バーミリオンからの手紙
父が髭を撫でながら首をかしげる。
「……確かに、我が国の学院は外国の王族も受け入れているが……唐突な話なので少々時間をいただきたい。クローブ皇子はおいくつだろうか」
「7歳でございます、陛下」
「承知した。ならば、かなり先の話になろうな……。準備期間を見て早めに打診して下さったということだろうか。ひとまず、返事は保留させていただくが、謝罪と要件は承った」
「はっ。すぐに返事はいただかなくてもよいと承っておりますゆえ、どうぞごゆっくりご検討くださいませ」
使者が下がってから、父王は本格的に頭を抱え始めた。
「……先方の考えていることがさっぱりわからない。不可能ではないが……まさか皇子の教育を丸投げする気ではあるまいな」
父がちら、とリナリアを見る。グラジオは憤然と父に詰め寄った。
「父上、俺やだよ! 年近いから学院で顔合わせることになるじゃん」
「まあ、そう一方的に撥ねつけるなグラジオ。まだ先の話だから、それまでに皇子も成長なさるかもしれないだろう……うむ。ただ、他国の王族を預かるとなると、すぐに返事ができる話でもない。幸い時間もあることだし、もう少し詳しいやり取りの上決めさせていただくことにしよう。このことはこの場だけの話、内密にすること」
「ぜっっったい嫌ですからね!!」
グラジオはまだ何か言いたそうだったが、護衛の騎士たちがなだめすかして訓練場に連れて行った。
「ふむ、グラジオはもう少し感情のコントロールを覚えねばならんな。リナリアの方が怖がるかと思ったが……リナリアはえらいな」
「はっ」
予想外のことについ呆然としてしまっていた。にこにこしている父に何も言えなくて、とっさに作った笑顔は強ばっていたかもしれない。
怖くないわけでもないが、どちらにせよ先の話なので、未だピンと来てはいなかった。ただ――
(あまり国家間が近しくなりすぎると、また婚約話が出てきてしまうかも……できたら同じ学院に通うのは回避したいところですけれど……)
ひたひたと「起こるべき未来」の足音が聞こえる気がする。リナリアを逃がすまいと近づいてくるようだ。
「そ、そうですわ、おとうさま」
「ん?」
両手を組み合わせて、玉座の父を見上げた。まずは自分のやるべき「わがまま」を実践しなくては。
「わたくし、いま、歴史やリリアさまのおべんきょうをがんばっているんですの。それで、おしろの、魔法検閲官の方々のおしごとばしょを見てみたいのです」
「魔法検閲官……?」
父の片方の眉が上がる。やはり王族から切り出す話題としてはあまりよくないのかもしれない。
リナリアはドキドキしながら、できるだけ無邪気な笑顔を作り、ばあやが持っている絵本を指差した。
「はい! 『リリアさまのものがたり』に書いてありました。レガリアでは、ひとびとが悪の道におちないように魔法を禁止しているのですよね。その、ひとびとをまもっているおしごとが、神官さまや、魔法検閲官さんなんでしょう? 騎士のみなさまみたいで、かっこいいです」
父王は、ふうとため息をついた。
「まったく、先日の雪用の馬車のことと言い、お前は時々思いもよらないものに興味を持つのだな……。魔法検閲官には、堕落しない選ばれた者が就任しているが、魔法自体は使用しているのだ。よいかリナリア、魔法など、子どもが近づくものではない」
(やはり反対なさいますよね)
手にじわりと汗がにじむ。
「で、では、リナはだらくしないように、お勉強や、レッスンをもっともっとがんばります! リナは、いろいろなことを知りたいのです。おとうさま、もし、リナがたくさんがんばったら、ごほうびに……」
「ダメだダメだ、部屋に戻りなさい」
父は払うように手を振って、ばあやに目で合図した。ばあやは慌ててこちらに近寄り、リナリアを抱っこしてぺこりと一礼し、玉座の間から退出する。
ばあやに運ばれながら、リナリアは目を閉じて思考する。
(やっぱりこればっかりは一筋縄ではいきませんわね……。レガリア王家と魔法との関わりから予習して、もう少し説得力のある年齢になってから再度交渉するのが現実的かしら。それまでは、内緒でどうにかしたいところです)
考える中で、ヘレナのことを思い出す。
ヘレナは強い魔力の持ち主で、10歳ごろから魔力が本人の意思とは関係なく漏れ出てしまうようになっていた。一般に「悪魔の子」と呼ばれる症状である。ヘレナの魔力は周囲に眠りをもたらすというもので、感情が高ぶると近くの者がバタバタと倒れてしまうのだ。公的に魔法の訓練をすることを認められないヘレナは、症状が出るたびに対症療法で魔法検閲官に抑えてもらっていたが、かなり苦しんでいたようだった。そのため学院に入学する年齢も遅れたが、ある時期からその症状も収まってきて、明るくなったように思う。
(お父様は「胆力が弱いからだ」と精神論で片づけていたけれど、きっとそれだけではないはずよね。以前はわたくしも知識がなくて、全然助けになれなかったのが悔やまれるわ。今度はあの子の助けにもなってあげたい……)
部屋の前まで来ると、グラジオ専属の文使いが立っていた。不思議に思い、ばあやから降りて近づく。
「こんにちは。お兄さまなら訓練場にいらっしゃいますよ」
「ごきげんよう、リナリア王女。こちらは、リナリア様にお渡しするように言付かっております」
「わたくしに?」
悲しいことに、手紙をやりとりするような友達はいないはずである。まさかあの異国の人ではあるまいと封筒を確認して、手紙を取り落としそうになった。
「ぴゃっ」
差出人にバーミリオンの名前が書いてある。彼から父を通さない手紙をもらうのは、人生で初めてであった。
文使いは、リナリアの大仰な反応に驚いて一瞬固まったが、こほんと咳払いをする。
「グラジオ様へのお手紙と一緒にお預かりいたしました。リナリア様に直接お渡ししてほしいとのことでしたので」
「あらまあ、よろしゅうございましたね、姫さま。王子さまは、何を送ってくださったのかしら」
ばあやは小躍りせんばかりの勢いで喜んでいる。リナリアはすうはあと深呼吸した。
「ひ、ひとりで読みたいので、あの、いいですか、ばあや」
「おひとりで読めますか? ばあやがお読みしてさしあげましょうか」
「よ、読めます! リナはもう、ご本は絵が無くっても読めるんですから! ばあやはきゅうけいです! リナをお部屋まで運んで疲れたでしょう!」
ばあやの腰のあたりをぎゅっと押す。ばあやは「はいはい」とにこやかに、リナリアに絵本を渡して頭を撫でた。
「では、ばあやは一度下がりますが、もし読めない字がおありでしたらいつでもお呼びくださいな」
(読めるのに……)
ばあやが廊下の角を曲がったのを確認してから、リナリアは部屋に入り、後ろ手にドアを閉める。
「ど……どう、しましょう」
じっと封筒の表に書かれた自分の名前を見つめる。バーミリオンの字は、まだ子どもらしい揺れは残っているものの、丁寧に書かれているのがよく分かった。片手を頬に添えて、うっとりとため息をつく。ともすれば涙もにじみそうだった。
「はあ。バーミリオン様がわたくしの名前を書いてくださったなんて、夢みたいだわ」
〈相変わらずお前はバーミリオンのことになると価値観が狂っとるのう。手紙の一通や二通でそんな喜ぶことかの〉
「クロックノック様! いらっしゃるとは思いましたけれど……」
無遠慮に頭の上に乗っかる鳥の声を聴き、リナリアは口をとがらせる。
「だって、初めてなんですもの。お手紙を書いている時間というのは、その場にいない相手のことを考える時間でしょう? あの方の時間の中にわたくしがいるということが形として送られてきていますのよ。こんなにうれしいことってあるかしら……」
〈わかったわかった。はよう読んだらどうじゃ〉
「……ひとりで読みたいです」
〈わかったわかった……後ろを向いとりゃええんじゃろ〉
クロックノックがぱたぱた羽ばたいて後ろにいったのを確認して、そーっと封筒を開け、きっちりと折りたたまれた手紙を広げた。端にアルカディール王家の紋が透かし彫りで入った、王室用の美しい便箋である。
リナリアが読みやすいようにか、簡単な言葉を連ねて書いてくれている。
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
リナリアさま
アルカディールでは春の花が咲き始めました。レガリアのきれいなお庭の花はどうですか。
この前は母のお別れに来てもらい、ありがとうございました。
母もきっと、喜んでいると思います。
今日、こうしてお手紙を書いたのは、リナリアにお聞きしたいことがあるからです。
リナリアは、夢を見ますか。
お誕生日の前に、雪の夢を見ましたか。
変なことを聞いていたら、ごめんなさい。
もしも夢を見ていたら、お返事に書いて送ってくださるとうれしいです。
――バーミリオン・マーリク・アルカディール
―― ☆ ―― ☆ ―― ☆ ――
季節のあいさつがお優しい、とか、「うれしいです」なんてかわいらしい……など一言一言をかみしめるように読んでいたので、手紙で聞かれていることについてすぐ理解できなかった。
「夢……?」
はて、と沈思したのち、ハッとして悲鳴を上げそうになる。きっと偶然だろうと思うけれど、妙な胸騒ぎがする。
「ひぇっ、いえ、いえまさか、まさかそんな……く、クロックノック様!」
クロックノックが呆れたように振り返り、ぱたぱた飛んでくる。
〈今度はなんじゃ! 一人で味わうんじゃなかったんか〉
「あの、夢でわたくしがバーミリオン様の記憶を見たこと……ご、ご本人が、わかったりするものなのでしょうか……?」
好きな人から突然手紙来たらびっくりしますよね