ソティスの決断
城の部屋で勉強をしていると、ノックの後ですぐに扉が開いた。返事も待たずにリナリアの部屋に入ってくるのは、クロノだけだ。今はばあやもいないので席を立って直接迎えにいくことにする。
「お帰りなさい、クロノ。どうでし……あっ」
クロノの隣に立っている人物を見てビクッとする。ソティスが当たり前のような顔をして腕組みしていた。クロノが肩をすくめて「すまん」と言う。
「ちょっと話がややこしくなりそうじゃったから、隠遁で連れてきた」
「自分は別にこの人と話せれば良かったんですけど……意外と主人に義理堅いんですね」
「あ、えっとひとまず奥へどうぞ……もしばあやが来たら入らないようにしてもらいますけど、念のため」
ソティスは軽く頭を下げて、奥に入ってきた。クロノはポリポリとこめかみの辺りを掻いてそれに続く。
リナリアにすすめられた椅子に座り、ソティスはじろっとクロノを見る。
「姫君、この人精霊ですよね」
ずばり言われて、リナリアは目をぱちくりして固まってしまった。クロノを見ると、両手を広げている。ソティスは続けて話し始めた。
「いえ、肯定できないのならばそれはそれで構いません。こちらで勝手に話すので、まず聞いてください。自分がそう思った決め手は魔力量と魔法に対する知識量です。少なくともその外見年齢で得られるものでは無いでしょう。つまり常に変身魔法を展開しているわけで、その上で隠遁の魔法を使用するなど普通の人間には無理でしょう。普段の振る舞いからして侯爵令嬢……にしては訳アリすぎる物件だと思いますので、自分は懐疑的ですが、まあそこはいいです」
「とてつもなく失礼なことを言うてないかお前」
肩を怒らせるクロノの方をソティスは横目でちらと見た。
「と、このようにやたら昔めいた言葉遣いなのも、長命種であることを想起させます。エルフの可能性も考えましたが、あまり同種族の匂いのようなものは感じません。エルフと言うのはもう少し品を重視する種族です」
「こーーいーーーつーーーーー」
ツンとそっぽをむくソティスに、勢いのまま食ってかかりそうになるクロノの服のスカートを引っ張ってなんとか止めた。
「クロノ、クロノ、まずはお話を聞きませんと。ソティス、で、できるだけ優しく続きをお願いいたします」
「優しく……姫君のご依頼ならば善処しますが。それに加えて、ファルンという精霊の子への態度を見ていてしっくり来ました。自分も他種族という点であの子供の扱いには腹立たしさを覚えましたが、この人の苛つき方の種類は少々違います。人道的に納得できないから怒っていると言うよりは、一族の誇りを傷つけられたときに発する怒りに近いのではないかと。よって、おそらく上級精霊なのだろうと予測した次第です」
ソティスの言っていることは、言われてみるともっともなことばかりで、リナリアは目を閉じて観念した。
「……もしそうだとしたら、ソティスはどうするのですか? このことを騎士団に報告いたしますか?」
「まさか。自分にとってなんのメリットも無いです。ただ……」
ソティスはクロノを正面からじっと見た。クロノはまだ猫のように威嚇した様子でソティスを睨んでいる。
「なんじゃ! 言いたいことがあるならハッキリ言うてみよ!」
「あなたにはどう考えてもレガリアは向いてません。ファルンも連れて一緒にこの国を離れませんか」
ソティスの言葉にぎくりとして、クロノのスカートを掴んでいた手を離してしまった。クロノはやれやれという風に首を振ってニヤリと笑う。
「そりゃ随分な誘いじゃな。お前に倒された婦人が聞いたらもう一度卒倒するんじゃないか」
「茶化さないでください。これは本気で提案しています。自分としてもあなたから堂々と魔法の指南を受けられるなら都合が良いですし。だから本当は姫君にも内緒で誘うつもりだったんですけどね。姫君と一緒じゃないと話は聞かないと言うものだから仕方ないです」
リナリアはクロノの手を握る。クロノがどこにも行かないのは信じていたけれど、思えばまだ精霊師として正式に契約をしたわけでもない。本当は、いつだってクロノは──クロックノックはリナリアから離れて自由になることができるはずなのだ。
クロノはリナリアの手を握り返して、空いた手でリナリアの頭を撫でた。
「われの正体については何も言わん。しかし、お前の誘いには乗れん。われは、この国でまだやるべきことが山ほどある」
「姫君の前で言うのは憚られますが、敢えて言わせていただきます。レガリアは時代遅れの国です。母の故郷で、出自を問わずに実力主義という風潮に惹かれて仕官したものの、あそこまで種族差別が酷いとは思いませんでした。特に、精霊に対するやり方は見たでしょう。あなたも正体がバレたら、実験動物のように扱われるかもしれませんよ」
クロノはふん、と鼻で笑う。
「やれるものならやってみれば良い。人間たちが束になってもわれに勝てるものか」
ソティスは片手で頭を抱えて、首を振った。
「その謎に自信満々なところも危なっかしいんです。あなたはずっとレガリアにいる精霊なのですか? 魔法や他種族に対して無知なレガリアではありますが、対精霊についての戦闘はアルカディールにも引けを取りません。特に、この国では精霊は魔獣と同じように見なしていますから、人道的な措置は期待できませんし。閉じ込められているわけでもないのですから、わざわざ危険の多い国に留まることもないでしょう。姫君も、ここまでの話を聞いてどう思われます。この人の魔力量については、ハーフエルフであり、直接指南を受けた自分だからこそ気がつく要素ではありますが、いつまでも隠し通せる保証はありませんよ」
ソティスは、本気でクロノのことを心配しているようだ。魔法を教えていたのは知っているけれど、いつの間に仲良くなっていたのだろう、と胸がちくちくしてしまった自分が恥ずかしかった。クロノは、別にリナリアのものではないのだから、そんなことをいちいち把握する必要はないのだ。
「……確かに、クロノにとってレガリアは危険がたくさんかもしれません……」
リナリアはじっとクロノを見上げる。クロノは、いつも通り不敵に笑ってリナリアを見つめ返した。今は彼女のその自信満々な姿が救いだった。
「でも、わたくしは……クロノと離れたくないです。クロノは、侍女というだけではなくて……わたくしにとって、大事な人なのです。その代わりクロノに危ないことが起こらないように、わたくしも努力します。それに……」
ソティスにどこまで言っていいものか迷い、一度言葉を切った。
(けれど、クロノの正体が精霊だと知られてしまったのなら。彼がレガリアに失望してしまったのなら……このままでいたら、ファルンを連れて外国に行ってしまうでしょう。もしかしたら、クロノのことも助けようとして、より悪いことになってしまうかもしれません。それならばせめて、ソティスには真摯に接したいわ)
リナリアは顔を上げてソティスの目を真っ直ぐに見る。
「わたくしはまだ6歳の子どもで、できることは少ないですけれど。ソティスが失望してしまったレガリアの現状を変えたいと思っています。このままでは、レガリアという国は長く続かないでしょう。わたくしも、ファルンに対する騎士たちや、検閲官の先生の態度を目の当たりにして、より一層そう感じました。だから……だからこそ、わたくしは、クロノと一緒にいたい。ファルンのこともそうです。お兄さまも……ファルンのことで、心を痛めていらっしゃいました」
兄のことを言うと、ソティスの眉がピクリと動いた。
「殿下も?」
「はい。お兄さまは、まっすぐな方です。レガリアのリリア教を基準にした教育を受けてはいるものの、お兄さまの価値の基準は『騎士としてあるべき姿か』ということです。お兄さまの憧れとする騎士は、少なくともファルンのような罪のない精霊の子を迫害するものではありません。それは……ソティスも、あの場にいたから、ご存知ですよね」
ソティスは黙って何か考えているようだった。クロノが一歩前に出る。
「すまんがな、うちの姫はそんじょそこらの姫君と違うぞ。毎日毎時毎秒、未来のことを考えている姫なんじゃ。こいつは未来を変えるためには何をすれば良いか必死に考えて、みんなが期待しとる道から外れることすら厭わない『わがまま姫』じゃ。そんな面白い姫の近くにおることより面白いことなど、そうそうあるまい。うちの姫がいない場所に魅力を感じないんじゃ。すまんな」
クロノの言葉が胸にしみ渡るような心地がして、リナリアは目頭が熱くなった。手の甲でごしごしと目を擦ると、クロノが「げ」と言う。
「ちょっと泣き虫すぎなのが欠点かもしれん。ほら、そんなに強うこするとまた目が腫れるじゃろが」
クロノがエプロンの裾でリナリアの目元を拭こうとしたとき、ソティスが「ふう」と声を漏らした。
「……こんなにキッパリ振られたのは初めてですよ」
「そりゃ悪かったな。お前はわれのタイプじゃないんじゃ」
クロノの憎まれ口に、ソティスはヒラヒラと手を振り、僅かに笑った。
「……この国、というか、リナリア姫には、精霊のあなたがわざわざ残る価値があるんですね」
「そうとも。この国だって嫌いじゃない。未発展ということは、まだまだ変わる余地が大きくあるということ。われは未来を変えようとする奴が好きじゃ」
「……そうか。そういう発想はなかったな」
ソティスは顎に手をやって、大きく頷いた。
「わかりました。あなたとこの国を出るのは諦めます」
「わかってくれたんなら……」
「不本意ながら自分も騎士団に残って、あなたが変なことに巻き込まれないよう、フォローしましょう」
ソティスの言葉に、クロノが「はあ〜?」と返事をする。
「不本意なら無理しなくても良いが?」
「あなたみたいな危なっかしいのを放っておいて何かあったら寝覚めが悪いんですよ。それに、騎士団に一人くらい事情を知っている者がいた方が、姫君も内側から何かと都合が良いんじゃないですか」
リナリアは慌ててこくこくと頷く。
「こちらとしては、もちろん、ソティスが味方になってくださるならとても心強いです」
「現状を打破したいという思いが同じなら、それは手を組む価値はあるでしょう。ま、自分の場合は殿下がその心を忘れずにいてくれれば、という期限がつくかもしれませんが……少なくとも、もう少しお付き合いいたしますよ」
「だから、なんでお前が『付き合ってやる』みたいな態度なんじゃ!」
ソティスはぷんすかと怒っているクロノを見て、目を細めた。
「じゃあ、そういうことで……今後ともよろしくお願いします」
前の休載日前に後書きでお知らせするのを忘れましたので、改めて。
しばらく小説は月曜と木曜を休載日(週休2日)にします。
と言うわけで、次回更新は明後日金曜日です。よろしくお願いいたします。