新しい護衛
朝食の席に向かおうと部屋から出ると、部屋の前に茶色の髪をポニーテールにした女性騎士と、グラッセン子爵が立っていた。騎士はリナリアの姿を見ると、敬礼をする。
「リナリア王女さま、おはようございます! 私、本日よりリナリア王女さまの専属護衛に任命されました、北方グラッセン子爵領出身の騎士、ベティーナ・フルースと申します! 学院の騎士コースを飛び級で卒業しました、17歳です。取り柄は元気で丈夫なことです。よろしくお願いいたします!」
はきはきとした元気な挨拶に続けて、グラッセン子爵が貴族の礼をする。
「リナリア王女様。陛下からの命で、早速本日より専属護衛騎士をお付けすることになりました。彼女はこう見えて優秀でして。小柄ゆえに少々非力ではありますが、その分素早く動けます。何かございましたら責任は私にございますので、何なりとおっしゃってください」
父がグラジオの護衛騎士とは異なり、学院を卒業したての騎士を選んだのは意外だったが、外に出ないリナリアは基本的に大きな危険は無いからだろうと理解した。以前だったら、第一王子と姫たちとで待遇に差をつけた、と考えたかもしれない。リナリアは二人に優雅に笑いかける。
「ありがとうございます。よろしくお願いいたしますね。ベティーナ……ベティとお呼びしても?」
「もちろんです!」
ベティーナはにこっと笑って、ばあやとクロノを見た。
「侍女さんたちですね。私、護衛の支障ない範囲でしたら雑用等のお手伝いもいたしますので、お気軽にお申し付けください」
ばあやがうんうんと頷く。
「よろしくお願いしますね、ベティ。では、早速。姫さまはこれからサハーラ帝国の皇子様、皇女様とお食事です。護衛としてお傍にお控えなさい。初仕事ですよ」
「はいっ!」
ベティが目を輝かせて、きびきびと礼をした。
〈すごいやる気じゃな〉
(はい。この若さで王族の専属に任命されるのは大変栄誉なことでしょうね。わたくしとしても少々若すぎるのではと心配になるくらいですが……お父さまやグラッセン子爵がご推薦なさるのでしたら、何か特別なことがあるのかもしれません)
ベティはにこにことリナリアにぴったりくっついて、一緒に朝食の間へ向かった。
本日の朝食の席でもサハーラの双子は、グラジオの両端を陣取っていた。
「あーあ、今日帰らないといけないなんてつまらないですぅー」
ラビィがグラジオの近くに椅子を寄せて、甘えた顔で上目遣いをする。グラジオは笑って、気軽な調子でラビィの頭を撫でた。多分、妹たちと同じ感覚なのだろう。
「またいつでも遊びに来いよ。遊んでやるから」
ラビィは猫のようにこてんとグラジオに頭をもたせかけた。が、グラジオは「こら。朝食終わるまでは姿勢良くしないと、腹痛くなるぞ」と言って真っ直ぐの姿勢に戻す。ラビィは口をとがらせて、リナリアの方を向いて肩をすくめてみせた。おそらく、恋のアピールを仕掛けたつもりなのだろう。
(そういう描写が何かの恋愛小説にあったような気がいたします。けれど、お兄さまに、積極的アピールはまだ早いですよね……妹としてはちょっと安心な気もいたしますけれど……)
もしバーミリオンも誰かにアピールされていたら嫌だわ、と思ったときに夢でヘレナが膝枕していたことを思い出し、ぶんぶん首を振る。ヘレナには、多分、他意は無いのだ。
クローブはクローブでグラジオに一生懸命話しかけている。特に今日は鷹を見たり訓練をしたりと、予定が詰まっているので楽しそうだった。
隣に座っていたヘレナが足をぶらぶらさせて、リナリアを見上げた。
「おねえさまぁ。おにいさま、ラビィさまたちとサハーラいかないよねえ」
どうやら、グラジオが二人に取られてしまわないか心配しているようだ。リナリアは不安げな顔をしているヘレナを撫でた。成長後のヘレナを脅威に感じていないといえば嘘になるけれど、こうしていると、まだまだ幼くてかわいい妹だ。
「大丈夫よ。明日はヘレナも遊んでもらいましょうね」
「……うんっ」
(ヘレナとお兄さまは、ウルのことを知ったらどんな反応をするのかしら。ヘレナは喜んでなつきそうな気もしますけれど、お兄さまは……)
兄を見て、夢を思い出す。
『会ったことない兄貴がいるんなら、どんなやつか見てみたいだろ』
そう言っていた兄からは少なくともマイナスの感情はなかったように思われる。兄がリナリアたちに腹違いの兄の存在を教えなかったのは、きっと無用な心配をかけないためだったのだろう。でも、もし最初からちゃんと紹介されれば……。
リナリアの視線に気づいたグラジオは、ぼうっとしている人にするときのように手を振った。リナリアはクスッと笑って手を振り返す。
「なんだ、ちゃんと見てたんだ。そういえばリナ、今日森行く?」
「森? ですか?」
首を傾げる。グラジオがニカッと笑った。
「鷹を放すのに広い所の方が良いだろ? 昨日父上と交渉したら、花畑みたいな開けたところで、騎士がいる場所から出なければ遊びに行ってもいいって。もしリナたちが行きたいって言ったら、鷹を飛ばしている間は馬車の窓から見てるだけなら連れてっても良いって。ディルも城に一泊させたから、呼んである」
それでグラッセン子爵がいたのかと納得した。
「まあ。許可が降りたのですか」
「……今年は座学の勉強を抜け出さない約束をさせられたけどな」
クローブがデザートのフルーツを食べながら、そわそわとグラジオを覗き見る。
「お前のムートはきっと、強く飛べるぞ。ちょっとした鳥ならすぐ捕まえる」
「ラビィも行きたいですっ、ねっ、リナリアも来るでしょう?」
ラビィがきらきらした目でこちらを見るので、リナリアはちょっと迷った。ラビィと一緒にいたい気持ちはあるけれど、あのときまともに襲われて以来あの鷹をしっかり見ていないから、怖がらずにいられるか不安だった。
と、壁際に待機していたベティがススッと近づいてきたことに気がつく。
「ベティ、どうしたの?」
「はい! リナリア王女さま。私がきっちりお守りいたしますので、森であれば全然ご心配には及びませんよ。私、学院時代もときどき狩りに行きましたから、土地勘もばっちりです」
じっと顔を見ると、ベティはちょっとわくわくしているらしかった。もしかすると、自分の腕の見せ所、と思っているのかもしれない。ばあやがコホン、と軽く咳ばらいをする。
「危険からお守りすることでなく、危険にお近づきにならないようにするのもまた護衛のお仕事ですよ、ベティ。姫さま、お好きになさって構わないですからね」
「あっ、は、はい。承知しております。もしご心配ならと思い、お声がけさせていただいただけですのでッ」
ぴっと敬礼して、ベティがササッと下がる。リナリアは、クロノの方もちらりと見た。クロノは一度目を合わせてから、つんと視線を逸らす。
〈森は質の良い魔法素が多いからのう。われは一人でもたまに行くが、お前も探知の練習になるかもしれん〉
「……じゃあ、わたくしもご一緒しようかしら」
控えめに微笑むと、隣のヘレナが椅子から立ち上がる。
「ヘレナもごいっしょするぅ! とりさんみるの!」
「そういえば、ヘレナはムート見たことないもんなー。ヘレナ用の騎士も用意できれば大丈夫かな」
グラジオがちらっとソティスを見る。ソティスはしばらく気づかないふりをしていたが、グラジオがずいずいと近づいてくるので、観念したようにため息をついた。
「……今日従事する騎士を一人増やせるか、隊長に確認してみます」
「ありがと、ソティス! じゃ、みんなそろそろ食べ終わるだろ? 早速用意しよう! クローブ、どっちが先に外出準備できるか競争だぞ」
「競争する! 絶対オレの方が早いんだからな!」
クローブが慌ててデザートをかきこんで、廊下に走っていった。グラジオもそれを追って走り出す。残されたラビィは、ふうと息を吐いた。
「もう、兄さまもグラジオさまもまだまだお子さまよね。リナリア、いっしょに行ってくれてうれしいわ。さすがの私でも、ひとりで馬車の中はさびしいもの」
「そうですね。馬車でお菓子を食べましょうか。ヘレナはお絵描きをするといいかもしれないわね」
ヘレナにそう言って微笑むと、ヘレナは顔を輝かせる。
「ヘレナ、おえかきする! あのねえ、おたんじょうびにリオンさまにおえかきのもらったの! つかうの!」
「あら、もしかしてヘレナもバーミリオン様が好きなのぉ?」
ラビィが楽しげに目を細める。ヘレナはすぐ肯定するかと思いきや、意外にもきょとんとした顔をした後で、「うーん」と考えていた。
「ヘレナはすきだけどねえ、リオンさまはヘレナおすきじゃないかもしれないの」
「まあ、そんなことないでしょう。あのバーミリオン様が」
ねえ、とラビィがリナリアを見るので、リナリアも頷いた。
「……ええ、そんなことないと思うわ。バーミリオンさまは、ヘレナのことお好き、なのよ」
つい、「バーミリオンさま」と口をついて言ってしまったことに自分で驚く。ヘレナはあまり納得がいっていないようすで首をかしげていた。
「でも、リオンさま、おねえさまとはあそぶけど、ヘレナとはあそんでくださらなかったもの。リオンさまは、きっと、おねえさまがおすきなの」
「あら~」
ラビィがにまにまとリナリアの方を見る。ヘレナが言っているのは、多分ヘレナの誕生日のとき、バーミリオンがなぜか涙を流して帰ってしまったときのことだろう。そういえば、あのこともずっと不思議だったけれど――。
黒い夢のバーミリオンは、今のバーミリオンを通してこの世界を見ている。
彼から見たときに、あのヘレナとのちょっとした遊びに何か思うところがあり……それが今のバーミリオンに影響を与えたのではないだろうかと思えてしまった。
(もしかして……共通の記憶でつながった部分が感情に影響を……? リオン様の「夢」に見る内容も、黒い夢のバーミリオン様の影響で順番や内容が変わることもあったりするのかしら……)
「あれ? リナリア、うれしくないの? バーミリオン様は、リナリアのことがお好きなのよ?」
怪訝そうなラビィの声で顔を上げる。
「あっ、えっ、と、そうだったら、良いんですけど……」
「やだぁ、昨日だってリナリアと遊びたいって言ってらしたじゃない! もっと自信持たないと、アルカディールのご令嬢たちに取られちゃうわよっ」
ラビィがリナリアの手をとってぶんぶん振る。ヘレナは不思議そうに二人を見ていた。
「リオンさま、とられちゃうの?」
「そぉよぉ、好きな人はちゃんと捕まえておかないと、どっか行っちゃうのよーって、ラビィの姉さまたちが言ってたわ」
「じゃあ、ヘレナ、おねえさまとラビィさまつかまえるっ」
ヘレナが二人の真ん中に割り込んできて、くいっと服の端をにぎって笑った。それがとてもかわいらしくて、リナリアはヘレナの手を取ってつなぐ。ラビィもまた「かわいい~」と言ってヘレナの手を握った。
「ねえねえ、じゃあヘレナのお部屋にいって、みんなで支度しましょ。多分一番お荷物が多いのはヘレナでしょう? 私たちは、侍女に着替えを持ってきてもらいましょう」
「そうですね。せっかくですから……一緒に支度しましょうか」
「わあ! みんなでごじゅんびするのね! たのしそう!」
ヘレナがはしゃいでぴょんぴょんと跳ねた。少しの懸念はあるけれど、今すぐ悪いことがあるわけではない、とリナリアは自分に言い聞かせる。
(まずは今に集中しなくては。朝クロノが見せてくれたように、リオン様がわたくしのことを大事に思ってくださっているのは確かですし……うん。後ろ向きにはならないように、ならないように)
まずは目の前で起こる新しいことに集中しなくては、とひそかに気合を入れ直し、ヘレナを心から可愛がれるよう、つないだこの手のぬくもりを忘れないようにしようと思った。