王妃の国葬
パンとスープを食べ終わると、バーミリオンは長く息を吐いた。
「ありがとう。少し、気分の悪いのがましになった気がする」
「食事は、絶対、取らないとダメだ。食欲が無くても、何か一口でもいいから、食べろよ。明日からも、絶対だぞ」
兄が一言一言区切るように言って聞かせる。バーミリオンは苦笑して頷いた。
「ああ、ごめん。グラジオ」
それからバーミリオンはリナリアの方を向いた。どきんと心臓が跳ねる。
(今までこんなに目が合うことなんて無かったから、全然慣れないわ……)
目が泳いでしまったけれど、そういえば自分が「話したい」と言ったのだったと思い出す。表情筋を総動員してようやく微笑むことに成功した、と思う。しかし、話題が何も思い浮かばなかった。
(お会いできてうれしい……は、よくありませんよね、お会いした理由がうれしいことではないし。アルカディールは雪どうでしたか……は、話題としてちょっとぎりぎりな気がいたします。よくない思い出に結びついていたら……ええと、ええと、何か子どもらしい話題……)
頭の中をぐるぐるとオモチャが飛び回るような感覚になる。しかし、リナリアより先に、バーミリオンが口を開いた。
「ハンカチをありがとう、リナリア。今日はもう遅いから私は失礼するけれど……また別の機会に、ゆっくり話したいね」
「は、はい」
リナリアの返事を聞くとバーミリオンは微笑んで、席を立った。
「二人とも、世話になったね。これからは母の遺言を守って、王子として恥ずかしくないよう努めるから」
遺言。
リナリアはガタン、と立ち上がる。
「な、何かあったら……いつでもおっしゃってくださいね。たとえお話を聞くだけでも、お力になれたら!」
リナリアの勢いにびっくりした顔をしていた兄もハッとしてバーミリオンの背中に声を掛ける。
「そうだぞ! 無理すんなよ! またいつでも来いよ!」
バーミリオンは振り返らなかったが、グラジオの声にうなずいてから部屋を出て行った。
暗くなった部屋で兄の寝息を隣に聞きながら、リナリアは天井をじっと見つめていた。
(王妃様のご遺言……どんなものだったのかしら。それはバーミリオン様の幸せにつながるものなのかしら)
バーミリオンが「違う」と言っていたことも気にかかる。
(わたくしは、このまま進んで良いのかしら)
《ふーん。アルカディールは久しぶりじゃが、城っちゅうのはそう変わらんな》
「ひゃっ」
思わず声を出してしまって、両手で口を押さえる。隣の兄は何かむにゃむにゃと寝言を言って寝返ったけれど、起きてはいないらしい。
緑の小鳥はリナリアの胸の上に来て、羽をくちばしに当てた。「静かに」というポーズのつもりだろうか。
(クロックノック様……いらっしゃるときはもう少し……あの、わたくしの名前を呼んでいただいたり……)
《われはわれでタイミングを見計らっておるのじゃ。慣れろ》
ふん、と偉そうに胸を張るクロックノックに苦笑する。
(ついてきてくださったのですね)
《興味があったからな。隠匿はレガリアよりちと面倒じゃが、何、われには些細なこと》
(やはり環境が変わると異なるのですか?)
《精霊というのは食事の代わりに魔法素を取り込む、というのは話したな。レガリアは住人がほとんど魔法を使わないからの。未使用の魔法素が溢れておるので、多少光の魔法素が増減してもわれの存在は気づかれないじゃろう。しかし、アルカディールは城のあちこちで魔法が使われており、魔法素の量もある程度管理されておる。じゃからちっと計算する必要があるんじゃ。ま、レガリアで食いだめして来たから問題はない》
クロックノックは腹をぽんと叩く。その姿が愛らしくて、リナリアはクスッと笑ってしまった。
《どうやらバーミリオンは母親の臨終には間に合ったようじゃな。先ほど赤子の様子も見てきたが、命に別状はなさそうじゃ。予定通りに一週間ほどで対面が叶うようになるんじゃろう。で、お前は何をぐずぐずと考えておる》
(すみません……やっぱり、バーミリオン様の悲しまれる様を見ていると、王妃様をお助けできなかったのが辛くて……もっと良い方法がなかったのかと、思えてしまって)
クロックノックはため息をついて、リナリアの鼻にぽすんと羽を乗せる。
《言うたじゃろう。全部が全部を良くすることはできんと。あまり自分を責めるな。それに、人生における全ての困難を取り除いてやるのが『良いこと』とは限らん。ま、今日は寝るがよい。明日の葬儀中うっかり眠くなるとまずいじゃろ》
(ありがとう、ございます)
本当はもう少し話したい気もしたけれど、うまく説明出来ない気がしたので、今日のところは素直に寝ることにした。
目を閉じると、バーミリオンの涙が思い出される。
(……お母様のご遺言を聞いたことは、未来にどう影響するのかしら……。バーミリオン様……)
眠りに落ちようというとき、過去に戻る前──20歳のバーミリオンの、あの悲しい笑顔が浮かんだ。
翌日の葬儀はアルカディールの神官らを中心に、粛々と執り行われた。国王の嘆きは深く、一人で立っていられないので椅子に座ってずっと俯いていた。王の傍らに立つバーミリオンは、前を見てしゃんと立ち参列者に対して礼をするなど、王子として殊勝にふるまっていた。その姿は前とは違うが、別の痛々しさを感じてしまう。
バーミリオンから受ける印象以外はリナリアが経験した記憶とそう変わらない……と思われたが、なにぶん5歳のころの話なので、細かいことはほとんど覚えていなかった。
改めて式や参列者を意識的に観察してみる。
ふだんアルカディールは白の国、レガリアは黒の国と言われるほど、国内の色調がはっきりと分かれている。アルカディールの城も、神殿も、大理石を中心とした白の美しい造りになっており、外装は石灰を均一に塗って真っ白に仕上げてある。対してレガリアは黒を重んじる。黒曜石を第一とするが産出しにくい素材のため、黒の割合が多い石や木材が使われることが多い。花嫁衣装も、アルカディールは白のドレス、レガリアは黒のドレスで行われる。
そんな二国の象徴的な色が、葬儀の時だけ入れ替わる。
今、白い神殿の中は黒の布が張り巡らされ、国内の参列者もみな黒の服を身に着けている。外国の参列者の中には自国の喪服を着てくる国もあるが、レガリアは間反対のため、隣国の文化に合わせるのが慣例となっている。
今回の国葬は国内の主要貴族と、近隣の国の王族が参列している。レガリア以外の国は代表者が一人ないし二人で来ており、家族で訪れているのはレガリアだけだ。席も最も重要な賓客として、前の方にあてがわれている。
儀式は進み、参列者に様々な色の花が一輪ずつ渡される。リナリアが受け取ったのはピンク色のカーネーションだった。大陸には広く、カーネーションを子から母へのプレゼントに付けて贈る文化がある。ふと、顔を上げてバーミリオンの手元の花を見ると、真っ白のカーネーションだった。彼はそれを時折くるりと回しながら、無表情にじっと見つめていた。
リナリアが花を手向ける番が来る。このようなときの作法は知識として知っていたので、緊張でガチガチの兄よりもスムーズに行うことができた。棺に横たわる王妃スカーレットは、まだ三十にもなっていない。長く患っていたわけでもない彼女は、ほとんど生前のまま美しい。ゆるくウェーブのかかった金の髪は、バーミリオンの髪をほうふつとさせた。顔立ちも、今は見えない瞳の色も、バーミリオンは母似なのだ。胸の上で組まれた細い指を見たとき、あの夢の光景が浮かび、息が詰まりそうになる。リナリアは手を合わせ、目を閉じた。
(スカーレット様、この世にバーミリオン様を産んでくださってありがとうございました。わたくしはずっと救われていました。これから、バーミリオン様がお幸せになれるように努めます。どうか、天の国から彼をこれからも見守って差し上げてください)
顔を上げると、隣で祈り終わるのを待っていた兄がこちらに手を出す。素直にその手を取って席に戻った。席の隣の通路には参列者が並び、順番に花を手向けて戻っていく。
(そういえば……わたくしが婚約させられた国の方は来ているのかしら。わたくしが婚約した王子様はまだお生まれになっていらっしゃいませんが……)
サハーラ皇国。ここからは海を越えて行かねばならない砂漠地帯の遠国で、レガリアと同様魔法文化がほとんどない国である。当然魔法なしで参列するのは難しい距離だが、あの国は魔法が禁止されているわけではないので来ている可能性はある。
こそっと後ろの方を確認すると、砂漠国特有の被り物を確認することができた。来ているのは二人。皇帝と、兄やバーミリオンと同じ年頃の皇子のようだ。
(あの方は、第二皇子のクローブ様かしら。確か、当時は帝位継承権を放棄されたとかで、年が近くても婚約者にならなかったというお話だったわ。一夫多妻制のお国なのを良いことに、女性関係も派手だったという噂も……)
皇帝と皇子はだんだん近づいてくる。褐色の肌に、ターバンからこぼれる薄紫色の髪が見えた──と思ったら、皇子とバチッと目が合ってしまう。緑色の瞳は間違いなくこちらをとらえていた。
(いけない!)
反射的にパッと前を向いたけれど、わざわざ後ろを向いて見ていたのがばれてしまった。気まずい思いで膝に手を置き、下を向く。もうすぐ皇子が横を通る。
(変に思われていませんように──)
どきどきと心臓の音がいやに響く。左から異国の香の匂いがした、まさにその瞬間。
「いたいっ!!」
いきなり強い力で髪を引っ張られ、思わず声が出た。目から涙がにじむ。何が起こっているのかわからなくて、頭を押さえるしかできなかった。
「おい、何してんだよ!」
右側に座っていた兄が立ち上がって叫ぶ。周囲は騒然となった。
おそるおそる左側を見ると、リナリアの髪を掴んだクローブ皇子が、目を細め意地の悪い笑みを浮かべていた。
作者は幼稚園の時、隣の組の男の子にすれ違いざまに殴られたことがあります……。びっくりしますよね……。