められてしまっています。これは、良いのでしょうか……)


 不安げにばあやを見ると、ばあやはにこやかに拍手していた。改めて父と母を見ると、二人もまたにこやかで……それは、素直に嬉しかった。


「おねえちゃま!」


 ぱたぱたと覚束ない足音と共に、リナリアより少しだけ小さい少女がぴょんっと飛びついてきた。


 ヘレナだ。栗色の髪はふわふわで、フリルがたくさんのピンク色のドレスを着ている。


「ヘレナ。おはようございます」


「おねえちゃま、おたんじょーび、おめでとーございますっ! えへへ、ヘレナまってたのよ」


 自分に無いものを持っていた妹に複雑な思いを持っていたが、今の幼い妹は天使のようで、素直に可愛らしく思えた。目を細めて頭を撫でると、ヘレナは気持ちよさそうな顔で笑う。


「うふふ、おねえちゃまだいすきよ」


「ヘレナ、今日はリナリアの大切な日なのだから、ちゃんとお部屋で大人しくしているのよ」


「おかあちゃま、ヘレナもぱーてぃーいきたい! だめぇ?」


「ダメです」


「おとうちゃま……」


「ヘレナは来年だ。聞き分けよくしなさい」


「うう〜。ヘレナもおっきいケーキたべたいのに」


 リナリアは密かに衝撃を受けていた。リナリアがなるべき「わがまま姫」の理想的な会話が目の前で繰り広げられている。


(気づかなかったけれど、もしかしてヘレナって、ちょっとわがままな子だったのかしら。いえ、子どもの頃というのは、ふつうはこんな感じ……? でも、たしなめられはすれど、怒られてはいないわ……。う、うらやましい……)


 ヘレナはリナリアのドレスの裾を握り、涙目で上目遣いをする。やはり天使のように可愛い。


「おねえちゃま、おわったらヘレナともあそんでくださいね」


「ええ……わかったわ、ヘレナ。良い子にしているのよ」


 妹を撫でてやると、にっこりと笑って父王の膝もとへ走っていった。思わずドキッとする。


「おとうちゃま、だっこ!」


(そ、そんなこと言ったらお父様に叱られ──)


「全く……ヘレナは仕方ないな。利口に留守番しているんだぞ」


 父は苦笑しながらもヘレナを抱き上げて膝の上に座らせる。妹が無邪気に甘える光景を見て、リナリアは胸がずきんと痛んだ。


(怒らないのね……)


 じっ、と自分のドレスを見る。せっかくばあやたちが用意してくれた綺麗なドレス。繊細な飾りもついているから、抱き上げられるとクシャクシャになってしまうかもしれない。だから、自分も甘えたいなんて、言えない。


 「理想的な王女」なら。


(でもわたくしは、わがまま姫になるんですもの)


 近くにいた母に両手を伸ばす。


「おかあさま、わ、わたくしも……だっ、こして、ほしい、です」


「あらリナリアったら。お姉さまなのに」


 母は少し困った顔をした。その反応に、伸ばした手が少し下がる。


「まあ良いだろう、今日の主役だ」


 意外にも、「わがまま」を受け入れたのは父だった。玉座を見ると父が手招きしている。リナリアはおずおずと父に近づいた。父は膝のヘレナをいったん下ろし、改めて二人の娘を抱き上げた。思いのほか危なげなく持ち上げられて、リナリアは目を丸くする。そっと手を添えた父の腕は(たくま)しい。そういえばレガリア王族の伝統で、在位前は騎士団に所属したこともあったはずなのだ。


(お父様、こんなにお力があったのね。覚えていなかった。こんなに近くで見たのなんて……全然記憶に無いから)


 あたたかい腕に包まれ、無性に幸せな気持ちになる。厳しいばかりの父だと思っていたけれど、こんな一面もあったのだ。


(わがまま姫の練習になったかしら……少し得をした気分だわ)


 きゅっと父に抱きついてみる。ばあやが、「全てうまくいくに決まっています」と言っていたことを思い出した。父は笑ってリナリアの髪を撫でる。美しいサファイア色の瞳がリナリアを映している。


「なんだ、今日はリナリアも甘えた娘だな。さ、これからはキチンとするのだぞ。何しろ、貴族諸侯に加え、隣国からも賓客がいらっしゃるのだからな」


 その言葉にハッとする。そうだ、どうして失念していたのだろう。


(わたくしの5歳の誕生日──)


 リナリアにとっての、「始まり」の日。バーミリオンと出会う日だ。急に緊張して、ドレスのスカートをきゅっと握った。父王はそれを、パーティーへの不安と捉えたらしかった。


「なに、先程のような礼が出来れば案ずることは無い。既にプレゼントもたくさん届いておるし、今は楽しいことを考えれば良い」


(やさしい……)


 記憶の中の父と別人のようで、まじまじと見つめてしまう。この父が年を経て変わってしまったのか。本当はこの頃のままだったのか。


「父上!」


 兄の大きな声がする。父はリナリアとヘレナを膝から下ろし、立ち上がった。


「何用だ、グラジオ」


 兄にかける声音は、少し厳しい。


「はい。隣国の友人が父上とリナにあいさつをしたいと」


 心臓が跳ねる。


(バーミリオン様だわ……)


「うむ、ではヘレナを下がらせる」


「ええ〜、ヘレナもごあいさつするのぉ」


 ヘレナはぐずったが、王妃に手招きされたヘレナの世話係が慌てて迎えに来た。


「ヘレナ様は、来年5歳におなりのときに皆さまにご挨拶しましょうね。それではお部屋に戻りましょう」


「やぁだぁ〜」


 ヘレナは最後まで嫌がっていたが、結局大人たちに連れていかれた。リナリアも母に手招きされてそちらへ寄る。グラジオはやれやれと肩をすくめている。


「ヘレナはまだ赤ちゃんだな」


 リナリアは髪を触ったり、ドレスを触ったり、そわそわと落ち着きがなくなってきた。


(バーミリオン様と初めてお会いするのに、何か変じゃないわよね? 大丈夫よね?)


 母が少し心配そうにリナリアの肩に手を添える。シルクの手袋越しのぬくもりがあたたかい。


 ヘレナが裏から完全に退室したのを確認して、父王はグラジオに頷いた。


「お通しせよ」


 リナリアは目を閉じて、イメージトレーニングを始める。動揺して粗相をしないように。塔の上のことを思い出して、怖がらないように。


(大丈夫、あの方と初めて会った時のことは何度も心で再生しているもの)




「失礼いたします」




 まだ声変わり前の幼い声だけれど、7歳とは思えない落ち着いたトーン。


 心臓がうるさい。まだ声を聞いただけなのに、期待と恐れ、嬉しさと悲しさ、色んな感情がごちゃごちゃになる。


 おそるおそる顔を上げれば、白い礼服を着た少年が、金の髪を揺らして颯爽と入ってくるところだった。その後光の差すような美しさに、リナリアの目は釘付けになる。


「バーミリオン様……」


 彼の名前が思わずこぼれてしまい、ハッと両手で口を抑えた。王に挨拶しようとしていたバーミリオンがリナリアの方を向く。彼のルビー色の瞳が、リナリアのサファイア色の瞳を真っ直ぐに捉えた。


「はい」


 ああ、邪魔をした。


 彼は本当は、リナリアの方を見るよりも先に国王に王子として挨拶をしなくてはいけなかったのに。


 しかもバーミリオンは、そのままリナリアの方へ歩み寄って来るではないか。近づいてくるバーミリオンを見るのが怖いのに、目が離せない。




「リナリアさまですね。はじめまして。アルカディール王国王子、バーミリオン・マーリク・アルカディールと申します。名前を呼んでいただき光栄です。


本日は5歳のお誕生日おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます」




 その笑顔は、リナリアがずっとずっと大切にしてきた思い出のまま……いや、思っていたよりもさらに輝くようで、美しくて、優しい微笑みだった。


 あまりに、きれいで──。




「リナリアさま?」




 気がついたら、リナリアはぽろぽろと涙を流していた。

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