ウンディーネの少女
鷹がリナリアの帽子を掴んで戻ってくると、グラジオが「えっ」と困惑した声を上げる。そしてほとんど間を空けず、鷹を追っていったユクスが「わっ!」と叫ぶ声がした。
「騎士様!! 応援を!!」
リナリアは少し嫌な予感がした。騎士の間をぬって、クロノが走っていく。
グラジオが鷹をケージに戻したのを確認して、リナリアは兄の近くに駆け寄った。ベティも当然のようにピッタリくっついている。
「お兄さま、その帽子……」
帽子を近くで見ると、当時挿さっていた花は流石にもう無いけれども、確かにリナリアが森でウンディーネの少女にあげたものと同じだった。つまり……。グラジオも頷いて、不安げにユクスの声がした方を眺める。
クローブは口を尖らせて不満そうに帽子を見た。
「なーんだ。鳥とか、ネズミとか、なんか生き物を獲ったかと思ったのに。女の帽子かあ……」
「あら、かわいい帽子じゃない。ねえ、リナリア。今度のラビィのお誕生日にはこういう帽子が欲しいわ! これに合うドレスも!」
ラビィがディートリヒと腕を組んで足取り軽く近づいてきた。ディートリヒは、距離感が近いラビィに少しびくびくしているのが伺える。クローブがムッとした顔で、二人の間に割って離した。
「ラビィ、どうしてこんなやつにくっついてんだよー」
「あら、ディルもね、こう見えて結構たくましいのよ? 兄さま、後で手合わせしたら?」
「えっ……」
ディートリヒと双子が話しているうちに、リナリアはそーっとユクスやクロノが行った方に歩き始める。すると、グラジオに手を掴まれた。
「リナ、行くなら俺も」
兄に頷くと、ベティが「待ってください」と前に立った。
「王女様、王子様は護衛の後ろにいらしてくださいね。何かあったらいけません」
横にいたソティスが、ふうとため息をつく。
「この人たちは基本的に、言っても聞きませんよ。そこもカバーすることを考慮して護衛したほうがいいと思いますが」
ベティはソティスの顔を見て、「はっ!!」と敬礼した。
「あなたはまさか……『倒した敵の数よりも倒れた婦人の数の方が多い』と噂されていたソティス様!?」
「殿下、自分帰っていいですか?」
グラジオが「ダメダメ!」と慌てて引き留める。ベティはあわあわと手を振った。
「すっ、すみません! 実ぶ……実際にお会いしたのが初めてだったのでつい。ご本人からしたら失礼な話でしたよね。私、今年学院の騎士クラスを卒業いたしまして、リナリア王女様付きになりました、北方出身の騎士、ベティーナ・フルースと申します! ご指導ください先輩!」
「では早速。顔について言われるのは好きではないです」
「はっ!!! 今後ご本人様の前では二度と口にしませんっ!!!」
二人に気を取られているうち、森の方からユクスが走って戻ってきた。
「グラジオ様! リナリア様! 実は、森の方で少し……」
「何があったんだ?」
身を乗り出したグラジオをソティスが止める。
「後輩、ユクス、二人で殿下と姫君を見ていてくれ。自分が行ってくる」
「はいっ」
「あっ、お願いします!」
ソティスの背中を見送りながら、リナリアは頭の中でクロノに話しかけてみる。
(クロノ、クロノ、どうなっていますか? 今ソティスがそちらに向かって……こちらは、鷹には問題ありませんでしたが、少し動きにくいです)
〈うーん、少々面倒なことになりそうじゃな。われはいったん様子見に徹するぞ〉
(え……?)
何か言いにくそうにしているクロノに引っかかりを覚えていると、森の中から騎士たちが戻ってきた。何かを囲むような陣形をしている。
「は、はなしてっ……!」
女の子の声が聞こえてドキッとする。
グラジオがリナリアの手を引きながら、大股で騎士たちに近寄った。
「報告しろ!」
グラジオの命に、今回の騎士たちの中で最も年長の騎士が一歩前に出て跪く。彼がいた空間の隙間から騎士たちに取り囲まれた、体が透明な美しい女の子の姿が見えた。去年の夏に二人が出会った少女は後ろ手に拘束された状態で、グラジオの顔を見るとハッとした様子を見せた。
騎士の集団の後ろから少し遅れてソティスとクロノが追いついた。クロノが手に持っているのは、グラジオが前に彼女に着せてあげた上着だ。
「報告いたします。ユクスに呼ばれて鷹が向かった先へ行くと、この異種族の娘が倒れておりました。ユクスが素手で取り押さえられたので、まだ攻撃魔法などは使えない幼体かと思われますが、殿下のものと思われる上着を所持しており、こちらの様子を伺っていた可能性があるため拘束いたしました」
グラジオは「そっ、か」と、目を泳がせる。
「何もしていないなら、離してやればいい。俺の上着も、リナの帽子も、前に無くしてしまったものだから」
リナリアもこくこくと頷く。
「しかし、異種族は容易に変身することもできます。このあたりは陛下も上級貴族も訪れる憩いの場所。異種族が出没するとなると、報告しなくてはいけません。幸い人の言葉が話せるようですし、これの親や仲間の巣があるならば情報を得て場合によっては退治しませんと……」
ソティスの眉がぴく、と動く。
「……センパイ、先ほども言いましたが……その精霊は上級精霊です。下級精霊とは違い、人間と変わらないので、もう少し表現を……」
「精霊!?」
ソティスの言葉に反応したのはクローブだった。ラビィもディートリヒの後ろから、少し背伸びして興味津々という様子で捕まった少女を見る。
「ねえ、兄さま。体が透明な精霊のお話、ラビィ、絵本で読んだことがあるわ。確か、精霊師さんにオアシスの場所を教えてあげた精霊があんなふうな体をしていたわ!」
クローブははしゃいでグラジオの周りをぐるぐると走る。
「すごいぞ、グラジオ! お前のムートは大きい獲物を見つけたんだな! オレ、水の精霊初めて見た!!」
「水の、精霊……」
グラジオは困惑した様子で、少女を見る。
はしゃぐ子供たちを横目で見てから、報告していた騎士がソティスの方を振り返って首を振る。
「上級だろうが下級だろうが人外に変わりはない。特に上級だと言うのなら、下級よりも魔力が強い危険生物ではないか。余計に対処せねばなるまい」
「……ではもう一つの懸念として……子供を捕まえると、親が激しく攻撃してくるのは自然の摂理のようなものでしょ。無用な戦いを避けるためにも、この子供は元の場所に戻して再調査を」
ソティスが言葉を言い終える前に、少女を取り囲む騎士の一人が「はん」と笑った。
「ソティスお前、異種族と戦いになるのが怖いのか? まあお前は周辺の魔獣退治はしたことがあるが、異種族との実戦経験はほとんど無いからな。仕方ないか、これだから顔で護衛に選ばれたやつは……」
ソティスが「フッ」と鼻で笑う。笑われた騎士はソティスに近づいて凄んだ。
「おい、お前、今馬鹿にしたか?」
「あ、すみません。先輩みたいに品がない騎士だと、勤続年数が長くても近衛騎士にはなれないんだなあと思ったもので。よかったですね、臨時でも殿下の護衛に選んでもらって」
「こいつ……!」
「やめろ、お前たち!!」
報告をしていた騎士が止めに入ろうとしたが、それより先に先輩騎士がソティスの胸を突く。すると、ソティスは簡単によろめいて倒れてしまった。あまりに呆気なく倒れたので皆が意表を突かれて固まっているうちに、ソティスは倒れた姿勢のまま先輩騎士に足払いを仕掛けた。
「あっ!!」
派手な音を立て、先輩騎士が転がる。ソティスが「ははっ」と顔を歪めて笑った。
「このやろうっ!!」
先輩騎士が怒りの形相でソティスに掴みかかろうとしたとき、大声が響く。
「やめんか!! この場で最も上官は私だ! 私がやめろと言ったんだぞ!! 殿下の御前で身内争いなど馬鹿なことはやめろ!!」
リナリアは目の前で行われる大人同士の争いにすっかり身をすくませていた。グラジオはリナリアの手を離して腕を組むと、大きなため息をつく。
「……参ったなあ……」
リナリアとグラジオの手が離れたのを確認して、ベティがリナリアを抱き上げた。
「先輩がたもいけませんね! 小さな王子様や王女様の前で派手に争うなんて」
ベティは抱き上げたリナリアの背をぽんぽんと優しく叩きながら、赤子をあやすように軽くゆする。近くに控えていたばあやも困った顔で頷いた。
「全くです。ヘレナ様を馬車にお止め置きしてよかったけれど……姫さまも残っていただくべきだったわねえ」
年長の騎士が、改めてグラジオの前に跪いた。
「グラジオ殿下。騎士の風上にもおけぬ行為、大変失礼いたしました。このことは城に持ち帰って当人たちにもしかるべき罰を与えます」
「……クローブやラビィの前でみっともない姿を見せないでくれよ。レガリア騎士はいつだって正義のために動くべきだろ? で、あの子は……」
グラジオがウンディーネの少女をじっと見る。少女は泣きそうな顔で、グラジオを見つめ返した。
「俺は、ソティスが良くないって言うんなら、あの子を連れ帰るのは良くないんじゃないかと思うけど」
「殿下。ソティスは元々放浪の部族の出身で、レガリアの伝統に対する誇りや信仰がございません。王家に属するお方として、やはり異種族には厳しくあるべきで……」
クロノを見ると、宣言通り傍観に徹しているらしい。クローブは背伸びして、少女を見ようと躍起になっている。ディートリヒとユクスは騎士たちの様子をハラハラと見守っており、ラビィはリナリアの方をそわそわ見上げていた。ベティの体温で落ち着いたリナリアは、改めて対策を考えねばと自分の頬をぺち、と軽く叩く。
「ベティ、もうおろしてくださって大丈夫ですよ。おかげで落ち着きました」
「本当ですか? リナリア王女様は本当にしっかりしてらっしゃいますね……でも、また怖くなったらいつでもおっしゃってくださいね」
ベティはまだ心配そうな顔をしていたが、リナリアを地面に下ろした。ラビィがちょこちょこと寄ってくる。
「ねえねえすごいすごい! リナリア、あの姿、絵本に描いてあった通りだわ! リナリアにあげた本にもあったでしょう? ああ、あの子、サハーラに連れて帰りたいなあ。仲良くなったらいっぱい水遊びさせてくれないかしら」
リナリアはちらりとクロノを見た。
(クロノ。水の精霊である彼女は、砂漠国のサハーラに行っても元気でいられるでしょうか)
〈あー、オアシスのように水のある場所ならばええが、水属性の精霊師がいなければ厳しい。自然界にはどの魔法素も散らばっておるとはいえ、やはり砂漠に水を求めたり、海に火を求めるのは難しいからの。サハーラの現状がわからんのでなんとも言えんが、道中で力尽きる可能性は否定できんな。特にコイツは魔力の使い方も未熟のようじゃから〉
(そうですか……ならば、ここは……わがままの出番ですね)
きっと、バーミリオンなら、あの子を助けようとする。いつか見た夢を思い出して、リナリアはすうっと息を吸った。
「あーっ!!」
少女を指差して大きな声を上げる。その場にいた全員の注目がリナリアに集まった。視線を集めるのは、まだ恥ずかしかったけれど、ドキドキする胸を抑えて、ウンディーネの子を指差し続けた。
「けっ、検閲官の本で読みましたっ!! 体が透明な水の精霊は、『ウンディーネ』というのですよね!? ホンモノの精霊、すごいですっ!! せっ、先生にご報告しなくてはっ!!」
リナリアは、年長の騎士の前に行って一生懸命胸を張った。
「あ、あの精霊の子を、わたくしにくださいっ!!」