精霊と検閲官
馬車に揺られながら、しばらく沈黙の時間が流れていた。同乗した騎士の目が気になっていたけれども、リナリアには城に着くまでに彼女にいくつか聞いておきたいことがあった。
クロノの隣からファルンをちらっと覗く。
「ファルン。何も言わずに来てしまったから、あなたのお母さまやお父さまが心配なさるかしら」
ソティスも言っていたけれど、もし彼女の両親がいるなら勝手にレガリア城に連れて行かれたらとても怒るだろう。その辺りのことも含めて父に報告しなくてはならない。
ファルンはしゅんと身を縮ませる。
「ファルン、お父さんとお母さん、いない。ずっと前、どこか行っちゃった」
「まあ……それは寂しかったのではないですか? 花畑のあたりに住んでいらっしゃるの?」
ファルンはふるふると首を振った。
「……わたしいつも、泉にいる」
「じゃあ、今日はたまたまいらしたのね」
「……うん」
同乗の騎士は眉を顰めてその様子を眺めている。クロノが目を閉じてそれを見ないようにしているのは正解だと思った。
「ファルン、そろそろ森から離れるけれど、苦しくはない? 魔法素は足りているかしら」
ファルンはこくりと頷いた。とりあえず、この周辺の環境は大丈夫だろうか。
(クロノ、精霊が生きるために必要な魔法素は、この周辺環境では足りますでしょうか)
〈森ほど質の良いものではないから、多少弱体化するかもしれんが生きるのには問題ない。この娘の場合、魔法を全く使っておらんから魔法素そのものはだいぶ溜め込んでおるようじゃの〉
(精霊で魔法の使い方を知らない方もいらっしゃるのですね)
〈大体は親に教えてもらうもんじゃが、もしかすると早々に親とはぐれたか、死に別れたかしたかもしれんな〉
死に別れ、という言葉を聞いてどきんとする。この子は何年くらい生きているのだろう。ずっと長い間一人素朴に生きていたのだろうか。
「ファルン……ファルンは、ええと、何年くらい一人なの?」
ファルンはきょとんとして首を傾げる。ソティスがふうと息を吐く。
「姫君、自然に住む精霊は時間の単位を気にしないで生きていることが多いですので。暦の概念がないというか……」
騎士が腕を組む。
「……やはり、言葉が話せるといえど、人間とは知性も全然違うのだな」
クロノがムッとして片頬を膨らませる。
「知性と知識は別モンですけどォ。知識がなくても知性が高いことは往々にしてございますけどォ?」
〈しかも知識の神霊がおるんじゃぞ精霊界には!! ああ!?〉
クロノから漏れ出てしまった敵意に騎士がぴくりと反応した。明らかに不快そうな顔でクロノを指差す。
「姫様、そこの侍女はどういう者なのです。侍女ごときが騎士にそのような態度をとるとは、姫様にも失礼なことをしているのではないですか」
リナリアは、軽く咳払いをする。
「……これはあまり公にしていないことですが、クロノはさる侯爵のお嬢様ですわ。事情があってわたくしの侍女として、社交界や世間のお勉強をしているのです。人の上に立っていた期間が長いため、わたくし以外に少々強気に出てしまうこともございますが、淑女として振る舞うように言い聞かせておきますわね」
侯爵と聞いて騎士の表情が少し固くなる。ソティスはファルンの向こうから体を傾け、眉を寄せて怪訝そうな顔をしてクロノを見つめた。ソティスもかなり感情が表れるようになってきた、とリナリアは密かに思った。クロノはフン、と鼻から息を吐いて腕を組んだ。
(思っていた以上に精霊に対する印象が良くなくて驚きました。前の人生では精霊の方々とは全く関わることがなかったので、知りませんでした……。どこかにいるのだろうとは思っていましたが、伝承の存在と申しますか……正直言って他人事でしたわ。おそらく、王族には徹底的に触れさせないようにしていたからだとは思いますけれど……今思えば、お恥ずかしいことです)
〈全く、かつてのお前にも呆れるが、ようここまで捻じ曲がった話がこの時代までまかり通っていたもんじゃ。この分じゃエルフなどへの差別意識も相当強いじゃろうな。こういうところがレガリアの弱いところじゃと言える。実際ソティスもそれでこの国を見限ったわけじゃから、今後もあやつの動向には気をつけておいた方がええぞ〉
(そうですよね。ソティスに見限られないようにしたいです。もちろん……他の方にも)
それからファルンに二、三回質問をしたところで城に着いた。ファルンは、目を丸くして窓をよく見ようと身を乗り出す。それを見た騎士がソティスの足を蹴る。ソティスは黙ってファルンの額をそっと押し、彼女の姿勢を元に戻した。窓からファルンが見えると、騒ぎになるといけないという懸念からだろうか。
馬車から降りてすぐ、最後にソティスがファルンに自分のコートを頭からかぶせた。もがくファルンを、ソティスはマントで包むようにして抱き上げた。リナリアを抱き上げる時のように、ちゃんと子供として扱っているのがわかる。
「それ、着たままで。運ぶので」
待ち構えていた騎士は厳しい目付きでソティスを見た。
「ソティス。そのような抱き方では……」
ソティスは目線を逸らす。
「人間の子と同じ背格好なのだから、この方が自然でしょう。あまり手荒に引っ立てると、遠目に見た者たちからレガリア騎士の誇りを疑われるのでは?」
「ぐ……まあ良かろう。では、それを……」
リナリアは手を挙げてぴょんと跳んだ。
「はい! これからソティスと学舎へ連れて行きます。お父さまへの報告は、お兄さまがしてくださると思うので、わたくしは先生たちに説明します!」
「では、わたしも同行いたします。陛下に正しく報告を上げる義務がございますので」
年長の騎士がリナリアに礼をする。正直なところ少しやりにくいとは思ったが、騎士団としても最低限の筋を通す必要があるのだろう。リナリアはしぶしぶ頷いた。
「わかりました。それではご一緒にどうぞ。知識が豊富なアーキル先生のところへ向かいます」
アーキルならば子供に優しいし、精霊についてもかなり研究しているようだった。少なくとも酷い扱いはしないだろうという信頼があった。
「アーキル殿……ああ、外国人ですか」
騎士はやはり不満げであった。リナリアはむすっと口を尖らせる。
「ソティスにせよ、アーキル先生にせよ……わたくしたちよりも、精霊の知識がある方にお知恵を拝借するのは当然のことではありませんか。それに、過去はどうあれ今はレガリアのために働いてくださっている大切な方々ですよ。とにかくそういうことですから……ソティス、ベティ行きましょう」
リナリアは背筋を伸ばして先頭を進む。その横にベティがつき、すぐ後ろにソティスがついて歩いた。年長の騎士は列の最後に付き従う形になる。
ソティスの狙い通り子供を運んでいるように見えたのか、道中特段怪しまれることはなかった。しかし、神殿前に差し掛かったとき、ちょうど神殿の中から出てきた人物に見つかってしまった。
「おや、リナリア王女殿下ではありませんか。どうなさったのですか。そのように……特段強い水の魔力の塊を携えて」
リナリアはできるだけ心を落ち着けて、声の主を見上げる。
ガリオ長官だ。
流石に検閲官である彼の目、もとい魔力探知は誤魔化せないらしい。リナリアはにこりと微笑んでスカートを持ち丁寧に礼をする。
「ごきげんよう、ガリオ先生。森で精霊の子を見つけましたので、学舎のわたくしの部屋に連れて行くところでしたの」
「ほお? 精霊の子を……それは、貴重な研究材料になります。よく見つけられましたね」
にこやかに手を出すガリオ長官に、リナリアは首を振る。
「いいえ。この子はわたくしがもらい受けます。精霊のことをお勉強するために、保護するのです」
ガリオ長官は大袈裟に首を振る。
「王女様が精霊を飼うなどとんでもない! 神への冒涜でございましょうし、そやつらは魔力の塊のようなもの。もしも王女様がわがままをお通しになろうとするのならば、私はそれをお止めするために、陛下にそれの危険性をお伝えせねばなりません」
父に話が行くのは想定済みだ。リナリアは腰に手を当てた。
「構いません。わたくしもきちんとお父さまとはお話しするつもりでしたから。今は先にお兄さまが報告をなさっているところです。精霊や精霊師については、アーキル先生の授業の自由研究で調べました。これからまたアーキル先生に……」
「でしたら、私自ら、その教材を使って手ほどきいたしますよ。リナリア王女殿下」
ガリオ長官の目がいやらしく細められる。リナリアはゾッとしてぶんぶん首を振った。
「いいえ! ガリオ先生はお忙しいでしょうからお気になさらずっ! 失礼いたします」
これ以上絡まれないうちに距離を取ろうと、リナリアは改めて学舎に足を向ける。年長の騎士が立ち止まって、ガリオ長官と何やら話しているのは気になったけれど、今はとにかく先にファルンをアーキルに預けたかった。
しかし、アーキルの部屋をノックしようとしたとき、二つ隣の部屋からサイラスが飛び出してきた。
「なんっだ、この、異常なる水の魔力の気配はーーーー!!!!」
あまりの大声に、皆耳を塞ぐ。リナリアも耳がキィンとなりながら、サイラスに軽く礼をした。
「さ、サイラス先生……あの、アーキル先生は……」
「リナリア王女!! アーキルなら上のウルの部屋におるはずですが……なんですか!! そこの騎士の抱いているのは!!」
そういえば、サイラスはリリア教の過激派だった。リナリアはドキドキしながら、慎重に言葉を選ぶ。
「ええと……本日森に遊びに行ったとき、偶然見つけたウンディーネの子です……。見つけてしまったからには放置できないということでしたので、お勉強も兼ねてわたくしの精霊にしたくて、連れてきました。アーキル先生にお見せしてから、わたくしのお部屋に、とどめおこうかと」
サイラスは話を聞くと、無遠慮にファルンが被っていたマントを跳ね上げる。全身が透き通ったファルンの姿が露わになり、「おお!」と大きな声を出す。ファルンはビクッとしてソティスに身を寄せた。
「確かにこの特徴はウンディーネですな!! 若い頃に、一度遠征で見たことがあります!! まさか城近くの森にも生息していたとは!! これは騎士団と協力して巣の捜索もすべきかもしれませんな!!」
(やっぱり、サイラス先生もそっち側の考え方ですね……)
〈本当にどいつもこいつも……はようターバンと接触すべきじゃろ。今日は厄日か?〉
リナリアはファルンをチラッと見上げる。
「……この子は、一人で住んでいたと言っていました。家族はいないようです」
「なるほど! 幼体のようですが、言葉は扱えるんですな!! 随分無防備に連れてきたように見えますが、魔法対策はどうされたのですかな!」
「この子は、魔法を知らないようです。こちらに対して攻撃することもなく、物理的な拘束に弱く、無抵抗で一緒にここまで来ました。性格もおとなしいようですし、危険性は薄いと思いました」
サイラスは、ファルンをしげしげと眺め、人差し指で頬をツンツンつついた。ファルンはおとなしい女の子がする仕草で、控えめに顔を逃がそうと焦っていた。
「確かに、意図的に魔力を放出しようとしておりませんな! では、リナリア様、これは魔力探知の指導員として提案なのですが!」
サイラスは、人差し指を顔の横で立てて、ニカッと歯を見せて笑った。
「このウンディーネを、魔力探知の授業で使いましょう!!」