番外編 あの日のソティス
「お前、一体どういうつもりじゃ」
姫君の部屋から戻る途中、クロノという侍女に、物陰に連れ込まれてすごまれていた。眉も目も吊り上げて、随分怒っているらしい。
「別に、言った通りですが」
おそらく、偽装恋人になる提案をしたことを怒っているのだろうとは想像できたが、そういうことにこだわる人だとは思わなかったので少々意外だ。
クロノは両手を腰に当ててこちらを睨み上げている。
「なーにが恋人関係じゃ。それ、お前にはメリットがあってもこっちにはメリット無いからな。やっぱり納得いかん」
「でも、さっきはそれで納得していたじゃないですか」
「姫の前では一旦納得したつもりでおったが、お前の軽口にうまく丸め込まれたような気がしてじわじわ腹が立ってきた」
それこそ、こちらも今更だ。俺も腕を組んで彼女を見下ろす。
「良いじゃないですか。あなたも特定のパートナーはいないんでしょう?」
「われと契約関係を結ぶより、さっさと恋人を作ったほうが早いじゃろ」
「自分はそういう相手を作る気はありません。訳アリなの知ってるでしょ。いたらいたであなたがたと連絡を取るのが面倒になりますよ。いいじゃないですか、訳アリ同士都合がいいですし」
ぐぐと歯をぎりぎりと噛み合わせている。少し面白い。
「精霊は一途な人が多いと聞きますが、誰か永遠を誓い合った相手でもいるんですか? そういう人がいるのなら、無理強いはしません」
ごく真面目に尋ねたつもりだったのだが、クロノは腹立たしげに壁を蹴った。乱暴な人だ。
「やっぱり絶対侯爵令嬢じゃないですよね」
「やかましい! われは詮索されるのが嫌いなんじゃ」
「自分以外の前でそういう姿は見せないでくださいね。先日の馬車での騎士への態度も肝が冷えましたよ。多分、姫君もでしょうが」
彼女は腕を組んでツンと上を向いた。
「あれでも我慢した方じゃぞ。いざとなったら、魔法でどうにでもできる」
「またソレだ。精霊というのは魔法依存が過ぎるのではないですか? いかに魔法に優れた種族とはいえど、魔法が使えない状況下のことも想定しておいた方が良いですよ。特に現代の魔法技術は進んでいるので、『魔法を打ち消す魔法』についての研究もされているんです」
クロノが片目だけでこちらを見る。どうやら話に興味を示したらしい。
「……『魔法を打ち消す魔法』だと?」
「興味があるなら、知っている範囲で話しますけど。自分のテントに寄りますか」
「うぐ……だが、姫の食事の世話などが……」
「どうせ老……筆頭侍女がやるでしょ。ちょっとくらいなら姫君も何も言いませんよ。なかなか姫君と離れる機会もないんですから、この機に現代魔法のこと知っていた方がいいんじゃないですか?」
少し押してみたら、彼女は悔しげに歯を噛み締めながらこちらを睨んできた。
「……非番の日を貰う契約とは別勘定じゃぞ」
案外ちょろい。魔法を餌にしたら誰にでもついて行ってしまわないか心配になったけれども、この国においてそんなことを言われる機会もそうそう無いだろう。それに、今後俺にも警戒されては面倒なので何も言わないことにした。
一応騎士の宿舎に部屋はあるのだが、元々部族で移動しながら暮らしていたため、こちらの方が落ち着く。多分、週の半分はテントで寝泊まりしている。流石に謹慎中は宿舎にいたのだが、こちらのテントも以前と変わらず留め置かれている。部隊長の計らいかもしれない。謹慎が解けたら礼を言っておこう。
テントの中にクロノを入れて、本やら寝具やらを積んで即席の椅子を作った。飲み物を出そうと希望を聞いたら即答で断られた。
「精霊って飲食しないんでしたっけ」
「できるが、しなくても自然界に存在する魔法素を取り込むだけで生きていける。飲食したモンの分解に魔力を使うのが非効率的じゃし、食事をすると言うのは基本的に命を取り込む行為じゃからな。姫の付き添いで必要なときはしておるが、基本的には好かん」
「水なら飲みます?」
「…………お前から何か貰うのも気が進まないが、水なら飲んでやってもいい」
とても偉そうだ。まあ、実際精霊というのは偉い存在なのかもしれない。
このテントには俺が部分的に覚えた隠遁魔法をかけてあるので、この中で話した話は外に漏れ聞こえない、のではあるが。
「……悔しいな」
水を渡した後でつい呟くと、クロノが怪訝そうに睨んでくる。
「何がじゃ」
「自分もそれなりに魔法の心得はあるつもりだったのに、まだ隠遁魔法を使いこなせないことが、です。やはりエルフの血が入っていても人間では限界があるんですかね」
クロノはふふんと得意げに目を細めた。
「そりゃ精霊は他種族と作りが違うからな。肉体も精神も魔法素で構成されておるのだから、魔法との相性がよく、魔法の習得が早いのは当然のことじゃ。お前が隠遁を使いこなせるようになる頃には姫はとっくに大人になっとる……いや、婆さんになっとるかもしれんぞ」
馬鹿にされたものだ。
「確かに精霊と人間は生まれた時点で差があります。しかし、現代魔法の話にもつながりますが、人間は能力や寿命に限界があるからこそ次世代により良いものを引き継ごうと工夫します。結果的に、長命の魔法種族にできないことや、考えもしなかったことを思いつくことがあるようですよ。自分は中間にいる者なので、両方の良いとこどりをするのが理想なんですけど、なかなかうまくいかないですね」
クロノはぶすっと口を尖らせる。
「われは説教を聞きにきたわけじゃない。そもそも敬えと言うたじゃろが」
「敬語で話してるじゃないですか」
「阿呆か。敬語で話せば敬意を払ったことになると思ったら大間違いじゃぞ。態度や話す内容やわれを見る目とかじゃな……」
「じゃ、敬語じゃなくても良いと」
「そうは言っとらんが!? ま、敬意の欠片も無い敬語を聞き続けるのも鬱陶しいからの。別に言葉遣いを強制するつもりはない……って、そんなことは良いからとっとと本題を話せ。現代魔法についてはレガリアにおると調べづらくてかなわん」
俺はため息をついて、クロノの対面にあぐらをかいて座った。
「じゃあ、本題だ。現代魔法の代表は魔法陣であることは知っているか?」
「本当に敬語やめおったな……まあいい。うむ。最近偶然見る機会があったが、あれはどういう仕組みで構築された魔法なんじゃ」
「あれは個人の魔力を探知したのちに解析し、魔力と相性の良い古代文字に変換することで成り立つ人工の魔法だ。魔法陣に書かれる文字は対象と術者、それから魔法の効果を文字化して組み立てられたもの。魔法陣の円の内に書かれている模様はそれを発動する時期を星に照らして結んだり、魔法素の結晶の形を模しているものもある」
「魔法素の結晶だと? この辺に浮いている粒子の形のことか? 精霊師ではない人間にも見えるのか?」
クロノが眉を寄せる。その表情にこちらが呆れた。これではまるで過去からやってきた人や非文化圏に長く住んでいた人……なのか? 実際に。レガリアにずっと滞在していると、時が止まった状態になるわけだ。
「魔具……特殊な魔法道具が発展している国で、それを見るための道具が100年以上前に発明されているんだが。あなた本当にずーっとレガリアにいるんですね」
こちらの嫌味に彼女はベッと舌を出して応じ、簡易椅子の上であぐらをかいた。全く姫君の侍女らしからぬ所作だ。
「ふーん。じゃあレガリアは他国と比べるとだいぶ市民の生活レベルも遅れているわけじゃな。そもそも、分国戦争は魔法に対する価値観の違いによるものだったのが、現代では宗教戦争のような解釈になっておるのが気に食わんな。リリア教とやらが幅を利かせておる」
それには俺も頷いて同意を示す。
「そこは歴史の中で政治と宗教の利権が絡まり合って、そうなったんだろう。自分も宗教は好かない。で、話を戻すぞ。他者の魔力の解析がより詳細に可能になったことにより、魔法陣を使えば特定の人物の魔力を封じたり打ち消したりすることができるようになった。当然高度な魔法であるし、入念な準備が必要だけどな」
「じゃ、その場で魔法を打ち消すことができるのは生来の魔法能力に限るというのは変わらんわけか」
「生来の魔法能力で、魔法を打ち消す? 固有魔法にそういう種類のものがあるということか?」
そのような固有魔法は旅をしていた頃から聞いたことがない。クロノは俺をフッと鼻で笑って、頬杖をついた。その横顔はいつもと比較すると、どこか寂しげにも見えたが気のせいだろうか。
「さあな、現存しているかは知らん。少なくとも昔はあった。われの友人がそういう能力を持ったヤツじゃった」
「……人間なのか、その人は」
クロノは簡易椅子からぴょんと飛び降りる。
「詮索されるのは嫌いじゃと言うた! で、お前はその魔法陣の魔法とやらをどの程度知っとるんじゃ」
「基本的なことくらいは。高度なものになると、流石に魔導書や教本がないとわからない。俺が覚えている魔法は身体強化系と回復系、後は空間をいじるような肉弾戦と生活に便利なものくらいで、あんたが使いたがりそうなものは……」
チッと聞こえよがしに舌打ちをされる。
「なんじゃ、使えないのう。まあ基礎だけでも良い。教えろ」
「うわ、教えを請う立場とは思えない態度。仮でも魔法陣の師匠になる者に対する態度ではないのでは? そもそも俺は魔法使いじゃなく騎士だ」
「ふふん、常に優位なのはわれじゃ!」
クロノは偉そうに腰に手を当てて胸を張ってふんぞり返っている。姫君の前でもこんな感じなのだろうか。何百年も生きている精霊、というよりは幼い子どものようだ。
「……わかった。あんたはそれでいい」
「よし。じゃあ早速予定を決めるぞ。そうじゃな、回復魔法がええかのう」
そういうと腕をぶんぶんと振り回す。張り切っているんだろうか。
こちらも立ち上がってからなんとなく、ぽんと彼女の頭に手を置いてみた。
「ぎゃえ!? なんじゃお前!!」
「あ、いや。なんとなく。小さいなと」
「お前が無駄にでかいだけじゃ!! これだからエルフの男は……」
「……半分ですけどね」
自然に笑っている自分に気がついた。こんなに自分に自信があって奔放な人は見たことがない。踊り子の女で自身の美貌に絶対的な自信があった者はいたが、なんというか質が違う。ああいうタイプの女は大抵澄ましていたり、評価を男に委ねるものだが、この人はこれでもかと自分で主張してくる。コロコロと表情が変わるのも(ほぼ怒りの表情とはいえ)飽きない。
やたらと自分の過去を隠そうとするのも気にはなる。隠されると見たくなるのが人の常というやつだ。いずれ絆されてくれるだろうか?
大真面目な顔をして提案した擬似恋人契約ではあったが、側に置いておく異性としては悪くないかもしれない。何より、仮に色恋のトラブルに巻き込まれてもなんのダメージも受けないだろう。
俺の視線を受け、クロノは怪訝そうにこちらを見上げた。
「なんじゃ、含みのある笑いをしおって。何を企んでおる」
「別に。頼もしいなと……じゃあ、今後会う時期などの計画を立てようか」
それから二人で今後の計画を確認し、クロノは姫君の部屋に戻ったようだった。俺の謹慎が解けるまではもう少し時間がある。どうせすることもなかったことだし、教えやすいように自分でも復習しておくか。何しろあの人の教え方は下手くそだから、こちらで教え方の見本というものを示してやらないと。
テントの隙間から月が見えた。
ああいう人でも見捨てないというのなら、このレガリアにもそれなりの良さがあるのだろう。殿下のことも嫌いじゃない。もう少し、母の故郷に期待をしても良いのだろうか。