精霊を知る授業(2)
挑戦的な笑みを見せるアーキルに、初めに食ってかかったのはフリッツだった。フリッツは立ち上がって、ファルンを指差す。
「先生、座学の授業で魔法生物を使用するとはどういうことですか。そもそも、城内にそのような……枷もしていないではないですか。危険はないのですか?」
その声音からは嫌悪の感情が漏れ出ている。アーキルは軽く頷いた。
「この精霊の子は、王子が鷹狩をしているときに偶然発見された。陛下にも報告済みだ。このファルンというウンディーネは精霊ではあるが、まだ魔法を知らないようだ。明日のサイラスの授業で探知に使用するということで、それに先立ち私が精霊の知識を講義することになったのだ」
次にそろりと手を挙げたのは、両親が神官のノーラだ。怯えているらしく、身をすくませている。
「あ、あのう……精霊は魔力が多すぎて、あまり近寄ると危険だと聞いています。多くの魔法を使用して人間を堕落に導くとも……見習いの私たちでも、大丈夫なのでしょうか」
アーキルは腕組みをしてため息を吐く。
「リリア教レガリア派ではそのように解釈することもある。しかし、それは精霊に対する絶対の解釈ではない。リリア教の見解については、明日サイラスが聞かなくても教えてくるだろうが、私の講義では、宗教的な偏りのない知識を覚えてもらいたいと思っている」
教室がざわつき始めた。ファルンは大勢の注目を浴びて、もじもじしている。
ティナもこそっとリナリアに話しかけてくる。
「アーキル先生、精霊を連れてくるなんて強気ですね……それに、宗教的な視点を抜きにするなんて、後でガリオ先生がなんていうか……」
「そうですね。魔法検閲官は、表向きは神殿に所属する機関ということになっていますものね。本来は、リリア教の教えに即して授業を進めるサイラス先生のような考え方の方がこの国では『正しい』のでしょうけれど……」
アーキルはあくまで「学者」としての視点でものを見ているのだろう。アーキルのような人が、ウルの件をきっかけに国王である父と交流を持ったら……レガリアの偏った魔法や異種族への認識を改めるきっかけにならないだろうか、とリナリアは少し期待してしまった。
パンパン、とアーキルが二度手を打つ。皆はしんと静かになった。
「さて、では始めようか。まず、先ほどちらと言ったことだが、彼女の名前はファルン。下級精霊は自然発生する魔獣にも近い種族だが、上級精霊は男女の結びつきによって生まれ、言葉を話し人間と同じように感情や知性を持つ種族だ。この国ではそこを混同する者が多いが、上級精霊はエルフやドワーフなどと同列だ。ただ身体の構造が異なるだけなのだよ」
それからアーキルは以前リナリアにも説明した、精霊という種族の基本情報や魔力構造や、上級精霊の種類などを解説した。リナリアがちらっと振り返ってみると、アーキルの話を一生懸命書き留めている者と、まだ困惑して躊躇いがちにメモしている者に分かれていた。ヨナスは必死の形相で書き留めていて、フリッツは冷めた表情で淡々とノートを取っている。
「リナリア君、よそ見しない」
注意されて、慌てて前を向いた。アーキルはファルンの肩に手を置く。
「このファルンは幼いうちに両親と別れて魔法を教わらなかったため何もできないが、本来の上級精霊はその潤沢な魔力で普段から姿を変化させることができる。ファルンが子供の姿なのは『無知』であることの象徴だ。この子が魔力の使い方を覚えたら、今すぐにでも大人の姿になれる。無論、子供の姿で無知に見せかける者もいるかもしれんが、上級精霊というのは基本的にプライドが高い。魔力不足でもなければ、敢えて本来の姿を晒すということはしないだろう」
初期の頃のクロックノックを思い出して、ちょっと気の毒になった。きっと、無力な小鳥の姿でいる間は相当悔しい思いをしていたのだろう。普段の言動で彼女のプライドが高いのは知っているけれど、まさか上級精霊の特徴とも言われているほどとは。
(特にクロックノック様は神霊ですものね。誇り高い方なのだわ)
「ロディ君、クレイル君、君たちは水属性だったな」
突然指名された二人は、がたがたっと立ち上がる。平民出身のロディはまばたきの数が多くなった。
「は、は、はい。水属性です」
アーキルは人差し指をちょいちょいと曲げる。
「前へ。このファルンに触れてみなさい」
「ええっ!?」
「そう怖がらなくても良い。同属性魔力同士なので反発もなく、触れても危険はなかろう。ずっと言っているように、この子は何もせんよ」
ロディとクレイルは顔を見合わせる。先にクレイルが意を決したような表情で、勇ましく大股で前に出た。
「先生、オレは別に怖くないです」
それを聞いたロディも急いで追いかけた。
「お、俺だって別に! 怖くなんか!」
「なら結構。ファルン、両手を前に」
ファルンは声を掛けられると、素直に両手を前に伸ばした。ロディがじっとファルンの顔を見つめる。
「綺麗な顔だなあ……」
クレイルはそんなロディをふっと鼻で笑った。ロディはハッとして軽く自分の頬を叩き、ファルンの手に自分の手を合わせた。クレイルも同じようにして、ビクッと手を引っ込める。
「なんだ、怖いのかクレイル!」
後方のフリッツからの野次に、クレイルはムッと振り返った。
「なんでもない! 濡れていたから、驚いただけだ」
「フリッツ君、無意味に挑発をしない。そう、ウンディーネは全身が水の魔法素で構成されているため、触ると濡れ、水の塊に触れているような感覚がするだろう。相性の悪い火属性の者は念の為に直接触れるのはやめた方が良い。というのは、両者にその気がなくとも上級精霊の強力かつ濃厚な魔力の作用で、相性が悪い属性の魔力は吸い上げられてしまうことがある。人間同士であっても反対の属性の魔力というのはときにそういうことがあるので、魔力操作の初心者は魔力のやり取りには重々気をつけねばならない」
リナリアは、ウルに魔力が引っ張られたことを思い出す。光属性と闇属性も相克関係だけれど、似たようなものなのだろうか。
改めてクレイルがファルンの手に触れた。ロディはもう順応していて、合わせた手のひらを軽く押してみているようだった。
「ほんとだ。水の塊みたいです。なんか面白い!」
「手や指が通り抜けたりはしないのかな」
クレイルがファルンの手のひらを人差し指でつんつんと突つくと、ファルンは恥ずかしそうな顔をして手を引っ込めてしまった。その反応に、クレイルも顔を赤くする。
「なっ……」
「ああ。言い忘れていたが、ファルンはおとなしい子だ。人とのふれあいにも慣れていないから、交流をする際はその点留意するとよい」
「先に言ってくださいよ!」
赤面して焦っているクレイルに対し、ロディの方はにこにこと人懐っこい笑顔で小さい子をあやすようにファルンの手を握って軽く揺らした。
「精霊の子って意外と怖くないんだなあ。俺ロディって言うんだ。よろしくね」
ファルンはロディを見上げて、にこにこと笑い返した。
「私はファルン……よろしく、ね」
後ろから「かわいい!」という女子の声がした。エリーゼとマリーあたりだろうか。ティナもそわそわとファルンを見ていたが、ぴんと手を挙げた。
「先生、水属性と相性の良い属性の人は触っても問題ないんですか?」
「問題ない。よほど多くの魔力でなければ、魔力が精霊側に移動しても精霊を弱らせることもなかろう」
「先生」
フリッツが手を挙げる。指名されると、彼は立ち上がって挑発的に口を歪めた。
「では、精霊を倒すにはどうすれば良いのでしょうか。いざという時のために教えていただきたいのですが」
少し慣れてきてロディの真似をしていたクレイルがピリッと緊張したのがわかった。彼は騎士の家の子なので、精霊といえば退治するものと教わっているのかもしれない。
アーキルは腕を組んで頷いた。
「その知識も必要だろうな。精霊全てが好意的で安全なわけではない。
例えば、ファルンの種族ウンディーネ、それからセイレーンという水属性の上級精霊は、土属性のドリアードには争いを好まない穏やかな気質の者が多い。一方、火属性のイフリート、サラマンダー。それから雷属性のオーガは気性が荒いことで有名だ。イフリートは怒りっぽく、オーガは勝負好きなのでもし見つけたら気をつけること。
さて、倒し方だが。一つは真っ向勝負、相性の良い属性の魔法で攻めれば勝てることもあろう。ただし、相手は人間よりも多くの魔法を知っており、同じ魔法を使用しても威力が格段に違うということを覚えておきなさい。自分の力を過信して精霊に挑むと、痛い目を見る。もう一つは、精霊が魔法素を取り込めない環境に置くこと。たとえば火の精霊、土の精霊ならば海の上、水の精霊ならば砂漠、風の精霊ならば密閉された空間、雷の精霊は地下……と言ったところだろう。しばらくは身体に貯蓄された魔法素で生き延びることができるが、生命維持に割くしかできないのでどんどん弱るだろう」
ファルンはじっと不安げな顔でアーキルを見つめていた。難しい言葉が多いからわからないことも多いだろうが、それでも自分について不利益なことを言われているのはわかったのだろうか。ロディがそろりと手を伸ばして、ファルンの頭を撫でる。ファルンはぴくっとしたけれど、抵抗することもなく大人しくしていた。
「なんか、思ったより……普通の女の子みたいですね……。体も人間と同じくらいだし」
「ロディ、モテないからって異種族に手を出したら終わりだぞ。裸だからって、そんなまじまじと見つめちゃってさ。やらしー」
横でクレイルが茶化し、ロディが顔を赤くした。
「べっ、別にそういう意味じゃ! そんな見てねーよ!」
アーキルがまた手を打って会話を止める。
「君たちはもう席に戻りなさい。私の授業で品位に欠ける会話はしないように。しかし、そうだな……何か有意義な話に結びつけるなら……。実際人間と精霊が結ばれることはほとんどない。身体構造上はどちらが母体になっても子を為すことはできるようだし、恋愛感情が芽生えることもあるのかもしれないが、そもそも精霊側が伴侶として人間を選ばないらしい」
ロディが席に戻る途中で振り向いた。
「えっ、どうしてですか? プライドが高いから、人間じゃ物足りないってこと?」
「人間との子供を残したって劣っているって感じるんじゃないか?」
「きっと価値観が違うからうまくいかないんだよ」
わいわいと議論を始める生徒たちを眺めて、アーキルは肩をすくめた。
「単純な話だよ。寿命差さ。先に説明した通り、魔力が精神に結びついている人間に対して、異種族は魔力が直接身体に結びついているがゆえに人間よりもずっと長生きする。身体も精神も魔力で構成されている精霊は、エルフたちよりももっと長生きする。誰しも伴侶が先に死ぬのは寂しいものだ。人間に先立たれた精霊はそういう理由で人間を選ばないことが多いと聞く。精霊はとても愛情深いという。精霊同士であっても、自ら魔法素を絶って伴侶の後を追うこともあるそうだ」
教室がしん、とする。
「……精霊も、好きな人と一緒にいるときに幸せを感じているからこそ……別れるのが耐えられないくらい悲しいと思うのですよね」
リナリアがつぶやくと、アーキルはふっと笑った。
「そうだろうね。精霊というのは……人間よりも長寿で多くの知識を蓄え、強大な魔力を操り、豊富な種類の魔法を使う。しかしその一方、とてもデリケートで、純粋無垢なところがあるのだよ。だからこそ……美しいのかもしれないね」
皆の視線がファルンに集まった。ファルンは手で顔を覆って、指の隙間からちらちらと視線をさまよわせる。透き通ってきらめく彼女は、本当に美しい。リナリアはほう、と感嘆の息を吐いた。