アルカディールへ
隣国の王妃の国葬とあっては、レガリアの王族も当然参列すべきものだった。ヘレナはもともと社交界に顔見せをする前なのでリナリアが経験した過去でも留守番だった。しかし今はというと……熱にうかされながら母を呼んでいるらしい。両親は葬儀に参列する支度を急ぎながら悩んでいるようだった。
バーミリオン王子は母を失ったばかりなのに、レガリア王妃が娘の看病のために城に残るというのはタイミングが悪すぎる。
(前は、ヘレナは熱を出さなかったのだけれど……ああ、途中で雪遊びどころではなくなってしまったから……)
真っ黒のドレスを着せられながら、自然と顔が曇る。
「ばあや、ヘレナは大丈夫かしら……」
そっと尋ねてみると、ばあやはリナリアを安心させるように微笑んだ。
「ええ、ええ、ご心配でございますよね。大丈夫ですよ、侍医が言うにはちょっとしたお風邪を召されたとのことですからね。明日になったら、きっと良くなります」
「そう……」
城の正門に行くと、すでにグラジオが馬車の前で待っていた。リナリアと同じように真っ黒の礼服を着ている。二人とも髪も黒いので、その一帯だけ光が消えたように見えるのではないか、とリナリアは思う。
「……リオン、帰ってよかったな」
ボソリと兄がつぶやく。じっと兄を見つめた。
「王妃様がいつから悪かったのかわからないけど、もし昨日残ってたら、きっと帰るのも大変だっただろうから」
「……そう、ですわね」
バーミリオンが母の臨終に間に合うというのは、確かにリナリアが望んだことだった。けれど、「よかった」と手放しで喜べることでもない。過去を変えたことで未来にどのような影響が出るのか、いざ実際に直面してから怖くなったのだ。経験のないことが起こるとどうしても不安になってしまう。
しばらくして、父と母が連れ立ってやってきた。父王は、グラジオとリナリアの頭を軽く撫で、馬車に向かう。それに母も従った。
「母上も行くの?」
グラジオが尋ねると、母は少し困った顔で微笑んだ。
「仕方ないわ。ヘレナはただの風邪ですから……いい子で待っていてもらいましょうね」
「そっか……」
グラジオの顔が暗い。きっと、昨日ヘレナを遅くまで遊びに連れ回した自分を責めているのだろう。その沈んだ顔が、前の兄と重なって、胸が苦しくなる。父が振り返って母を呼ぶ。
「王族としてすべきことを間違えてはならない。今我らがすべきはアルカディールの悲しみに寄り添うことだ」
一瞬だけ、「残ります」と言いたくなった。
ただ、「王族として」という言葉に反発したくなって。
けれど、リナリアにとっても隣国に行くのは必要なことだった。今後のためにバーミリオンやアルカディール国王の情報を得なければならない。
(……優先順位)
クロックノックに言われたことが、重くのしかかる。
もしかすると、バーミリオンを救うということは、自分の家族や国を犠牲にしなくてはいけない場面もあるのではないか。その選択を迫られたとき、自分は真っ直ぐバーミリオンの手を取れるのだろうか。
(その覚悟もしてきたはずだわ)
だから、「わがまま」にならなければと改めて思う。時に暴力的に、ひとつひとつの選択をしなくてはならない。
グラジオが馬車に乗ってから、振り返った。
「リナ、残るか? きっとすごく疲れるし、ヘレナみたいに熱を出しちゃうかも。行くより、ヘレナのところに残った方がいいかもしれないぞ。リナは小さいから、父上だって……」
リナリアは静かに首を振った。
「バーミリオン様のお母様が亡くなったんですもの。もしお母様がいなくなったらと思うと、悲しすぎます。だから、リナも、バーミリオン様の悲しみに寄り添って差し上げたいんです」
「……そっか。リナはえらいな。もう父上が言ったことを理解できたんだ」
グラジオは馬車の上からリナリアに手を伸ばす。リナリアは兄の手を掴んで馬車に乗り込んだ。夢で見た輝くような白い内装の馬車とは異なり、内部には重厚な黒と金の装飾が施されている。唯一、赤い布張りの座席だけが同じだった。
道中の雪はほとんど溶け、一部が道の端に残っている程度であった。馬車は列を成して隣国への国境へと向かう。
いつもなら見ないようにしてやり過ごす森に入ってからも、リナリアは窓の外をじっと眺めていた。怖がっていたのはなんだったのかと思うほどに森は静かで、ただ深い緑の木々が続くだけであった。鳥が枝に残った白い雪を落とすのを眺めていたとき、いつの間にか兄も黙って窓を見ていたのに気がついた。
景色が夢とは逆の方向に流れていく。
街に入ると、子供たちはこちらに向かって無邪気に手を振る。大人は御者の黒い服や馬車につけられた喪章を見て、慌てて頭を垂れる。
(……やっぱり、誰も隠れませんわね)
レガリア国民は、アルカディールの魔法を怖がっている者も多い。魔法の知識が無さすぎて、魔法は悪いもので、恐ろしいものだと認識しているのだ。だから、隣国の馬車には極力近づきたくないのだろう。
(良いか悪いかというのは、正確な知識を与えられた上で自ら判断すべきことです。将来的な両国のすれ違いを避けるためにも、レガリア国内でも教育の改革は必要なのかも知れません……まずは、わたくし自身から、ですけれど)
流れる景色のひとつひとつを目に焼き付けるように、リナリアはずっと窓を眺めていた。
バーミリオンは国境を越えたら馬車から降りて移動魔法を使っていたはずだが、レガリア王家はそうもいかない。隣国にあっても当然魔法は使用できないので、国境から城までの道中もずっと馬車で移動することになる。
アルカディールの城に着いた時には、もう夜になっていた。葬儀は翌日である。
子供の体での長時間移動は思っていたより体力を削られ、かなりぐったりしてしまっていたリナリアはばあやに抱っこしてもらって馬車から降りた。
(そういえば……以前はすっかり疲れて眠ってしまって、ついてからの記憶が全然なかったわ。情けないけれど、まだ起きていられただけマシなのかしら……)
グラジオも同じように疲れているはずだが、気丈に背筋を伸ばして自分の足で降りていた。普段はやんちゃでも、王子としての振る舞いが必要な場面では義務を果たしてみせるのがグラジオという人なのだ。自分も兄に倣わなくては、とばあやにこっそり話しかける。
「……ばあや、わたくし、歩けるわ」
「まあ、いけませんよ姫さま。ここでご無理をなさっては、明日に支障が出ます。今日はばあやがお部屋までお連れいたしましょうね」
ばあやも5歳児をずっと抱っこするのはかなり大変だと思ったのだが、絶対に離しません! と言わんばかりの抱き方で、ばあやはずんずんと進んでいった。城の使用人も皆黒い服を着ていた。両親は国王に挨拶するために玉座へ向かったが、子どもたちはもう遅いから今日は休むこととなった。
すれ違う人々は皆頭を下げたが、通りすぎると皆ちらちらとこちらを伺っていた。中には見えるところで内緒話をしている者たちもいる。おそらく幼い王子・王女と使用人ということで、侮っているところもあるのだろう。レガリアの民がアルカディールを恐れているように、アルカディールの民にもレガリアをまた異質なものだと思っている者もいる。以前は気がつかなかったけれど、城の使用人にもそういう者がいたことに改めて気付かされ、そしてそんなレガリアの王族と親しく交流をしていたバーミリオンは、城の者になんと思われていたのかも気になった。
慣れない城で幼い子どもが一人では心細かろうということで、リナリアはグラジオと同室になった。ベッドは別とはいえ、最後に兄と一緒に寝たのなんて、今のリナリアにとっては記憶の彼方である。クロックノックはどうしているのだろうと思ったけれど、周囲を見回しても緑の小鳥は見当たらなかった。
それぞれの世話係は就寝の支度をし終わると、退室した。今夜は使用人用のゲストルームで寝るらしい。ばあやがいなくなるのは少し心細かったが、今日はもう寝るだけなのでまだ心は穏やかな方だった。二人きりになると、兄が両手を広げて、ベッドにぼすっと倒れ込んだ。
「はあ〜……遠いなあ。アルカディール」
リナリアも兄に倣って両手を広げてベッドに倒れ込もうとしたが、身長が足りなくて足元の布団に顔が埋もれただけだった。グラジオは顔だけこちらに向けて「何してんだよ」と苦笑した。
「ぷは。遠かった、ですね」
本当に遠かった。国境までも。あの道を、バーミリオンはどんな気持ちで通ったのだろう。
「明日は朝から大変だからな。早めに寝ないと。リナ、ちゃんと寝れるか? 怖くないか?」
グラジオが兄らしく心配してくれる。その心遣いが単純に嬉しくて、リナリアはふっと微笑んだ。
「大丈夫です。疲れているので、きっとすぐに寝られ……」
返事を言い終わる前に、ドアがノックされた。グラジオは急いで体を起こす。
「王子殿下、王女殿下、失礼いたします。バーミリオン王子がいらっしゃいました」
護衛のレガリア騎士の声に、二人で顔を見合わせた。こんな遅くに、一人で?
リナリアは、グラジオとは違う意味でも困惑していた。
(前のときは、バーミリオン様はわたくしたちと全然お話なさらなかったわ。今思えば、とてもお話できるような精神状態ではなかったはずだから、きっとお兄さまとも話していらっしゃらなかったはず……。それが、わざわざ訪ねていらっしゃるなんて……)
「今行く」
グラジオが返事をしてドアを開けると、青い顔のバーミリオンがそこにいた。