相談
兄と合流して城に戻ったが、今日は父は多忙だということで面会する時間はなさそうだった。代わりに二人で母の部屋に行ってウルのことを相談すると、母は大きくため息をついた。
「予想はしていました。やはりしばらくは食事の席を設けるのもお休みして、お見舞いもできれば避けて……行くとしても、リナリアかお父様が行くのが良いかもしれません」
リナリアはおそるおそる手をあげる。
「あのう……昨日食事の際に思ったことなのですが、ウルに貴族の基本的なマナーをお教えする機会を設けた方が良いように思います。わたくしのお世話係になる際に簡単に教わってはいるようですけれど、それは平民が貴族に対してどう振る舞うかというマナーですから……来月にはウルのお誕生日もありますから、身内でも何かお祝いをなさるなら余計に」
「そうね。いかに身内の席とはいえ使用人の目もありますし、今後も陛下が親子として接するつもりならば考える必要があるでしょう。お母さまから、侍従頭にも相談しておきます。あなたも協力してくれますよね、アンドリュー」
名を呼ばれたアンドリューはうやうやしく礼をした。
「もちろんでございます、王妃様」
「では、今日は二人とも下がりなさい。あなたたちも、よく頑張ってくれているわ。グラジオは、無理していない? 不安はない?」
母が心配そうにグラジオを見る。当の兄はきょとんとして首を傾げた。
「不安って何が? 全然平気だよ。そりゃもちろんビックリしたけど、兄弟が増えるの楽しいもん。リオンやディルのとこみたいな男兄弟羨ましかったんだー!」
気楽な様子のグラジオを見て、母はため息をついた。
「……そうよね。子供だもの。今はそれで良いわ。でもね、グラジオ。兄ができるということは、王位継承のライバルができるということでもあるのよ。あの子がそれを辞退したとしても、そういうことは周囲が黙っていないものだから……あなたは誰が見ても王にふさわしいと思われるような立派な……」
「わーかったよー! 母上、それ昨日も聞いたよ、全くもう。今日もアンドリューから説教されてるし、耳にタコができるー」
グラジオはわかりやすく両耳を塞いで首を振った。それから母としばらく雑談をしてから、退室した。兄はファルンのことを母に相談するか迷っていたようだが、結局言わなかった。
「母上にファルンのこと言ったら、絶対精霊とはしゃべっちゃダメって言うのわかってるもんなあ。レガリアの王子は、魔法のできる種族と話しちゃダメなんだろ?」
別れ際に、兄は小声でそう言った。
(お兄さまが仲良くなさりたいファルンもソティスも、魔法種族なのですよね……)
〈お前の兄は無意識に魔法に惹かれとるんじゃないかとさえ思えるな〉
(……本当は隣国に頼ることなく、レガリアの国の方針ごと変えられると良いのですけれど……大義名分がなくなれば……隣国が攻め入ってくることも難しくなるはずですし……)
あの日のバーミリオンのことを思い出すと、暗い気持ちになる。ふるふると首を振って、いったん過去の記憶を払った。
午後は通常の王女教育をこなし、それが終わってからクロノの精霊師教育を受け、気がつけば夜になっていた。
(今夜はリオン様とお約束の日……)
寝る前、日記に話したいことを箇条書きで書き出していた。
バーミリオンの近況、ライムの様子、魔法や精霊の話、ファルンについて相談が行くことになりそうだということ、ウルのこと……書き出してみると話したいことがたくさんあった。
ベッドにもぐってからも、日記に書いたことを指折り数えて頭の中で確認した。
(……あまり時間もないことですし、優先順位を考えながらお話ししないといけませんね。三日に一度お会いできるとはいえ、その幸運に甘えすぎず未来の幸せのために計画的にお話を進めませんと!)
バーミリオンと会うことに緊張はしていたものの、子供の体は正直で、寝転がっているうちにだんだん瞼が重くなっていった。
◇ ◆ ◇ ◆
見たことのある星空を確認してすぐに、視界が真っ暗になる。
「だーれだ?」
寝る前の決意は何処へやら。
バーミリオンの声を聞くや否や、箇条書きした話題の一覧はリナリアの頭からすっかり抜けてしまった。
(り、リオンさまに、こんないたずらで無邪気な一面が……)
バーミリオンの手で目隠しをされているという現状にくらくらした。何も言わないのはよくないと思い、なんとか声を出してみる。
「リ、リオンさま……ですっ」
「ふふ、私に決まっているものね」
そっと手が離れて視界が開く。後ろからぴょこんと回り込んできたバーミリオンがニコッと笑った。
「前にグラジオにされたことがあって、一度やってみたかったんだ。ちょっと楽しかったから」
(この世の天使…………)
その場で手を合わせて祈りを捧げそうになるのを何とか我慢して、自分の両頬に手を添えた。頬が熱い。
「びっくりしました。でも、ドキドキして、楽しかった……です」
「本当? 良かった。こわがらせちゃったらどうしようと思ったけれど、リナも楽しんでくれたなら良かったな」
バーミリオンはリナリアの手をとって、すっと前を指差す。そこには、リナリアの部屋にあるようなソファがあった。
「まあ、ソファが」
「ここってとっても便利な場所でね。魔力と想像力があったら欲しいものをある程度用意できるみたいなんだ。まだ実験段階なんだけどね。いったん座ろう」
バーミリオンに手を引かれてソファに並んで座った。
「前よりは話しやすいでしょう。今日、リナに会えるの、楽しみにしていたんだ」
「わ、わたくしもです……! いっぱい話したいことがあって……えっと、えっと、でも……」
バーミリオンは、にこやかに小首をかしげる。その表情も輝いて見え、リナリアは幸せでくらくらした。
「あう……あの、リオンさまのお顔を見たら、何から話そうとしていたのか……」
「ふふ、いたずらが効きすぎちゃったかな。ごめんね。じゃあ、私から」
座ってからも、当たり前のように手は繋がれたままだ。バーミリオンは繋いでいる手をゆらゆらと軽く揺らしながら話し始める。
「近々、レガリアに短期で留学の申し込みをしたいと思っているんだ。と言っても、留学って言うのは言い訳で……実際は遊びに行きたいなと思っているんだけど……」
「本当ですか!?」
嬉しくてつい、身を乗り出してしまった。バーミリオンは少し驚いてから嬉しそうに笑う。
「うん。可能ならリナと一緒に検閲官の授業を体験してみたいなって……必要なら私が教える側に回ってもいいし。レガリアにいて魔法を使えるなら、私にとってはとてもありがたいしね」
「正式にお手紙をいただけたら、お父さまに聞いてみますっ。リオンさまのような魔法の専門家がいらっしゃったら、きっとお勉強になりますし……何より、絶対……楽しいです」
ドキドキしながら、素直に気持ちを伝えた。嬉しいことは嬉しいと、ちゃんと伝えたかった。バーミリオンは笑顔で頷く。
「うん! あ、今日の朝、早馬でグラジオから手紙が届いたんだけど……レガリアでウンディーネの女の子が見つかったんだろう?」
「えっ、今朝?」
こちらから伝えるべき話題が、バーミリオンの方から先に出てきたことに動揺した。今朝アルカディールに届いた手紙と言うことは、兄は学舎で宣言するより前に、こっそりバーミリオンに相談の手紙を出していたということだろうか。
「お兄さまったら。もうリオンさまにご相談なさっていたのですね」
「グラジオはその女の子のことをとても心配していたから。もしよければ、その帰りに私と一緒にアルカディールに連れて帰るのも良いかなと思っているよ」
「それは、確かに自然な流れで良いかもしれません」
目の前が晴れるような心地がする。バーミリオンの留学も含めて思いつく限り、とても穏便な方法だった。バーミリオンも満足げに頷いた。
「ウンディーネには私もまだ会ったことがないんだ。どんな子か楽しみだな……今はどんなふうに過ごしているの?」
「今は、ええと……公式にはわたくしの管理ということになっていますが、実際は検閲官の座学の先生が保護者のようになってくださっています。検閲官の授業に協力していただいて……先生のお部屋かわたくしのお部屋にしかいられないのが不自由だと思います」
「その先生というのは、リナが前にちょっと怖いって書いていた人?」
バーミリオンが心配そうに眉を下げる。リナリアは空いている方の手をぱたぱたと振った。
「あ、いえ、えっと、はい。アーキル先生は授業は厳しいのですけれど、皆さんに平等で、実は優しい先生です。ファルン……精霊の子も尊重して扱ってくださっています」
アーキルの名前を出すと、バーミリオンの目が丸くなった。
「アーキル……もしかして、『万物五属性論』の論文で有名なアーキル・アグリブ先生のこと?」
「あ、ええ。以前、そのお話もしてくださいました。先生のこと、ご存知なのですか?」
バーミリオンはリナリアの両肩に手を置いて、目を爛々と輝かせる。
「もちろんだよ! アーキル・アグリブ先生といえばサハーラ帝国でも高名な魔法一族の一人で発表される論文は従来の考え方を斬新な切り口で再検討して端的にわかりやすく穴の無い新説にまとめ上げられる理想的な研究者だもの。ぜひ一度城で直接講義をお聞きしたいとずっと思っていたのだけれど、先生は現住所を公表されていないしご実家とも縁を切っていらっしゃるそうだから全然連絡がつかなくて……アルカディールの心当たりは方々当たったけれど全然手応えがないから他国だとは思っていたけれど、まさかレガリアで検閲官のご指導をなさっているなんて夢にも思わなかった」
リナリアは目をぱちくりしてバーミリオンを見つめた。リナリアが知る限り、こんなに興奮したバーミリオンは初めてだ。バーミリオンはあっけに取られた様子のリナリアに気がついてハッとした顔をして、バツが悪そうに肩から手を離した。
「あ、ご、ごめん。つい……変だったよね」
「いえ、いいえ!」
リナリアはバーミリオンの手を両手でぎゅっと握る。きっとバーミリオンと同じくらい自分の目は輝いているだろうと思うと、少し恥ずかしい。
「リオンさまが、魔法やアーキル先生の論文のこと、とってもお好きだということがわかってとっても嬉しいです。リナは、リオンさまのお好きなことのお話、いっぱい聞きたいです」
バーミリオンは「あはは」と笑ってから、少し困ったように眉を下げて微笑む。
「私が魔法のことを話し出したら、止まらなくなってしまうよ」
「ぜんぜん構いませんわ! リナはリオンさまが楽しそうにお話されているのを聞いているだけでとっても楽しいですもの」
それから夢の終わる時間が来るまでの間に、リナリアはバーミリオンがいかにアーキルの論文を読み込んでいるかを知ったのだった。
◆ ◇ ◆ ◇