辺境の男爵
リナリアはティナとの約束通り、三人が帰ってから、もらった手紙を開けた。ばあやには三人にお土産としてお菓子を渡してもらうようにお願いしたので、今頃一緒に厨房の方へ行っているだろう。
ティナとヨナスの手紙には、リナリアの体調を気遣う言葉と、最近の授業のこと、それから来月中旬のウルの誕生日プレゼントを一緒に考えたいという旨が書いてあった。
「なるほど。それで、みなさんが帰ってから読んでと言っていたのね」
くす、と笑って、自分の誕生日のことを思い返した。三人はリナリアのためにみんなでプレゼントを相談して用意してくれた。そして今度は自分も、友達のためにプレゼントを考える仲間に入れてもらえるのが嬉しかった。
(ウルは何を喜んでくれるかしら。やっぱり絵の道具とか……)
ウルのことを考えながら、彼の書いてくれた手紙に手を伸ばした。何か欲しいものの手がかりなどはないかしら、と気軽な気持ちで開いたが、すぐにどきっと心臓が鳴った。
『ごめんなさい』
二つ折りの手紙には、中央にただそれだけが書いてあった。
ウルの丁寧な字が、少し震えているように見えた。
「ウル……」
クロノがそれを覗き込んで、むむ、と眉をしかめた。
「うーん、あやつだいぶ塞ぎ込んでおるな。このままじゃそのうち根暗路線に入ってシェーレの負の気に同化してしまいそうじゃ」
「どうしましょう……」
「今日タリブメティスを冷やかしに行きがてら、神殿の様子を見に行ったんじゃが……あのジジイの処遇はまだ保留されているようじゃぞ」
リナリアはジジイ、という言葉に首を傾げてから「あ」と手を打った。
「ガリオ長官のことですね」
「うむ。ターバンはウルに魔法陣を刻んだのはジジイじゃろと言うて神殿の調査機関に訴えておるそうじゃが、ジジイは『ウルのために魔法陣を隠す魔法を使用しただけ』と言い張っておるらしい。それだけであっても魔法検閲官の長官としては相応しくない行動であるから罷免される方向になっておるが、副神官長の方はまだ辞職するに至っておらん」
「まあ……魔法を試練と捉えるレガリア派の考え方としては、私的に魔法を使用した、というだけでも駄目になりそうですけれど」
クロノが腕を組んで唇を歪ませた。
「神殿内でも、意見が分かれておるらしい。弟子の魔法を隠蔽しようとしたのは罪じゃとするものと、弟子の将来を考えてのことであれば自分のために使用したとは言えないとするもの……後者の意見を出しているのが高位の貴族や神殿の高官などの力ある者が多いそうじゃ。魔法陣が刻まれていたウル自身に責が及ばないのは、ターバンとお前の父が守っておるからじゃろうな」
リナリアもクロノと同じように、むむと眉根を寄せた。
「ガリオ長官はレガリアを裏切ってアルカディールに接触しようとした人です。ウルが手から離れたとはいえ、要職に就き続けられると、あまり良くないように思います」
「子どもに魔法陣を刻む行為は魔法が許されておる国であっても許されない行為じゃ。そちらの証拠が出ればうんもすんも無く追放されそうじゃがな。高位高官の弱みでも握っておるか、仲間なのか……あのジジイもしつこそうじゃぞ」
「ウルが魔法陣を刻んだ相手について何も証言しないのも気になっています。何か弱みを握られていたり、脅されていたりしないかしら。心配です……」
頬に手を当ててため息をつく。クロノは人差し指でぶにっとリナリアの頬を突いた。
「あう」
「お前はちょーっと警戒心が薄いがな。われがおらんときにウルを部屋にあげるとは……ヒヤヒヤしたぞ」
「ご、ごめんなさい。ティナとヨナスもいたので良いかと思って……ウルも、二人といるときは笑顔が戻っていましたし」
クロノはまだ不満そうだったが、一旦指をリナリアから離した。
「ま、仕方ないか。われも、四六時中お前についていられるわけではないからのう。ある程度は一人でも判断して動けるようにならんとな。それには魔法の腕を上げるのが一番手っ取り早いんじゃが」
「……そう、ですよね」
困るとすぐにクロノを呼んでしまう癖があることを自覚しているので、リナリアはつい目を逸らしたのだった。
翌日になっても熱はなかったので、リナリアは図書館に行くことを許された。体力を戻すために散歩するという目的もある。
クロノと手を繋いで図書館に向かっていると、神殿の方から黒い服に黒いマントを着た紳士が歩いてくるのが見えて足を止めた。藍色の髪のその紳士は、明るい日の光の下にあっても、まるで夜を擬人化したようだった。
「リナリア?」
クロノに声をかけられたが、返事をする余裕もなく黒い紳士を見つめていた。その紳士の顔に見覚えがあるような気がしたのだ。
紳士は上品でスマートな雰囲気のある人だった。年の頃は、リナリアの父よりも少し上だろうか。
紳士はリナリアの視線に気がついて、足を止めた。
「失礼ですが、私に何か御用でしょうか。リナリア王女殿下」
リナリアはハッとして、慌てて礼をした。クロノとベティも頭を下げる。
「ごきげんよう。見かけない方だったので、つい……ぶしつけに見てしまい失礼致しました」
紳士は「これは……こちらこそ失礼」と礼を返してきた。
「リナリア王女殿下のお噂はかねがね。噂通りの神童でいらっしゃる。私の領地は都から遠い場所に属しておりますゆえ、日頃パーティーの類にはなかなか参加できておりません」
「そうでしたのね。お名前を伺っても?」
紳士は視線を逸らし少し迷った様子を見せたが、静かに頷いた。
「……ロルフ・グリフィンと申します」
「ぐ……」
思わず緊張でスカートを強く握ってしまった。グリフィン男爵は怪訝な顔をする。
「何か……」
後ろのクロノがツンと背中をつつく。ハッとして慌てて笑顔を作った。
「あっ、いえ。こ、この間……授業で……地理の、習って……」
「左様ですか。勉強熱心でいらっしゃるのですね。愚息にも王女殿下を見習ってほしいものです」
(子ども……フォルド・グリフィン……でしょうか)
〈うむ。兄弟がいなければそうじゃろう〉
リナリアは笑顔を保ちながら、小首を傾げた。
「ご子息がいらっしゃるのですね。わたくし、お友達になれるかしら」
グリフィン男爵は眉をひそめて、目を閉じて腕を組んだ。
「……どうでしょう。愚息はリナリア王女殿下とは比較にならないくらい、落ち着きも聞き分けもないものですから……。それよりもリナリア王女殿下は、隣国の王子と仲が良いと聞き及んでおりますが」
バーミリオンのことを尋ねられて背筋が冷えた。探られているのだろうか。それとも、世間話だろうか。リナリアは慎重に言葉を選ぶ。
「……そんな。わたくしも聞き分けがないと、父や母によく叱られますわ。隣国のバーミリオン王子様は……お兄様と親しくて……わたくしのことも、妹のようによくしてくださっています」
「…………」
グリフィン男爵は、スッと目を細めた。
「リナリア王女殿下は、魔法検閲官の見習いをなさっているそうですね。それも隣国の王子殿下の影響で? 面白いですか、魔法は」
どきどきする。なんだか、この人の問いかけはパーティーで他の貴族たちが興味本位に聞いてくるのと違う感じがする。
「その、きっかけは……バーミリオン様です。けれど、わたくしは、リリア教の……」
自分の目が泳いできたような気がした。じっと上から見据えられて、リナリアはだんだん萎縮してしまう。
「ちちうえー!」
そこへ、中庭へ続く道の方から、元気なかわいらしい声が聞こえた。
思わず振り返ると、胸のポケットに小さな花を挿した藍色の髪の少年が元気にこちらに走ってくるところだった。グリフィン男爵はため息をつく。
「フォルド。城内で走り回るなと言ってあったはずだ」
「父上、用事おわった? 騎士のくんれん、見学つれてってくれるんでしょ?」
グリフィン男爵はフォルドの頭を押さえつけて、無理矢理頭を下げさせた。
「いててっ」
「失礼いたしました。これが愚息のフォルドでございます。リナリア王女殿下より一つ年長ですが、この通り落ち着きのない子どもで……無礼をお許しください」
リナリアは控えめに首を振った。
「いえ、そんな。お会いできて嬉しいです、フォルドさま。はじめまして」
リナリアが微笑むと、フォルドはじっとリナリアを見つめた。彼の父親と同じ黒の瞳が真っ直ぐリナリアを捉える。
「……同じ色だ」
「ええと?」
意味を測りかねて首を傾げる。父親に後ろから小突かれ、フォルドはピョンと背筋を伸ばした。
「フォルド、こちらはリナリア王女殿下だ。挨拶をなさい」
「わわ、ごめんなさいっ。フォルド・グリフィンです。今年7歳になりますっ。はじめまして……」
(この方が、将来バーミリオンさまを打ち倒す運命だった方……)
もしこのままうまくいってレガリア滅亡を回避できたとしても、歴史の修正力があったなら、その後バーミリオンが狙われる可能性は続くのかもしれない。そういう意味で、このフォルド・グリフィンという人物のこともきちんと把握しておかなければならないとは思っていた。
(あんなに探しても手がかりがなかったのに、こんなに突然遭遇するなんて)
情報を得るより先に本人に会うと思っていなかったので、心の準備が全くできていない。目の前のことにいっぱいいっぱいで、こういうときの対処について何も考えていなかったことが悔やまれた。
フォルドが男爵のマントをくいくいと引っ張る。
「ねえねえ、父上」
「フォルド、私はもう少し仕事をしなければならなくなった。終わるまでお前は図書館で大人しくしていることだ」
「ええええ!? おれ、ずっとくんれん見学するのを楽しみにしてきたのに!!」
「あ……あの」
リナリアはフォルドに笑いかけた。
「よろしければ、訓練場までご案内いたしましょうか。今の時間だと、お兄様が訓練なさっていると思いますわ」