予知夢
バーミリオンのやつれかたを見て、玉座で待っていた両親もまた痛ましい顔をした。
「バーミリオン王子、今日は疲れたでしょう。まずはお部屋でゆっくり休養してくださいな。グラジオ、色々とご説明して差し上げてね」
母がそう声をかけると、バーミリオンは控えめに頷いた。
「……お言葉に甘えて」
リナリアとヘレナは自室に戻り、グラジオだけバーミリオンについて部屋を案内することになった。
顔を見るまでは早く話がしたいと思っていたけれど、それよりも休養してほしいという気持ちが強まる。
「……アルカディールは、治癒魔法というのもあるはずです。お城の医療班はバーミリオン様の健康状態をどうもしなかったのでしょうか」
部屋でバーミリオンからもらったハンカチを綺麗に畳み直しながら、その辺りにいるだろうクロックノックに向けてつぶやいた。
〈世継ぎの王子じゃし、何もしとらんことは無いと思うが、治癒魔法はかけられる側の精神状態によっても効き目は変わるからのう。要するに、他所からの魔力を己に取り込んで修復するわけじゃから。精神的に疲れ切っておると、疲れてる時に食べ物を受け付けんのと同じ現象が起こってしまって思うように回復せんというわけじゃ〉
「そう、なのですね……」
魔法と言っても万能では無いらしい。その点で言えば、クロックノックの時を渡る能力は本当に規格外なんだろう。
キュッとこぶしを握る。
(わたくしが、あの方にして差し上げられることは……)
癒しになること。信用を得ること。どちらかといえば、後者の方が自分には合っていることは自覚していた。先ほどの出迎えの時もそうだったが、自分には、ヘレナのような人懐こさはないし、動くより先に考えないと行動できない。
(わたくしは、彼をなぐさめる花にはなれないかもしれません。それなら、彼の杖となる木の枝になりたいわ)
新たに決意を固め、夢のことを考える。
(バーミリオン様と同じ夢ではなくて、わたくしの視点から夢を見たことにしましょう。やっぱり同じ夢を見ている人がいるというのは不安を与えてしまいかねませんわ。幸い、前の記憶があるから、ほとんど矛盾なく受け答えはできるはず)
と、思っていたところに、ドアのノックが聞こえた。折りたたんだハンカチをポケットにしまう。
返事をする前にばあやが入ってきた。
「姫さま。バーミリオン王子がいらっしゃいましたよ」
想定よりもずっと早い訪問だった。きっとバーミリオンは一刻も早く夢の話をしたいのだろう。
「すぐにいくわ」
バーミリオンは、側近と一緒にドアの前で待っていた。リナリアの顔を見て、にこりと笑う。
「リナリアと話すのを楽しみにしていたんだ」
その言葉に、リナリアは胸を射抜かれたような感覚になった。しかし、ここ最近何度も手紙を読み返して鍛えた精神力で、すぐに体勢を整える。
「リナもです、バーミリオンさま」
図書館に行くのだろうと思っていたら、バーミリオンはばあやの方をじっと見つめる。
「いかがされましたか、王子様」
ばあやが腰をかがめて尋ねると、彼は少し迷ったふうに目を伏せてから、改めてリナリアを見た。
「大変失礼なのは承知なのですが、リナリア王女と二人だけでお話することはできますか」
ばあやとバーミリオンの側近が目を合わせる。どうやら自分の側近にも言ってなかったらしい。バーミリオンは少し焦ったように言葉を続ける。
「幼い王女さまと二人だけというのが憚られるのは、承知しています。けれど、どうしてもリナリアさまとお二人だけで話したいことがあるのです。その……」
バーミリオンはちら、とリナリアを見て、口元を隠した。
「他の方に聞かれるのは、恥ずかしいので」
今度こそリナリアは倒れそうだった。
(バーミリオン様が……お可愛らしすぎます……)
ばあやは「あらあら」とニコニコして、リナリアに耳打ちをする。
「どうなさいますか、姫さま。ばあやはしばらくお茶を淹れに行ってもよろしいですか?」
ばあやは協力してくれるようだ。リナリアはばあやにコクコクと頷き、部屋のドアを開けた。ばあやがバーミリオンの側近をじっと見ると、側近もこほんと咳払いをする。
「それでしたら、私はお茶が入るまで部屋の前でお待ちしましょう。何か御用がございましたらお申し付けください」
「わかったよ、ラセット」
側近に礼をして、バーミリオンはリナリアに続いて部屋に入った。
(こ、こんなことなら、もっともっと綺麗にしておきましたのに……)
元々真面目な性格のリナリアなので、もちろん日頃から片付いた部屋である。しかし、好きな人を招くとなれば、話は別。もっと良い匂いをさせたりお花を飾ったりしたかった、と、内心で密かに涙を流した。
リナリアはガチガチになりながら、いつもお茶を飲むテーブルに案内する。
「ご、ごめんなさい。片付いていなくて」
「いや、そんなこと。無理を言ってごめん、さっきの。他に口実が浮かばなくて……」
不安げなバーミリオンに、ぶんぶんと両手を振る。
「だ、大丈夫です。必要なら、わたくしからばあやにうまく言いますから」
「……ありがとう。じゃあ、時間もないので本題に入らせてもらうよ」
バーミリオンは身を乗り出してリナリアの瞳を見る。
「リナリアは、『予知夢』を見ている? ええと、未来の夢」
「予知夢」という言葉に、前にクロックノックが言っていた「あったはずの過去や未来の夢を見ることがある」という話を思い出す。手紙から何となく想定していたが、やはりバーミリオンはリナリアにとっての「あったはずの過去」、彼にとっては「起こるはずの未来」を見ているのかもしれない。
ごくり、と息を呑む。
「よちむ、というのは分かりませんが……もしかしたら、未来の夢は見ているかもしれません。いっぱい雪が降ったのは、当たりました」
バーミリオンは真面目な顔付きで頷く。
「……やっぱり、そうなんだ。リナリアも、5歳にしてはしっかりしているもの。きっと、私と同じように夢で人より多くのことを経験していると思ったんだ。ああ、でももしわからない言葉があったら、ちゃんと言うんだよ。教えるから」
5歳らしくない点を指摘されたのには冷や汗をかいたが、同時に重要な情報も得られた。
(バーミリオン様が実年齢より大人びてらっしゃるのは、夢で多くの経験をなさっているからなのかしら。でも、前のバーミリオン様も今と同じように、人並はずれて大人びてらっしゃったわ。つまり、バーミリオンさまが『予知夢』をご覧になるのは、わたくしの時間移動と関係なく……?)
バーミリオンは話を続ける。
「気になっていたのが……今のところ、私が見ている夢は、リナリアに関係することが違うんだ。もちろん私も全ての未来が見られたり、起きても覚えていられるわけじゃないから、わからないところは色々あるのだけど。リナリアの誕生日のこと、私が夢で見たのは雪が降り始めたところまで。その先は分からなくて」
バーミリオンの顔が少し暗くなる。しかしすぐに立て直して、背筋をピンと伸ばした。
「……予知夢の能力は、アルカディール王族に代々伝わる魔法能力で、直系の母上と私に受け継がれていた。この力は、不便でね。いつのどんな未来が見えるかも安定しない。明日のことかもしれないし、何年も先かもしれない。一瞬しかわからないかもしれないし、丸一日を体験するかもしれない。だから、周囲には秘密にされているんだけど……母上は亡くなる前に、私を呼んで遺言を。立派な王子になること、弟と仲良くすること、それから……
『見える未来を変えようとしてはいけない』
そう、おっしゃっていた」
リナリアの顔からすっと血の気が引く。
(もしかして、未来を変えたわたくしを咎めにいらしたのかしら)
何と言われるのか怖くなって、ぎゅっと目をつぶる。しばしの沈黙のあと、バーミリオンが席を立つ気配がした。おそるおそる目を開けた時には、バーミリオンはリナリアの傍らに跪いており、両手でリナリアの手をそっと包むように握った。
突然の至近距離に、リナリアは思考を停止した。
「リナリアは、大丈夫? 何か悪いことは起こっていない?」
「な。なにも」
「何もってことは無いと思うけど。この間、サハーラの皇子にいじめられたんだろう? あれも、私の見たのとは異なる出来事だったから気になっていたんだ」
「えと……はい……」
「教えないといけないと思って。もし、リナリアが私と同じように予知夢を見て、それとは違うように動いているんなら、それは危険なことかもしれないから。けど、」
バーミリオンが握った手に力を入れる。
「ありがとう。リナリアのおかげで、母上の最期に立ち会えた。葬儀の知らせを持って行った家臣が言っていた。レガリアは本当に深く雪が積もったんだね。もしレガリアに残っていたら、あの雪ではとても間に合わなかっただろう……。リナリアの夢で泣いていたのは、もしかしたら私だったのかもしれないね」
その言葉に、リナリアは息が詰まる。子供の時にこんなに誠実でまっすぐな人が、どうしてあんなことを。10年と少しの間にどれほどの絶望や苦しみを経験したのだろう。そして、それはこれからも彼に降りかかる可能性があるのだ。
「わたくしは、何も。ただ、早く帰ったほうがいいって、そんな気がして」
バーミリオンは寂しげに微笑む。
「うん。ええと、それで。一方的に聞かせてしまってから言うのも、なんだけど……これは、秘密にしないといけないことなんだ」
困ったように人差し指でこめかみを押さえる彼に、リナリアは力強く頷いた。
「わたくし、絶対秘密にできます。ばあやにも、お兄様にも、お父様にもお母様にも言いません」
「ありがとう。リナリアならそう言ってくれると思った。それで……リナリアが良かったら」
すう、と息を深く吸ってから、バーミリオンはリナリアを真剣な目で見つめた。
「これからも、私と秘密を交換してくれないか」
リナリアが天才5歳児なのは予知夢のおかげ、ということになりました。