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遠国の皇子

 クローブ皇子は、リナリアの髪を掴んだまま笑っていた。

 グラジオが猛然とその手を掴む。痛さと、葬儀の席で騒ぎの中心になってしまっている恥ずかしさ、申し訳なさで、さすがのリナリアも涙が滲んでくる。


「いたぁ……痛いです……離して……」


「クローブ、早く離さぬか。進行を止めるな」


 皇帝は、クローブをひと睨みして冷たく告げる。クローブはつまらなそうにリナリアの髪を掴んでいた手をパッと広げた。解放されて、よろけたところを母に抱き止められる。クローブは、まだ手首を掴んだままのグラジオを挑戦的に見上げた。


「だって、こいつがコッチ見てたから」

「それだけで、式中にいきなりこんな……!」


「グラジオ、離れなさい」


 父王が兄に静かに告げる。


「でもっ……」


「今がどういう時間かわかっているだろう。早く席に戻りなさい」


「……はい」


 グラジオは悔しそうに唇を噛んで手を離し、席に戻った。リナリアは母に頭を撫でられながら遺族席を確認してみた。国王は相変わらず心ここに在らずという状態だったが、バーミリオンが困惑した様子でこちらを見ている。


(まさかこんなことになってしまうなんて……不用意にキョロキョロしていたわたくしもよくなかったけれど、なんて乱暴な方なのかしら)


 母が小声で「リナリア、驚いたわね……良い子、良い子」と囁きながら撫でてくれる。その手があたたかく、優しくて、ホッとしたら涙が出てきた。そこへ、父の冷たい声が降ってくる。


「リナリア、落ち着いたらお母様から離れなさい」


 慌てて涙を拭いた。ついさっきまでいじめられていた5歳の子供への言葉としては厳しい。けれど、バーミリオンの前でいつまでも母に甘えているわけにはいかなかった。

 席に戻ろうとしたら、いつの間にかグラジオが通路側に移っていた。怒った様子を隠そうともしていなかったが、リナリアを見ると自分の右側の席をぽんぽんと叩く。振り返ると母も頷いていたので、リナリアはそのまま兄と席を替えてもらった。


 花を手向け終えたクローブ皇子が戻ってくる。リナリアとグラジオの席が替わっているのを見て「お」という表情をしたが、すぐにまたニヤニヤと笑った。兄はクローブを睨みつけている。

 すれ違う前、皇帝が皇子の手をグイッと引いてグラジオから離した。


 グラジオは露骨にイライラと貧乏ゆすりをしていたので、リナリアはそっと兄の膝に手を置いた。


「お兄さま、大丈夫です。ちょっとびっくりしただけですから……」

「ふん」


 兄はまだ納得いってないようだったが、前方で弔問客に頭を下げる友人の姿を見て、いからせていた

肩をストンと下ろした。

 その後の葬儀はつつがなく行われたが、「事件」の後処理はまだ終わらなかった。



 葬儀が終わると、式中は黙っていた父が見たこともないような顔で立ち上がった。父は明確に怒っていた。

 あれからずっと憮然としていたグラジオは、父の顔を見て固まった。母は見るからにおろおろして、リナリアを抱き寄せる。


(お父様があれほどにお怒りになるのは見たことがないわ……)


 リナリアもグラジオと同じように呆然と父の顔を見つめていると、父がリナリアに手を差し出した。リナリアはすぐにその手を取った。


「リナリア来なさい。グラジオもだ。サハーラ帝国に()()()に行く」


 父は後方に向かってずんずんと歩き出した。

 大股で歩む父に追いつくには小走りになるしかなくて、半ば引きずられるように神殿を進んでいく。グラジオさえも小走りだった。

 サハーラの皇帝と皇子は廊下にいた。


「失礼、サハーラ帝国のクローブ皇子にご挨拶に参りました。式典中、娘が何か失礼を働きましたか」


 父の言葉は冷ややかで、周辺の人々がさっと散りこちらの様子を伺い始める。クローブはといえばヘラっと笑って異国風の礼をした。


「はじめまして。第二皇子のクローブと申します。えーと、」


「レガリア王国の国王陛下、それからグラジオ王子と、リナリア王女」


 皇帝が淡々と説明する。父のこめかみに青筋が立ちはじめた。


(お父様は、クローブ皇子の態度を、レガリアに対する侮辱だと受け取ってらっしゃるのでしょうね……でも子どものすることだし、あまり強く怒るのも良くないのではないかしら……)


 ついそう考えてしまっていると、グラジオがリナリアを守るように前に進み出た。リナリアの婚約について抗議してくれた時のことを思い出して、胸がじんとする。誰が見てもレガリアの男達は怒り心頭の様子であったが、クローブは全く悪びれなかった。


「レガリア王国の人だったんだ。別に何もないよ。その子がオレの方を見てたから、かまってほしいのかなって思っただけ」


 あまりの暴論に衝撃をうける。


(そんなの乱暴すぎるでしょう!)


「お前何言ってるんだ?」

「グラジオ、言葉を改めろ。それと、突然掴んだことを謝罪しなさい」


「なんで俺が……!」

「謝罪しろ」


 父の怒りに燃える目に見下ろされて、グラジオはぐっと唇を噛んだ。おそらく先に謝罪することで相手からの謝罪も引き出そうということなのだろう、とリナリアは予想した。しかし、まだ幼いグラジオにとって、そのやり方は納得いくはずもなかった。


「……いやだ、謝らない。俺は悪くない。リナだって悪くない。悪いのはこいつだけじゃないか」

「グラジオ!」


 こちらのやりとりを聞いていたサハーラ皇帝はふう、と溜息をつき、クローブにバチン! と平手打ちする。強い勢いで叩いたので、クローブはよろけて尻餅をついた。

 その対応に、さすがの父も目を丸くする。成り行きを見守っていた人々もどよめいた。


「レガリア国王陛下。愚かな皇子が王女に無礼を働いたこと、申し訳ありませんでした。よく言って聞かせますので、これで手打ちにしてはいただけませぬか」


 その声色に申し訳ないと言う気持ちはほとんど感じられない。いかにも、面倒だから早く終わりにしたいという言い方で、あまりのふてぶてしさにリナリアも目を丸くする。

 ちらりと父を見上げると、先ほどまで怒りで赤くなっていた顔が無表情になっていた。一周回って落ち着いたというところだろうか。


「……こちらとしても子どもの喧嘩のようなことで大事にしたくはございません。しかし、アルカディール王妃の葬儀中に騒ぎを起こしたことに関しては、こちらの王家の方に改めて謝罪すべきだと考えます。何がいけなかったか、また葬儀というものがどういう場かご子息に教育なさるのにもちょうど良いのではないですか」


 殴られたクローブは「いてて」と頬をさすりながら立ち上がる。


「はーい。ごめんなさーい。ん!」


 と、クローブはニコニコと満面の笑みでリナリアに手を差し出してきた。また何かされたらどうしようと半分怯えながらも、「相手は子ども」と自分に言い聞かせ思い切ってその手を取る。するとクローブがぶんぶんと縦に振るので、目が回りそうになった。グラジオがまたイライラした顔をしている。


「はい、仲直り!」

「は、はあ」


(この人、逆に、バーミリオン様に近づけない方が良いのではないかしら……)


 これからはできるだけ目を合わせないようにしよう、と密かに決意する。


「グラジオ、リナリア、アルカディールの方々のところへ行くぞ」

「はい、父上」


 広間に戻る前にちらりと振り向くと、クローブはこちらに向かって「べっ」と舌を出していた。兄もまたそれを目撃してしまったらしく、眉を吊り上げる。


「またあいつ……!」


 と、回れ右しそうになったところで、兄の頭に父王のゲンコツが落ちた。


「もう構うな」


(お兄様、お可哀想……)


 涙目の兄が気の毒で、空いている方の手で兄と手を繋いだ。兄は片手で目をゴシゴシ拭いて、口をぎゅっと引き結ぶ。何だかどっと疲れた。引っ張られていたところの頭皮もじわじわ痛い気がする。


(サハーラ帝国にお嫁に行かないようにする、というのも……今後の目標に加えておかなければ……)


 過去に戻る前の情報で、帝位継承権を放棄したというのも素行に問題があったからではないかと思ってしまう。たとえ結婚相手がクローブ本人でなくとも、顔を合わせる可能性があるだけでいやになった。


(ああいう「わがまま」はよくありませんね。反面教師というものかしら……心に留めておかなくては)



 広間に戻ると、父がアルカディール国王に騒動について謝罪した。しかし、国王バーガンディーはレガリア国王を目の前にしても茫然自失といった様子でろくに返事もせず、大臣に付き添われてどこかに行ってしまった。代わりに一人残されたバーミリオンが頭を下げる。


「申し訳ありません、陛下。父は母が亡くなってからずっとあの調子で、おそらく式中のこともわかっていないように思います。お気になさらず。リナリアさまは大丈夫でしたか」


 バーミリオンは気の毒そうにリナリアを見た。


「びっくりはしましたけど……大丈夫です。ありがとうございます」


 母がそっと合流してバーミリオンに声をかける。


「バーミリオン王子、またレガリアの方にも気兼ねなくお越しくださいね。子どもたちも、いつでも待っておりますから」

「……ありがとうございます」


 バーミリオンは最上級の礼をして、リナリアたちを見送ってくれた。レガリア一族は使用人たちと合流し、そのまま馬車へ向かう。事情を聞いたらしいばあやが駆け寄ってきて、リナリアをぎゅうっと抱き締めたあと抱っこで運んでくれた。いつもなら「甘えんぼう」と口をとがらせるグラジオも、今日は何も言わなかった。横顔が少し寂しげだ。今回の父の対応は、兄にとっては悔しいものだっただろう。グラジオは何も悪くないのに怒られて、可哀想だった。


(お兄様も、もっと甘やかされてもいいのに)


 ばあやに抱っこされたまま、グラジオの頭を撫でてみる。兄は驚いた様子でこちらを見上げた。


「お兄さま、ありがとうございました。リナ、お兄さまが守ってくれて、うれしかったです」

「……べつに! リナになでられたって……」


 兄は、少し照れた様子で撫でられたところに手をやっていた。



 行きと同じく、長い道中を馬車に揺られる。

 さすがに今日は疲れたので、景色をゆっくり焼き付ける間もなく、うとうとと睡魔に襲われた。


(バーミリオン様は「母の臨終に間に合わなかった息子」では無くなったのだから、お父上様とのご関係も良くなるかしら。今日も王子としてご立派になさっていたし、()より少しでもご関係が良くなると良いのだけれど……)



 しかし──「起こるべき未来」というのはそう簡単には変わらないということを、思い知らされることになる。

「わがまま」の加減に戸惑うリナリアです。

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