お見舞い
ファルンのことは父とバーミリオンに相談することで決着した。その後、アーキルの件を侍医に引き継いだベティも合流したので、ウルの部屋に向かった。
「いやー、先生さまったら高熱でとっても大変そうなのに、ベッドにお運びしようとしたら『一人で行ける』って抵抗なさるので、ちょっと大変でしたぁ。よく小娘って言われますけど、これでも騎士ですからね! ご遠慮なさらずとも、大人の男性一人なら全然余裕で運べますのに」
アンドリューがにこりと笑う。
「ベティーナは学院時代から優秀な生徒だったと聞いております。近衛騎士の方で使いたいという声もあったのですが、グラッセン子爵の推薦で陛下がリナリア様の護衛に指名されたのでしたね」
「そんなお声があったんですかー!? 光栄です! 王女様付としてはまだ礼儀作法が足りないとエンデ夫人に言われておりますので、そちらの方のお勉強も頑張りたいと思いますっ。不束者でございますが、護衛騎士としてアンドリュー様にもぜひビシバシ鍛えていただきたく思います!!」
リナリアはベティに微笑んだ。
「わたくしはベティの明るくて元気なところが好きなので、そのままでも構いませんのよ」
「リナリア王女様、なんておやさしい……! 不肖ベティ、主に恥をかかせることの無いよう努めたいと思います! おっと、そろそろお部屋が近づいて参りました。早速ウル様に取り次いで参りますね!」
ベティが駆け足でウルの部屋の前まで行ってノックする。
「ウルさま〜! グラジオ王子様とリナリア王女様がお見舞いにいらっしゃいました。ドアを開けてもよろしいですか?」
すると、中からドタン! と大きな音がした。リナリアとグラジオは顔を見合わせる。
「大丈夫か? ウル、ベッドから落ちたんじゃないの? 去年のリナみたいに」
「お兄さまったら、またそのお話ですか? もう……。でも、ウルは大丈夫かしら」
その後全く物音がしなくなったので、ベティが強めにノックをした。
「ウルさまー! ご無事ですか!? 開けますよー!?」
この部屋の扉に鍵は付けられていない。ベティがドアを開けると、やはりウルはベッドから布団ごと落ちたらしく、床に倒れているのが見えた。脇腹を押さえてうずくまっているようだ。ベティが駆け寄ってウルを助け起こす。
「ウルさま!? 大丈夫ですか? 体を打ちました?」
「いたた……す、すみませ……足に布団が絡んで……」
「失礼しますね!」
ベティがぺらっと豪快にウルのシャツをめくる。患部を確認しているようだった。本来、男性の体を見るのははしたないことなのは承知だが、リナリアは魔法陣が気になって胸のあたりに注目した。
ウルの魔法陣は消えてはいない。今いる場所から細かい模様まではわからないが、根本的な解決にはまだ至っていないのだろう。
「あー、打ち身になってそうですね。後から腫れてくるといけないので、しばらく経過観察しましょう。ひどく痛くなったら、お医者さんにご相談しないといけませんよ」
ウルはリナリアとグラジオに気がつくと、サッと目を逸らした。グラジオは近寄ろうとした足を止め、両手を腰に当てて笑った。
「あはは! ウル、大丈夫だよ。リナも前にベッドから落ちたことあるし、全然気にすんなよなー。寝てる時間も長かったから、きっとまだ筋力とか戻ってないんだよー。もうちょっと元気になったら、一緒に鍛錬しよう!」
「グラジオ様も赤子のときはよく子供用のベッドから抜け出そうと試みては頭を下に落下しそうになられるので、アンドリューは片時も目が離せませんでした」
アンドリューがしみじみと語るのでリナリアがふふっと笑うと、グラジオは口を思い切り尖らせた。
「アンドリューーー! 余計なことをーーー」
「リナリア様のことだけ引き合いに出されるのは、不公平のように思いましたので。しかし、打ち身は後から痛みが強くなる可能性もありますので……あまり軽視されませぬよう」
ウルは視線を落としたまま、小さく「すみません……」と呟いた。グラジオが心配そうに体を傾けてウルの顔を見ようとする。
「そうだそうだ。あのさ、父上にちゃんと言っとくから、しばらくゆっくりしててくれて良いからな? 多分、疲れちゃったんだろ? ここから城まで遠いし」
「あ……も、申し訳ありません……グラジオ様……殿下に、お気遣いいただいてしまい……」
震えた声を絞り出すようにして言うウルに、グラジオは少し寂しげな顔をした。
「……俺、ウルといっぱい遊びたいと思ってるからね。その、話もしたいし……ウルってさ、リナよりずっと魔法のことも詳しいし、優秀なんだろ? また色々話聞いてほしいし、えっとつまり、俺の知らないことたくさん知ってるだろうからー……そういうのも、騎士になるには必要かなって思うし!」
「グラジオ様がなるのは騎士ではなく国王ですけれどね」
「そっ、その前に騎士になるだろぉ!? 父上だってまだ若いんだから……」
グラジオの言葉に、滅亡の日を思い出して胸がざわついた。あのときの父はまだ40代だったし、その前に亡くなったアルカディール国王もまた若かったのだ。アンドリューはふう、とため息をつく。
「……お父上が即位されたのは20代の前半、騎士としてもこれからというときでございました。陛下はまだまだお元気でいらっしゃいますが、不測の事態に備え、いつも王太子であるというご自覚を……」
「はーい! はいはいっ! 最近母上からも耳にタコができるくらいお説教されてるからー! 今はウルの話だからーっ!」
リナリアは、じっとウルを見る。顔色がよくないのは、打ち身の痛みによるものだけではないだろう。
「……あの、わたくし、ウルと二人で話をしたいんですけれど」
ウルがハッと顔を上げる。リナリアの方を見ようとして、すぐに顔ごと目を逸らした。
「……あの、それは……今の僕では、まともな対応ができるか……」
「ほんの少しだけでいいんです。クロノにいてもらうので、できればベティも外していただけますか?」
ベティはアンドリューの方を見た。
「私はリナリア王女様のご意志を尊重したいんですけど……ドア前に待機していたらよろしいでしょうか」
「そうですね。こちらに陛下がお見舞いにいらっしゃった時、護衛を外に待たせていたと聞きました。ドア前に待機しているならば構わないでしょう」
「では、そのようにいたしますね! お話が終わったら声をかけてください!」
ベティがピシッと礼をしてドアを開けた。グラジオは迷っていたようだったが、リナリアの肩をポンと叩く。
「本当は俺も残りたいけどぉ……ウルはリナの方が安心するだろうし、仕方ない。えーと、あ、ウルの怪我のこと、侍医に言っとく。それが終わったらリナの部屋で待ってるから、城には、手繋いで一緒に帰ろう。俺、リナのこと見てるって母上と約束したからな」
「ありがとうございます、お兄さま」
グラジオは大きく頷いて、もう一度ウルの方を見て手を振った。
「また来るからな! 今度、座学の宿題持ってくるから、勉強も教えてほしいっ。じゃあ!」
兄とアンドリューが部屋の外に出る。ベティはウルを抱え上げてベッドの上に寝かせ、改めて布団をかけた。
「じゃあ、ベティも外に行きますが、何かあったらご遠慮なく。ご安静になさってくださいね!」
「すみません……ありがとうございました」
ウルはベティに軽く頭を下げる。ベティはリナリアとすれ違いざまにウインクして行った。リナリアはクロノと手を繋いで、ゆっくりウルに近づいた。ウルは顔を両手で覆う。
「……リナリア様。お早くお帰りになられた方が良いと思います。僕は……また変な魔力暴走をしてしまうかもしれない……」
「……ウル。昨日のこと、どこまで覚えていらっしゃるのですか?」
ベッドサイドに座ってリナリアが尋ねると、ウルはふるふると首を振った。
「……帰り道、神殿を見たときから覚えていなくて……ただ、夢の中で、リナリア様の声が聞こえた気がして……気がついたらリナリア様を、強く掴んでいて……僕は、自分が怖いです。リナリア様やグラジオ様と一緒にいたら、また巻き込んでしまうのでは……僕は、昨日あなたに何をしたんですか……」
ウルは、指の隙間から怯えた瞳でリナリアを見る。リナリアは立ち上がって、ウルの髪を撫でた。
「……大丈夫です、ウル。あなたは、わたくしに何もしていません」
「でも、リナリア様は、僕に何か……訴えていましたよね。僕が何かしようとしたのを止めたのではないですか。僕……僕は、僕の魔法は……」
ウルはぎゅっと唇を噛む。
「無理しないで、ウル。ウルは、最近たくさん頑張っていましたもの。不安なことがあったら相談してほしいけれど、言いたくないことは言わなくて構わないんです。それに……お父様のことも。親子なのですから、遠慮しなくて良いんです」
大人のウルからは、リナリアを憎んでいるような感じがした。
リナリアは、ウルに嫌われたくなかった。
「ウル……ウルは、本当は、わたくしの『お兄さま』になるの、お嫌なのではないですか。もしそうなら……正直に言ってほしいです。お父様は、きっと良かれと思って色々と行動なさっているのだとは思いますけれど……わたくしは、あなたに我慢させたくないのです」
ウルは首を振る。
「……わかりません。頭では、リナリア様やグラジオ様と血縁上、そのような関係であるということはわかっているのですが……ずっと、庶民として、いえ、庶民としても満足に暮らしていなかった僕が、急に、あなた方の『兄』になど……。僕は、ただ、『お父さん』がどんな人なのか見てみたかったんです。ただ見られたら、それで十分だったのに……王妃様のお気持ちも思うと、恐ろしく……」
すっかり弱りきったウルが気の毒だった。きっと城内で見習いとして生活するだけでも、ウルにとっては大変なことだっただろう。リナリアはウルの白くなってしまった髪を優しく撫で続ける。
「大丈夫です。今すぐに家族にならなくても、誰もウルを責めません。お母さまもウルのこと、心配なさっていました。以前いきなり姿を見せてしまったことを反省なさっていて……だから、大丈夫です。今お顔をお見せにならないのは、ウルのことを嫌っているからではなくて、ウルがまたびっくりしてしまわないようにというお心遣いだと思うんです……」
ウルは、そろりと両手を顔から離し、膝の上に置いた。
「……ごめんなさい。リナリア様に、赤子をあやすようなことをさせてしまって……リナリア様が、お姉さんみたい、ですね」
「ふふ。そう言ってもらえると、ちょっと嬉しいです」
リナリアが微笑むと、ウルは目を閉じた。
「……グラジオ様はお優しくて、ヘレナ様はお可愛らしいです。お父さんも優しいし、本来なら素性も怪しい立場の僕を受け入れてくれて……国王陛下なのに。きっと本来なら捕えられたり、殺されたりしても仕方ないのに」
「そんなこと……誰かにそんなことを言われたのですか」
ウルは一瞬固まってから、強く首を振る。
「……ありがとうございました。今日は、まだ疲れがあるみたいで……。よく休んで、また元気になって、授業でお会いできるようにしますね」
遠回しにもう帰ってほしい、と拒絶されているような気がして少し寂しかったが、ウルの体調が悪いのは確かだろう。無理に留まるのも良くないと理解はできた。
「わかりました。また、お部屋で食事をするときにもお声がけしますね。ティナとヨナスも、ウルが元気になるのを待っていますから」
「……はい。ありがとうございます」
部屋を出る前に振り返って小さく手を振ったけれど、ウルはリナリアから目を逸らし、窓の方を見ていた。