雪馬車姫
「雪馬車、姫」
首を傾げて、問われた単語を繰り返す。リナリアも初耳の単語だった。ラビィはリナリアの真似をするように同じ方向に小首を傾げて見せる。
「この間ね、アルカディールの公女のパーティーにご招待された時に聞いたの。レガリアのリナリア王女は『雪馬車姫』って」
「まあ」
心当たりといえば、誕生日の件だろうか。それにしても、まさかアルカディールで噂されているとは想定外だったけれど。
後ろにいたクローブがけたけたと笑い出した。
「馬車の姫って、なんかダッサイ二つ名だな。田舎姫って意味か? それとも馬みたいな足でもしてるの?」
クローブの品の無い言いように、頬が熱くなるのを感じる。子供のからかいに、いちいち反応してはいけないと自分に言い聞かせてはみるけれど、子供時代にそういうからかわれ方をしたことがなかったので、どう反応したら良いのかよくわからなかった。ラビィが頬をふくらませて、クローブを軽くにらんだ。
「兄さまったら! ごめんね、ちょっと気になったから聞いてみたの。もしかして、失礼なことだった?」
「いいえ、多分それは……」
「リナ!」
バーミリオンの声がして、反射的にそちらを向く。バーミリオンが会場の入り口あたりから、こちらに駆け寄ってくるところだった。後ろからディートリヒもついてきている。
「さっきディートリヒ殿にも会ったから、例のお祭りについて話を聞いていたんだけど……」
バーミリオンの視線がリナリアから、ラビィへと移る。それから、二人繋いだ手にも。
「あ、リオンさま、彼女は……」
リナリアが紹介するより前に、クローブが無遠慮にバーミリオンを指差した。
「あ、アルカディールの王子だ。なんだ、噂に聞いたより元気そうだな」
その物言いに、リナリアは冷や汗をかいた。バーミリオンの方を見ると、彼は相手を値踏みするようにふっと目を細めてから、口角を上げて笑った。大人の愛想笑いに近い笑みだった。
「えっと、サハーラ帝国のクローブ皇子ですね。先日は母の葬儀に参列いただいてありがとうございました。今日は、グラジオの誕生日のお祝いに?」
「そうだよ。とびっきりのプレゼントも持ってきたんだ。初めて来たけど、レガリアって思ってたよりかなり田舎だったし、グラジオのやつもきっと喜ぶと思うなあ」
「兄さま、いい加減にしてよぉ。また騒ぎを起こしたら、今度は私まで怒られちゃうでしょ」
ラビィがリナリアの手を放してクローブをぺしっと叩いた。通りすがりの貴族の視線を感じる。ディートリヒの顔も少し青くなっている気がした。リナリアは、できるだけにこやかにバーミリオンの方へ一歩進み出る。
「リオンさま! ご紹介しますね。こちら、クローブ皇子の双子の妹姫さま、ラビィさまです。リナたち、先ほどお友達になりました。今はお二人を会場に案内していたところです」
リナリアに紹介されると、ラビィはバーミリオンの方を向いて愛らしい笑顔で礼をした。頭のヴェールの薄布が空気をまとい、蝶のようにふわりと広がる。
「初めまして。サハーラ帝国の第三皇女ラビィと言います。兄さまが失礼をしてごめんなさい」
「ラビィ皇女、初めまして。お名前は知っていました。私は気にしていません」
そう言って優雅に一礼したバーミリオンにリナリアは思わず見惚れたが、ラビィもまたバーミリオンをじっと見ているのに気がついた。
(はっ、も、もしかして、リオン様の魅力にラビィも気がついてしまったのでは……確かにバーミリオン様は世界で一番素敵ですから致し方ないこととはいえ……なんだか複雑だわ……)
動揺してバーミリオンを見ると、彼もまたリナリアを見たのですぐに視線がぶつかった。バーミリオンが、今度は自然な笑顔でニコッと笑ってリナリアの隣に来ると、手を差し伸べる。
「ご案内は終わったところ? グラジオが入ってくるまで一緒にいても大丈夫かな」
「あっ、は、はい。もちろん……ご挨拶で慌ただしいかもしれませんけれど」
「良いよ。近くにいたいだけだから」
バーミリオンの手を取ろうとしたら、突然クローブが横からリナリアの手を掴んで、ラビィの手と繋がせた。いきなりのことに呆気に取られていると、それはラビィも同じだったようで、ぽかんとしてクローブを見ている。バーミリオンは少し固まった後、先ほどの愛想笑いでクローブに向き直る。
「女の子の手を乱暴に掴んではいけないと思うんだけど」
「ラビィが先に繋いでただろ。それに、まだ話終わってないんだよ。『馬車馬姫』の話聞かないと気になるし」
「馬車馬姫……?」
怪訝そうに眉をひそめるバーミリオンに、ラビィが慌てて手を振る。
「違います、『雪馬車姫』! 前にアルカディールでリナリアは『雪馬車姫』だって聞いたので、どういう意味なのかなって……」
雪馬車という言葉に、少し離れたところにいたディートリヒがぴくっと反応した。バーミリオンは「アルカディールで……?」と、より怪訝そうに首を傾げる。
「だからさ、馬みたいな足でもしてんのかなって……」
「リナに意地悪言うのやめてくれないかな。君は前も髪の毛ひっぱったって聞いたけど」
「おま……王子には関係ないじゃん。あんたの妹でもないくせに」
おろおろしているうちに不穏な空気になってきたので、空いている方の手でバーミリオンの袖口を握った。兄の誕生日で他国の王子たちが喧嘩した、なんて噂になったら大変だ。
「あ、あのう、雪馬車っていうのは、あの、リナがお誕生日に雪用の馬車をお願いしたことだと思います……!」
バーミリオンの顔を見上げてから、隣のラビィの方も見てコクコクと頷いて見せた。ラビィは口に手をやって、目を丸くする。クローブも関心をこちらに移したようだった。
「まあ、馬車に雪用のものがあるの? 面白い!」
「へー。でもわざわざ誕生日プレゼントにそんなもん選ぶなんて変なやつだな」
「そ、そんなことありません。えっと、北の文化を知りたかったからで……」
ちらっとディートリヒを見ると、彼はかなり萎縮しているようだった。けれど、リナリアが自分の方を見ているのに気がついて、ピシッと背筋を伸ばした。
「あ、あああの、リナリア王女は、北の文化に興味を持ってくださったんです。それは、すごく……あの、嬉しいことです!」
「お前だれ?」
「あ、でぃ、ディートリヒ・グラッセン……れ、レガリア北方のグラッセン子爵の長男です……雪用の馬車は、ぼくと父がリナリア王女に差し上げました」
子爵と聞くと、クローブは首を傾げてラビィを見た。
「シシャクってえらいんだっけ」
「もう、前に習ったわよ。貴族の方です。伯爵の次よ」
「なーんだ、じゃあそんなにえらくはないのかあ。よく王家の話に入ってこれたよなあ」
ディートリヒが真っ赤になってうつむくのが気の毒で、リナリアは思い切ってクローブの方を見た。
「クローブ皇子、ディートリヒ様のことをそんなふうに言うのはやめてください。わたくしの言いたいことに気づいて、説明してくださったんですから」
「なんだよ、もう。みんなして大人みたいに説教して、うるさいな」
クローブは口をとがらせて、リナリアたちから離れて行くそぶりを見せて――リナリアの背中についている大きなリボンを思いっきり引っ張った。リボンは解けて、だらりと床に垂れる。
「きゃっ」
「チビのくせにオレに説教なんて100年早いぜ」
あはは、と愉快そうに笑ってクローブは会場に走って入って行った。ラビィはため息をついて手を放す。
「もー! ごめんね、リナリア。私、兄さま追いかけてくる」
「だ、大丈夫よ。びっくりしたけど、痛いわけじゃないし、髪のリボンじゃなくてよかったわ」
ラビィには笑顔でフォローしたけれど、バーミリオンの真横でドレスが崩れたのが恥ずかしくて顔は熱くなる。ばあやが慌てて近づいてきた。しかしそれより先に、バーミリオンが床に垂れたリボンの両端を掬うように手に取る。
「あっ、リオンさま……」
「ごめん。近くにいたのに」
そう言う顔はしょんぼりとしていて、リナリアよりも傷ついているように見えた。
「大丈夫ですよ。飾りですから、なくても良いくらい……」
「ううん、ダメだよ。よく似合っていたから」
バーミリオンは床に擦ったリボンの端を軽くはたいて、ばあやに渡す。
「直せますか。必要なら私が持っていますが」
「いいえいいえ、王子様のお手をわずらわせるわけには。大丈夫です、簡単にお直しできますからね。姫さま、少々壁の方へ……」
壁際に寄り、リナリアの護衛とバーミリオンの護衛が人目を遮ってくれているうちにリボンを直してもらう。鏡が無いのでよく見えなかったけれど、ばあやがエプロンのポケットに常備している携帯用の針と糸を使って、手際よく作業しているらしかった。それよりも、気がついたらバーミリオンと手を繋いでいたのに自分で驚いた。移動の際、ごく自然に手を差し伸べられたのだ。
「なるほど、糸で形を固定していたんだね。ずいぶん強く引っ張られてしまったみたいだ。乱暴な……」
「あ、あのあの、リナリア様、すみませんでした。ぼくのせいで……」
ディートリヒが泣きそうな顔をして手を合わせた。リナリアは、にっこり笑う。
「ディートリヒ様のせいではありませんよ。むしろ、ごめんなさい。ご挨拶もまだだったのに……今日はお兄さまのお誕生日ですから、後で行って差し上げてくださいね。きっと喜びますから」
「は、はい。ありがとうございますぅ……。父も会場にいますので、もし何かありましたらすぐ参ります。馬車のことでも……あの、雑用でも……」
「はい。ありがとうございます。じゃあ……直しも終わったようなので、皆さんで会場に行きましょうか。ね」
隣のバーミリオンを見る。彼は無表情にディートリヒを見ていたが、リナリアの視線に気がついてにっこりと笑った。
リナリアは、バーミリオンが自分と他の人とで見せる顔が違う気がするのが少し引っかかったけれど、何も気づいていないふりをして、微笑みを返したのだった。
お久しぶりのディートリヒです。
季節的には秋ですが、雪国に住んでいる彼にとってはまだまだ暑いので、懐に扇がスタンバイされています。




