対面
侍従頭についていくと、図書館の近くで父が待ち構えていて合流するや否やリナリアをひょいと抱き上げた。
「ドレスは思ったより目立つな。着替えてからでもよかったか……まあ良い。学舎の付近は足元が悪いからこのまま私が抱いて歩こう。お前の部屋の下見……という名目だ。あの子が目を覚ましたらしい」
リナリアはハッとしてこくりと頷き、父の首に手を回した。父が眉根を寄せて難しい顔をする。
「しかし……今日の皇子の発言には焦ったな。本当に今回はお断りを入れる予定だったから、お前に知らせるつもりもなかったのだが……」
クローブの「コンヤクシャ」発言のことだ。リナリアも眉を下げて首を傾げる。
「お父さま。わたくしの婚約を決めるのはいつ頃の予定なのですか? 貴族の方からも申し入れがあると以前から伺ったことがありましたが……」
「なんだ、気になるか。言った通り、まだお前には早いぞ。いくらお前が賢い娘でも、最低限学院に入る年齢でなければ……学院に入ってからも男女のやり取りが手間になるから私としてはあまり勧められんが……」
父は婚約をすると学院生活が手間になると言う。しかし、父は母と同じ時期に学院に通っていないからピンときていないのかもしれないが、母はまさに学院でその不自由を抱えていたはずだ。
「……お母さまがお父さま婚約なさったのは11歳のときですよね」
リナリアがボソッとつぶやくと、父は少しバツの悪そうな顔になった。
「……そうだな。では、必要があれば、その前後になろう」
「婚約相手の方は、自分で選べるのですか」
「お前が望まぬ相手に嫁がせるつもりはない。ただし、できるだけ……と言ったところで……実際は候補の中から選ぶことになるだろう。お前はレガリアの王女だから、その時の国の情勢によっては――いや、これはまだお前には難しい話だ。忘れろ」
望まぬ相手に嫁がせるつもりはない、と言った父の言葉を信じるならば、前の人生でリナリアよりずっと年下のサハーラの皇子を指定して嫁がせようとしていたのはどういうことなのだろうか。
(あの時お父さまがサハーラ帝国を指定されたのは、もしかしたら、サハーラとの間に何かあったのかしら)
当時の自分が表面的な勉強しかしていなかったことを悔やむ。
リナリアは父にバーミリオンと仲が良いことを言うか迷ったけれど、もしもアルカディールと婚姻を結ぶことが父の意向に沿わず、今のうちから変に距離を離されては困るので少し様子を見ることにした。まだ父を説得するには外堀を埋めきっていない気がする。
ここは話題を変えることにした。
「そういえば専属護衛の方というのは初めて聞きましたけれど……」
父は「ああ」と苦笑した。
「お前が年齢の割に色々なところをうろうろするからな。本来ならばもう数年先にするつもりだったが、少々予定が早まった。グラッセンの推薦で、女性騎士になる予定だ」
「そうですか……」
リナリアの縁かグラジオの縁か、王女付きの騎士の推薦権を得ているところを見ると、グラッセン子爵は慎み深そうに見えて、自領のことを売り込むのは意外と上手いのかもしれない。
(専属護衛がつくことで行動範囲やできることが狭まらないと良いのですが……)
ちらとクロノを見ると、ふんと顎を反らせる。
〈何、われがおればなんとでもなる〉
(さすがクロックノック様! 頼もしいです!)
久しぶりに本当の名前で呼ぶと、クロノがますます胸を張って可愛らしかった。
父の足だと、学舎まであっという間だ。今日は入り口にアーキルが立っていた。父とリナリアを見て深々と礼をする。
「足をお運びいただきありがとうございます、陛下。そしてリナリア王女殿下、本日はお誕生日おめでとうございます」
アーキルに王女扱いをされるのは何だかくすぐったくて、むずむずした。
「ありがとうございます、アーキル先生」
「うむ。では早速案内を頼む」
「は。今朝サイラスから報告を上げました通り、目を覚ましてから、ずっと心ここにあらずといった様子でございます。食事は介助をしてなんとか取らせております。リナリア王女殿下のお顔を見れば反応があるかもしれません。後ほど、彼の学友も改めて呼び寄せようかと」
目を覚ましたとはいえ、あまり状況は良くないようだ。
(魔力暴走と、あの魔法陣の魔法はそんなにも相性が良くなかったのでしょうか)
〈術者が半端もんだと魔法の完成度が悪く、ウルが潜在的に持っていた魔力量に耐え切れんかったのかもしれん。例えば、聖誕祭の際に一度危うくなったのを持ち直したが、今回のことで完全にヒビが入ったといったところか。創作魔法によっては副作用で……なんでもない〉
クロノが言いかけたことはひどく不吉な予感がして、リナリアはイヤな感じに胸がうずいた。
(どうか、ウルの不調は一時的なもので、早く回復しますように……)
ウルの寝かされていた部屋に到着する。父におろしてもらって中に入ってすぐ、リナリアは口を両手で覆った。ベッドの上に座ったウルの髪が真っ白になっていたのだ。昨日の夢に見た大人のウルのことを否応なく思い出す。
ウルはぼうっと手のひらの上のペンダントに視線を落としていたが、焦点が定まっているかはわからない。傍らにはシャロンがおり、父王の姿を見て立ち上がった。
「陛下。ようこそいらっしゃいました。今、ウルの宝物を握らせて語りかけていたところですわ」
「……あの子の髪はどうなっている」
リナリアと同じくショックを受けたらしい父が、少し動揺した声で尋ねる。後ろに控えていたアーキルが「それが……」と口を開いた。
「魔法を書き換えた副作用か、強いストレスのためか……現段階で理由は断定できませんが一晩で白くなってしまいました。念のため、陛下がいらっしゃるまではガリオ長官は近づけないようにしておりましたが、場合によっては尋問の許可をいただきたく」
「……場合によっては、検討しよう。長官ほど立場のあるものを拘束するとなると、十分な証拠は必要になると思うがな」
シャロンが少し身をかがめてリナリアに微笑みかけた。
「リナリア姫様、お可愛らしいドレスですこと。胸のルビーがよく映えますわね。お誕生日おめでとうございます」
「ありが……」
シャロンにお礼を言いかけて、リナリアは固まった。視界の端でウルがふっとこちらを向いたのだ。リナリアはウルに駆け寄る。
「ウル!」
リナリアを虚ろに見るウルの青い瞳は少し揺れていた。昨日の夢のように吸い込まれるような感じはない。ウルの口が小さく開く。
「……り、あ」
「はい。リアですよ。ウル」
ウルと初めて会ったときに名乗った仮の名前が懐かしく、リナリアは微笑んだ。
「元気になったら、また図書館で一緒に本を読みましょう、ウル。思えばお勉強のことばかりだったけれど……わたくし、ウルに、わたくしの好きな物語の本もお見せしたいわ」
少し躊躇ってから、リナリアはウルの手に自分の手を重ねた。魔力を送るのではなく、ただ触れるだけなら大丈夫なのではないかと思ったのだ。
ウルの手は驚くほど冷たい。闇の魔力の気配のためというよりは、血が通っていないような……不健康な冷たさだ。ずっと寝たきりだったから仕方ないのかもしれない。
「……リア……ぼく……」
まだ朦朧としているが、先ほどよりウルの目の焦点が少し合ってきた気がした。
父が、アーキルとシャロンの方を見る。
「すまぬが、少し外してくれるか。何かあれば呼ぶ」
「承知いたしました」
アーキルはリナリアとウルの様子を見て気が気ではなさそうだったけれど、シャロンに促されて部屋の外へ出ていく。それを見届けてから父がベッドに近づいてきたので、リナリアは一度体を引いて父に場所を譲った。
父は、片膝をついてウルをそっと抱きしめた。
「……こんなに弱りきってしまうまで、気がつかなくてすまなかった。ウル。お前の母は――リネと言うのだな?」
ウルのペンダントを持つ手がぴくりと動く。父が体を離して、ウルの手のひらに置かれたペンダントの上に自分の手を重ねる。
「この柘榴石のような落ち着いた赤い髪の、優しい女性だった。私が訓練で破った服を、いつも丁寧に繕ってくれた。針仕事をしているときの楽しそうな横顔が、好きだった」
リナリアとしては複雑な心境だったけれど、黙って父の話を聞いていた。父の昔の恋、結ばれなかった人への恋心の切なさが、身に刺さる。
「まるで身分の差なんて無いかのようにリネと踊った祭りの夜は確かに幸せで、満たされた気持ちだったよ。そんなあの人が、あるとき突然、何も言わずに私の前からいなくなってしまった。さようならも言えず、理由もわからず……随分苦しい思いをした。けれどまさか、リネに子供がいたなんて……知らなかったのだ」
父が、愛おしげにウルの頬を撫でた。ウルの顔が、視線が、つっと父の顔を向く。
「ウル。私は、お前とたくさん話したい。お前が母と二人でいた頃の話も、お前が一人でいた頃の話も、城に来てからの話も、そうだ絵の話も――なんでも聞こう。リナリアの母も、理解してくれている。怖がらなくて良い。もう一人で苦しまなくて良いのだ」
父は、目を細めてからもう一度ウルを抱きしめた。ウルの背中と頭に手を回し、背中を優しくぽんぽんと叩く。
「家族になろう、ウル。お前は私の子だ。誰がなんと言おうとも。私にも声を聞かせておくれ、ウル……ウル」
その言葉に、ウルの目から頬へ涙が伝った。
「――お、とう、さ……」
ウルの声を聞いて、父がウルを抱く手にぎゅっと力を込める。
「そうだ。私は、お前の父だ。リネが……お前を私の元へ導いてくれたんだろう」
「ぼ、く……ぼくは……」
ただペンダントをのせられたままだったウルの手が、ぎゅっとペンダントを握りしめた。反対の手はゆっくりゆっくり父の背に回される。
リナリアは一歩下がって、クロノと手をつないだ。
〈なんじゃ、お前は行かんのか〉
(……今は邪魔したくありませんもの。本音を言えばちょっぴりだけ、さびしいですけど。でも、大丈夫です。だって、わたくし……今日、誕生日ですもの)
ニコッと笑ってクロノを見上げた。
(ウルが起きてくれた。今はそれで十分です)