鷹が見つけたもの
「それでねえ、昨日はあんまりダンスのお誘いがくるものだから、ディートリヒを捕まえて踊ってもらったの」
「まあ、そうだったのですか。ラビィたちが踊っているところ、わたくしも見たかったわ……」
花畑に向かう馬車の中でラビィがニコニコと話をする。子供ばかりとはいえ人数が多いので、男女に分かれて馬車に乗った。ヘレナはエリカの膝に座って、窓の外に見えるものを指差してはマイペースに何か話しているようだった。
ディートリヒの名前が出たとき、隣に座ったベティがそわっとこちらを見たので、リナリアは話を向ける。
「そういえば、ベティはグラッセンのご出身なのでしたね。ディートリヒ様とも交流が?」
ベティは大きく頷いた。
「はいっ! 私の父がディートリヒぼっちゃまの家庭教師をしておりますので、何度かお会いしたこともございます。リナリア王女様付きに推薦いただきましたが、そうでなければディートリヒぼっちゃまの護衛になっていたかと」
「そうだったのですか。お父様も騎士を?」
「いいえ、うちはグラッセンの分家でございまして……父も祖父も文官です。私も文官になってほしいとよく言われておりましたが、私は北方に伝わる騎士譚を読んで騎士に憧れておりましたので、親の反対を押し切って騎士になりました」
ベティは誇らしげに目をキラキラさせて話す。ドライなソティスとは違ってみずみずしさを感じる彼女が微笑ましくて、リナリアはにっこり笑った。
「ベティはお兄様とも話が合うかもしれませんね。お兄様は騎士が大好きなのです」
ラビィが「へええ! 今度お話してみましょ」と興味深げに頷いてから、ベティを見る。
「それにしても、女の子なのに騎士なんかやっていたら結婚できないわよ? 傷もいっぱいできそう……大丈夫なの? あと、あなた全然強そうに見えないわ。小さいし」
「ご心配には及びません! 特に結婚願望もありませんし、丈夫ですからちょっとやそっとの傷くらいは何でもありません。こう見えて同期の中では一番でした。リナリア王女様には決して傷一つ作らせませんよ」
力こぶを作ってみせるベティに、ラビィは「ふうん」と首を傾げた。
「そういえば、ディートリヒ様って細く見えるのに結構腕が固いの。あれも筋肉なのかしら。ベティの腕も触っていい?」
「もちろんですとも。もし良かったら、リナリア王女様もどうぞ」
ベティが腕を差し出して、ラビィが触る。リナリアもおずおずと手を伸ばす。彼女の手は細かったが、柔らかな母の腕と比べて筋張っており、確かに固かった。
「わ、ほんと、かたぁい」
「ふふー。これでも男女混合腕相撲大会でもいいところまで行ったんですよ」
クロノがこちらの様子を見ているのに気がついて、軽く笑いかけた。
(ベティは明るくて良い人ですね)
〈少々落ち着かんがのう。ま、お前にはちょうどいいかもしれん。いろいろと邪魔しなければ……お、花畑が近づいてきたぞ〉
クロノに言われて窓を見ると、ちょうどヘレナが「わあ」と声を上げた。春先の花畑は夏に来た時とは違う色の花が咲いていて、まるで新しい服に着替えたみたいだ。
(こんなにお花があったら、ウルにとってはきっと賑やかなのでしょうね)
先についた男子の馬車からクローブとグラジオが降りて走っていくのが見える。その更に先に到着していた騎士たちが、すでに周囲を囲んでいる。
鷹のケージを持ったグラジオの従者ユクスと、護衛のソティス、ディートリヒ、それからサハーラの従者が王子たちの後に続いた。ユクスを見るのは少し久しぶりだ。
馬車が止まり、風を入れるために扉が開かれる。ラビィはソワソワとリナリアの方を見た。
「ねえねえ、リナリアお外行かないの? ラビィ、グラジオ様の近くに行きたいなあ」
おそらくラビィは鷹を見慣れているから、もう怖くもないのだろう。リナリアは少し迷って首を振った。
「わたくしは……お父さまも鷹を放しているときは馬車の中からならとおっしゃっていましたから、ここで大人しくしております」
「ヘレナはおえかき!」
ヘレナは持ってきた画用紙や絵の具を広げる。バーミリオンが贈ったという絵の具は色の種類も多く、一部にはキラキラした細かい粒子が絵の具に混ざっていて美しかった。
ラビィが「そっかあ」とつまらなさそうに肩を落とす。
「焼きたてのお菓子も持って来ましたから、空を見ながらお茶会をいたしましょう。鷹を放していないときは外に出ても良いと聞いていますし」
「お菓子食べる! ねえねえリナリア、今度ラビィたちのお誕生日は絶対サハーラに遊びにきてね。もし兄さまとの婚約のことが心配だったら、バーミリオン様にも招待状をお出ししておくわ」
婚約の話を出されて、ドキッとする。
元々リナリアが結婚する予定だった皇子は、まだ生まれてもいないけれど、こんな頃からサハーラはレガリアと婚姻関係を結びたがっていたのだろうか。
「ラビィは聞いていたの?」
「うん。でもラビィ、別にリナリアと兄さまの婚約のために動けって『命令』はされてないから。もし今後命令されたら、そういうふうに動くこともあるかもしれないけどぉ……」
「『命令』……ですか」
不穏な語に少し眉を寄せると、ラビィは特に気にした様子もなく「うん」と頷いた。
「だって、陛下は陛下だからね。レガリアの国王陛下とリナリアたちは、国王と王子・王女じゃなくて、お父さまと子どもって感じだからびっくりしたわ。サハーラでは、お父さまって呼ばないの。皇妃も、皇子も皇女も、皇帝陛下に仕えるものなのよ」
「そうなのですか……」
自分の国と他所の国の文化や制度の違いに、少し不安になった。
もし、バーミリオンが攻めて来なかったら……自分はどうなっていたのだろう、と思う。
「でもね、でもね、ラビィはバーミリオン様とリナリアはお似合いだと思うの! ファーストダンスはずっと見てたんだけど、息もぴったりで、なんだかロマンチックだったわ! きっと、ぜったいバーミリオン様もリナリアのことお好きだと思うの! 私、好き同士で結婚するの見たいから頑張ってほしい!」
応援の動機がとても興味本位だったので、少し笑ってしまった。けれど、その分ラビィが本当にそう思ってくれているのが伝わったので、リナリアは素直に頷いた。
「はい。ありがとう、ラビィ。わたくしも、リオン様とけっこ……こ、婚約、できたらいいなと思っています」
「昨日見てた感じ、リナリアもいろんなおうちに狙われちゃってるかもしれないから、そっちも気をつけるのよ。なんだっけ、あの子、ヨナス? もぜったいリナリアのこと好きよ。だって、『リナリア様はまだでしょうかねえ』とか、『僕はリナリア様と同じチームが良いです』って言ってたわ!」
大真面目な顔でそう言われて、リナリアは「あはは」と思わず大きく笑ってしまい、コホン、と咳払いをして誤魔化した。
「ヨナスは……そういう人なのです。多分、婚約とか、恋とかではなく、単純に心細かっただけだと思いますよ。昨日は男爵家出身のヨナスから見たら皆格上のお家だったからと申しますか……」
「あ、そういえばディートリヒって子爵家だったわね。いつも気弱そうにしているから、ヨナスの方が立場が上なのかと思っちゃったわ」
その言葉にベティが苦笑したところで、ヘレナの「あっ!」という声が馬車の中に響いた。
「とりさん、とんだ!」
リナリアもラビィもヘレナの視線の先を追う。そこには、広い空の下、翼を広げてくるくると旋回する鷹の姿があった。グラジオとクローブが鷹を指差して見入っている。
最後に見た鷹はぐったりとしていて、死んでしまいそうだったから、あんなに回復したことに感動した。兄やユクスがよほど大切に世話してあげたのだろう。父にも見せてあげたかった。
「あんなに高く……縄やひもも付けていないようですけれど、逃げてしまわないのでしょうか」
心配して呟くと、ラビィがふふっと笑う。
「あのね、鷹は賢いから、訓練すると口笛や呼び声でちゃあんと戻ってくるのよ。ほら、あれ。グラジオ様が投げたのは、擬似餌だと思うわ。兄さまも鷹と遊ぶとき、あれを使ってよく遊んでいるから……」
クローブと一緒にいるからか、ラビィも鷹には詳しいらしい。そういえば、兄の誕生日の時も怖がらなくて良いと言っていた気がする。一緒に馬車にとどめてしまって悪いことをしたかもしれないと思ったが、ばあやがお菓子を差し出した時の笑顔を見てホッとした。
しばらく馬車の中でお菓子をつまみながら鷹が飛んだり擬似餌を捕まえるのを見ていたら、ディートリヒがこちらに来た。
「王女さま方、そろそろ鷹を休憩させるそうなので、馬車から出てもらっても大丈夫だと思います」
「ありがとうございます、ディートリヒさま」
先に護衛や侍女たちが降りてから、ディートリヒのエスコートでリナリアも馬車から降りると、馬車の中から眺めているよりも一気に視界が広がるのを感じた。
ディートリヒはすぐ後ろのラビィのエスコートに回る。まだ冷たさの残る風も気持ちが良くて、リナリアは目を閉じてすっと息を吸い込んだ。
目を開けた時、森の木々が並んだあたりで何か光った気がして、そちらの方に目をやると、前方からグラジオの焦った声が聞こえた。
「あっ、ムート、どうした!?」
その声にドキッとして身を縮ませた時には、もうベティが目の前に立って剣を構えていた。
鷹はグラジオの方には降りず、森の方――リナリアが光を見た方へ一直線に飛んでいく。鷹を追いかけようとした王子たちをソティスが留めて、鷹の世話をしていたユクスが追いかけに行った。
「ふう、こちらに来なくてよかった。森に小鳥でも見つけたんでしょうか……」
ディートリヒの声に振り返ると、彼もラビィを守るように手を広げて一歩前に出ていた。ラビィが目をぱちぱちさせてディートリヒを見つめている。
「ディートリヒ……」
「あっ、はい! すみません、驚かれましたか」
ディートリヒが焦ったようにラビィを振り返る。ラビィはきょとんとした顔をしていた。
「あなた、弱そうなのに、かっこいいところもあるのね」
「えっ、あ、ありがとうございます」
ディートリヒは照れて真っ赤になっていた。
「あれ、クロノさんっ!?」
ベティの声に再び前を見ると、クロノが一人で鷹が飛んで行った方に走っていた。
(クロノ? どうしたのです)
〈変な気配がする! やたら強い魔法素の塊……もしかすると、あっ〉
鷹が、森から戻ってくる。
その足にしっかりと掴まれていたのは、リナリアが夏に失くした帽子だった。