夢 〜4〜
◆ ◇ ◆
目の前に、お兄様がいらっしゃいました。
場所は……神殿の井戸が見える木の下です。ちょうど、お兄様がウルのペンダントを探していた場所のような気がします。
『護衛をまいてこんなところに連れてきて……さっきから何を待っているんだ』
少しイライラした調子のバーミリオン様の声がしました。まだ少し幼さの残る、けれど今よりも低いバーミリオン様の声。お兄様が『しっ』と人差し指をたて、こちらに目配せします。
ああ、これはバーミリオン様の夢で……わたくしにも音が聞こえるようになったのですね。
『……実は、父上に隠し子がいるらしい』
バーミリオン様は絶句なさっていたようです。
『……そういう冗談はやめろ』
『冗談じゃないんだ。母上が調べたらしい。最近やけに口うるさいと思って、こっちも探ってみたら資料を見つけてさ……俺より4つ上だったかな。もう成人して、神官になっているそうだ。男だから、母上は王位争いに絡んで来るんじゃないか気が気じゃないらしい。父上に直談判すればいいのにな。カリカリしてる割には、肝心なところで気が弱いんだよ。俺は知らないことになってるから動けないし』
ウルのことです。この前の夢でも見たように、以前のウルは大人になったら検閲官ではなく、神官になっていたのでしょうか。
『……そんな最重要機密を隣国の王子に簡単に知らせるな』
『いいからいいから。でも妹たちには内緒だぞ』
そこへ、若い神官が数人井戸へ水を汲みに来ました。お兄様が『お』と言って井戸の方に体を向けます。バーミリオン様は、神官たちではなく、お兄様を変わらず見ていました。
『背が高くて髪が長いやつらしい。目の色が俺と一緒らしいけど、ここからじゃそこまでは分からないよな』
お兄様が背伸びするように井戸の方を見るのを眺め、バーミリオン様がため息をつきます。
『その男を見てどうするんだ? 王位継承権は譲らないと警告でもするのか』
『別にどうもしないけど』
『は?』
お兄様はバーミリオン様を振り返って、唇を尖らせました。
『見るだけだよ。会ったことない兄貴がいるんなら、どんなやつか見てみたいだろ』
『それなら私は要らんだろう』
呆れた口調で言うバーミリオン様に、お兄様が苦笑しました。
『言わなきゃわかんないか?』
場面が突然切り替わります。
ウルの姿が見たかったのですが、お兄様たちはあの後で見たのでしょうか。
バーミリオン様は、城の中庭を早足で歩いていました。
どこかで、女の子が泣いている声が聞こえます。
すすり泣く声が聞こえる方にだんだん近づいていくと、花のアーチの隣、植え込みの中にしゃがんで丸まっている女の子を見つけました。
ふわふわの栗色の髪にピンク色のワンピース。ヘレナです。これは……何歳くらいかしら。今より成長して……でもまだ幼さが残る顔立ちをしています。ヘレナの周りには、陽炎のような揺らぎが見えました。
『ヘレナ、泣くな。魔力が暴走している。気持ちが昂ると暴走が暴走を呼んで悪化するぞ』
少し厳しいけれど、相手を落ち着かせるような冷静な声。
ヘレナが魔力暴走をよく起こしていたのは、確か学院に入る年齢くらい……ですから、12歳前後、つまりバーミリオン様は15歳前後でしょうか……。
ヘレナが涙でいっぱいの顔を上げました。鼻の頭も赤くなって、我慢しようと唇を引き結んでも、やっぱり泣いてしまいます。
バーミリオン様はご自分の手のひらを見つめて、ぎゅっと握りました。
『手を出せ』
ヘレナは『でも……』と躊躇いますが、バーミリオンさまはヘレナの前に手を差し出します。
『良いから! 早くしろ』
強い調子で言われて、ヘレナはびくりとしておずおずと手を出しました。バーミリオン様は、すぐに力強くヘレナの手を握ります。するとだんだんヘレナの周りの陽炎が落ち着いて来ました。
きっとあの陽炎はヘレナの暴走して漏れ出た魔力なのでしょう。わたくしの時とは違って片手で、握手をするような繋ぎ方ですが、おそらく、バーミリオン様はヘレナに魔力を送って、ヘレナの魔力暴走が収まってきたのだと思われます。
しかし、ヘレナの魔力が収まっていくにつれて、バーミリオン様の視界がぐらついて、狭まって――。
『リオン様!』
ヘレナの焦った声がして、とうとう視界が閉ざされてしまいました。
次に見えたのは、空と、こちらを覗くヘレナの顔でした。
あっ、この眺めは……。状況を察してしまいました。
『あ、リオン様! 気がつかれたのですね』
ホッとしたヘレナの顔。
そう、これは……ヘレナがバーミリオン様に膝枕をしています……。
バーミリオン様がしばらく黙っていたのは、固まっていらしたのでしょうか。それとも魔力の関係なのでしょうか。
『……なんだこれは』
バーミリオン様が体を起こします。ヘレナは無邪気に微笑んで小首を傾げました。
『膝枕ですよ。小さいとき、お母さまにしていただいて気持ちがよかったのを思い出したので。この辺りは枕になるようなものもございませんでしたし……あの、人を呼ぶか迷ったのですが、リオン様がとても気持ちよさそうに眠ってらしたので、しばらく私のお膝を……』
なんて大胆なのでしょうか、あの子は……。
『……王女としては少々慎みに欠けるのではないか?』
『あっ……そ、そうですね。ごめんなさい。軽率だったかもしれません」
バーミリオン様はため息をついて、ヘレナの隣に座り直しました。
『お前の潜在的な魔力は、周囲を眠らせる効果があるらしいな。夢を見ずに眠ったのは、初めてかもしれない』
『そうなのですか? 毎日夢を見るのは楽しそうですけれど、少し疲れてしまいそうですね』
『ああ……疲れる』
それからしばらく二人の間に沈黙が流れます。先にその沈黙を破ったのは、意外にもバーミリオン様でした。
『いつものように、あれこれ聞いてこないのか』
ヘレナはきょとんとした顔をしてから、可愛らしくくすくすと笑います。先ほどまで泣いていたのも嘘のように、すっかり落ち着いたようです。
『リオン様、いつも困った顔をなさるのに。ご迷惑ではなかったのですか?』
『……別に……いつもと違うと落ち着かないというだけだ。本当は気になるだろう。先ほど私が何をしたのか』
ヘレナは、ゆっくりと頷きます。バーミリオン様は自分の手のひらを見つめます。
『……私は光属性魔力を持っている。お前の魔力は闇属性だから、暴走した魔力を落ち着かせるために、私の魔力を送った。手を繋いだのは、手から送るのが最もやりやすいからだ』
『それで、体の中からあふれてくるふわふわしたのが止まったのですね……ありがとうございます。あの、でも大丈夫だったのですか? リオン様、その後でお倒れ……お眠りに……』
バーミリオン様が髪をかき上げます。ああ、ヘレナの視点から拝見したかったです……。
『反対属性だから多少は耐性があったようだが、お前の魔力が通常よりも強いので、防ぎ切れなかったらしい。魔力を送るには必然的に近寄る必要があるから……仕方ないことだ』
『ごめんなさい……』
ヘレナがしゅんとうつむきます。
『今日が初めてじゃないんです。お城の、侍女や衛兵さん、護衛の騎士さまたちまで眠らせてしまうのです。みな、私を怖がります……。いつ、どうしてこんなふうになってしまったのか、分からなくて……。第二王女は悪魔の子だって、言われているのを聞きました……リオン様にも、ご迷惑を……』
バーミリオン様が、ヘレナの手に、ご自分の手を重ねました。
『……悪魔の子、なんかじゃない。魔力を持つ人間なら、誰にでも起こりうることだ。レガリアでは、その知識がないだけだ。いたずらに悪いものだと信じられているが、そんなことはない。今日のように、適切な対処をすれば収まる』
『リオン様……ありがとうございます』
バーミリオン様の目に映るヘレナの笑顔は、きれいでした。
『……私が、留学している間なら、内密に魔力のコントロールを教えてやる』
『本当ですか!?』
ヘレナがぱっと明るく笑います。本当に花が咲いたようです。
『あ……でも、私、リオン様にお礼できることが……どうしましょう。私に用意できそうなもので、何か欲しいものや必要なものはございませんか?』
『別に……知識がある者として当然のことで……』
『そんなわけにはいきません! 物でなくても、私にできることなら何でもおっしゃってください!』
バーミリオン様の手の上からさらに自分の手を重ねて、ヘレナは身を乗り出します。バーミリオン様は少しだけ身を離して……目を逸らします。
『……なら、訓練の後、お前の魔力で私を眠らせてくれ。場所はどこでも構わない』
ヘレナはきょとんとした顔で、目をぱちぱちさせました。
『お眠りに……なりたいのですか? みんな嫌がりますのに』
『お前の魔力で眠ると、夢を見ないかもしれない。夢を見ずに眠ると、普段より疲れが取れるような気がする』
ヘレナがくすっと笑って、小鳥のように可愛らしく首をこてんと傾けました。
『不思議なお願いごとですね。でも、私の力がお役に立てるなら。膝枕もおつけいたしますよ!』
『それはいい……』
バーミリオン様はひら、と振った片手をそのまま口元に。ヘレナが『あ』と言ってますます近づいたので、バーミリオン様が後ろに退がります。
『……なんだ!』
『今、笑ってました?』
『笑ってない』
『なんだか、とても久しぶりですね。初めてお会いしたときみたい』
そう言って笑うヘレナの顔はとても無邪気で、今のヘレナとそっくりでした。そしてその笑顔が……バーミリオン様には、とても、輝いて見えていることがわかりました。
わかりたくないのに、わかってしまう。
バーミリオン様とわたくしは、きっと似ているから。
似ているから……。
もう小さな子どもではない彼が、ヘレナのことを、好きなのだと……。
バーミリオン様は、ヘレナと一緒にいるのを嬉しいと思っている。心の動きまでは感じられなくたって、わかります。
バーミリオン様の視点から見るヘレナは輝いていて、可愛くて……何より、あのバーミリオン様が、ご自分から、話しかけたり、会うきっかけを作ったりしているのです。
あの、バーミリオン様が……。
これはきっとバーミリオン様の昔の記憶で、予知夢ではない、と思いたいです。
それでも――好きな人の好きな人のことを知るのは、やっぱり苦しいことですね。
◆ ◇ ◆