パーティーの終わり
リナリアの要求に、父は「なるほど」と頷いた。
他貴族たちの反応としては去年ほど困惑されてはいないが、「検閲官」という単語に反応している者もいるのは雰囲気でわかった。
「確かに、現状では資料を部屋に運ばせるとしてもいちいち面倒ではあるか。そろそろ検閲官の訓練中も対応できる専用の護衛も選出しようと思っていたところであるし、その控え室も共に検討しよう」
「ありがとうございます、お父さま」
護衛の話は初耳だった。ついでに、以前ティナやヨナスが不便そうに話していた学寮前の石畳の整備もお願いしようと思っていたが、それは直接交渉することとする。
最後に父の閉会宣言をもって、リナリアの6歳の誕生日パーティーが終わった。
バーミリオンのお見送りをするために戻ろうとすると、ヨナスが「リナリアさまー」と駆け寄ってきた。
「リナリアさま。お手数ですが……後でティナが担当している検閲所のプレゼントを確認していただけるとありがたいです。僕たちのプレゼントもありますので」
「まあ。そうだったのですか?」
ヨナスはニッと笑う。
「本当は直接お渡ししたかったんですけど、当日お渡しするとなると貴族の慣例としてそうもいきませんからね。一つは同期全員から。もう一つは、僕ら三人からです。庭園にお邪魔する前にウルとティナと僕で用意したんですよ」
ウルの名前を聞いて、今朝のサイラスのことを思い出す。あれはどういう知らせだったのだろう。
「……ありがとうございます、ヨナス。しっかり確認させていただきますね」
「それにしても、学舎に専用のお部屋なんてかっこいいですね! 先生みたいだ。図々しいことは百も承知なんですけど、お友達っていうのは……」
両手をあわせてそわそわするヨナスに、クスッと笑う。
「もちろん、ヨナスも使えるようにしますよ。外だとどうしても周囲の目も気になりますし、気兼ねなくお話したりお勉強したりできる部屋が欲しかったんです。わたくしの部屋は遠いですし……色々準備しないと行けないのが手間ですからね」
「やったー! ウルもティナも喜ぶと思います。ウル、早く目が覚めると良いんですけど……」
少し二人でしゅんとしたところに、後ろから「ヨナスー」という声が聞こえる。振り向くと、ダンスの時に見た若い紳士とステッキを持った壮年の紳士、眼鏡の少年がこちらに歩いてきていた。ヨナスがぴょんと跳ねて手を振る。
「あっ、リナリアさま。あのヒゲが僕の兄のクラウス・ダリアード、ステッキを持ってるのが父で当主のヘルマン・ダリアード。メガネの方が学院寮にいる僕の親友のジェシー・ランスドールです。うちの領地とランスドール男爵領とは距離が近いので、幼なじみなんです」
ヨナスに紹介された三人はうやうやしく礼をした。顔を上げたダリアード男爵が、ヨナスそっくりの満面の笑みでぱっと笑った。
「リナリア王女殿下! この度は我が家の次男坊まで招待をいただき、誠に光栄の極みでございます! 我が領地は王女殿下がお好みになりそうな特産品は取り立ててございませんが、人材と資産は豊富な方だと自負しておりますので、何かございましたら――」
「失礼」
挨拶中のダリアード男爵が、後ろから来た誰かに押しのけられる。驚いて見上げると、そこには音楽隊の指揮者――ムジーク伯爵が立っていた。後ろにリナリアと同じくらいの身長の少年が内気そうな表情で控えている。
ムジーク伯爵はにんまりと目を細め、腰をかがめてリナリアに礼をした。
「ご挨拶が送れましたが、本日はお誕生日おめでとうございます。リナリア王女。未熟な我が孫も取り立てていただきありがとうございました。リナリア王女のお眼鏡に適ったのは何よりでございます」
リナリアは頬に手を当てて困惑した顔を作った。
「ムジーク伯爵。わたくしは今ダリアード男爵とお話ししていたのですが、急用でもないのに押し退けるのは礼をお欠きになっているのではないでしょうか」
リナリアの言葉に、ムジーク伯爵は眉根を寄せ、ダリアード家とジェシーは目を丸くした。ムジーク伯爵はフンと鼻で笑う。
「これはこれは……リナリア王女、この機にお教えして差し上げましょう。男爵家よりも伯爵家の方が家格が上なのですよ。そして二つの間には子爵家がおります。社交界にお顔を出されるにあたっては貴族の爵位はお早めに覚えておいた方がよろしいかと」
リナリアまでも小馬鹿にするようなムジーク伯爵の態度に、フリッツが育った土壌を察した。リナリアはにこっと子供らしく笑ってみせる。
「はい、ご教授ありがとうございます。わたくしが習った通りでしたら、確かその上には公爵家と侯爵家がございますから、伯爵家は『三番目』ですね」
三番目を強調して言うと、ムジーク伯爵はひくっと口元を引き攣らせ、取り繕った笑顔を浮かべた。
「その通りでございます。しかし、もう一つ。当家は先祖代々宮中の音楽を取り仕切っているムジーク家なれば、伯爵とはいえ特別な家柄でございまして、そちらの成金男爵とは家格が異なります」
なんとなく既視感を覚えるやりとりになっている気がして内心で苦笑する。流石にフリッツに言ったようなこと――いたずらに王家の権威を見せつけるつもりはなかったけれど、リナリアはできるだけ優雅に微笑んで見せた。
「そうお急ぎにならなくとも、わたくしはきちんと順番にお話いたしますわ、ムジーク伯爵」
ムジーク伯爵は不愉快そうに咳払いをして、後ろにいた少年をずいっと前に出した。
「リナリア王女、こちらがあなた様と同じ年の我が家の跡取りブルーノです。次からはこの子をご指名いただければ、あのような常識外れの演奏はいたしません。きちんと格式に則った演奏をお捧げいたします」
それまで後でもじもじしていたブルーノは突然前に出され、泣きそうな顔をしてリナリアを見た。リナリアはじっとブルーノを観察する。リナリアの記憶にある、学院の同級生のブルーノ・ムジークは物静かで、おとなしく真面目な少年だった。今の彼にも、その面影はある。
リナリアは優雅に礼をしてにこっとブルーノに笑いかける。少なくとも、この少年に罪はない。
「ごきげんよう、ブルーノさま。同じ年なのですね。お目にかかれて嬉しいですわ。機会があったら演奏をお聞かせくださいませね」
ブルーノはぽっと顔を赤らめてまた祖父の後ろに隠れようとした。ムジーク男爵はしわを深めて取り繕うように笑う。
「申し訳ございません。リナリア王女殿下のご威光にあてられてしまったようです」
「ハハ、リナリアさまのご威光ですかァ。幼い王女様相手にそんな様子でブルーノは社交界で演奏などできますか? お祖父様ァ」
聞こえてきた声に振り返ると、フリッツがバイオリン片手に不敵に笑っていた。
「フリッツ! 貴様今日の演奏のことをなぜ当家に知らせなかった!!」
「もみ消されたら嫌だったんですよ。あの時間はおれがおれのために手に入れた時間ですから。おかげさまで、グラジオ王子殿下にもお褒めの言葉をいただきましたので、次は王子殿下のお誕生日用に作曲をしなくてはいけません」
「そのような伝統に反した曲捧げが許されると!? ムジーク家の家名に泥を塗るような──」
フリッツがバイオリンを肩に担いだ。
「そのムジーク家から追い出しておいてよくおっしゃいますね。都合のいいときだけ家名の端っこに列するの、やめてくれませんか? おれは苗字がたまたまムジークなだけの音楽家になります」
不穏な空気とムジーク伯爵の大声に、帰りかけの貴族たちも足を止めてこちらを見ていた。自然、リナリアにも注目が集まる形になってしまって少し気まずい。
「あまり生意気を言うと、勘当するぞ!! 貴様など、ムジークの名がなければ演奏もさせてもらえないただの小童のくせに──!!」
「ご随意にどうぞ。おれはムジーク家ではなく、ただのフリッツ・ムジークとして王女の推薦を受けました。王子の誕生日に演奏の機会をさせていただけることになったのはおれの実力ですし? 検閲官だって、平民でもなれますから。学寮に引っ越せばいいだけです」
フリッツの言葉にヨナスが口をあんぐりと開けた。リナリアも、売り言葉に買い言葉とはいえ、あれほど貴族として家格にこだわっていたフリッツが、まるで平民になっても良いかのような発言をしていることに驚きを隠せない。
フリッツがバイオリンの弦でヨナスを指した。
「そこの男爵令息なんか、好きこのんで学寮に住んでますしね」
「えっ!? ええまあ、楽しいですしね!? 学寮生活」
唐突に話を振られたヨナスがやけくそ気味にウインクする。
リナリアも頷いた。
「……確かにその通りです。わたくしはムジーク家のご令息宛ではなく、フリッツ個人に音楽を所望致しました。もしフリッツがムジーク家でなくなったとしても、お兄さまのパーティーで演奏いただくことに変わりはないでしょう」
ムジーク伯爵は顔を真っ赤にしてフリッツを睨みつけた。
「後悔するなよフリッツ! 行くぞブルーノ」
ブルーノは機嫌の悪い祖父にびくっと怯えながら、リナリアにぺこりと頭を下げ、フリッツを見た。フリッツは「シッシッ」と弟を払うような動作をして、リナリアの方を見る。
「名ばかり伯爵の耄碌爺がお騒がせして申し訳ないですね」
その言い草に男爵家一同が「うわ」という顔をした。リナリアは困った顔を作って首を傾げておく。その祖父とフリッツは似ている、なんて言ったらまた嫌われてしまいそうだ。
「次回へのご招待をするのはお兄さまに先を越されてしまいましたが、実際素晴らしい演奏でしたよ、フリッツ。次も楽しみにしています」
「いいえ。当然のことです。そういえば、同期からのプレゼントにおれは参加していませんが、個人的に楽譜をお贈りしましたので。ピアノの練習にご使用くださいね。では失礼します」
それだけ言うと、さっさとどこかへ行ってしまった。ひそひそと噂し合う声が聞こえる中、ダリアード男爵が汗を拭きながら苦笑する。
「いやー、嵐のような時間でしたね」
「申し訳ありません。ダリアード男爵とお話していたのに……」
ダリアード一家が全員でぶんぶんと手を振った。その仕草がほとんど一致していたので、リナリアは思わず「ふふっ」と笑ってしまった。ジェシーも笑いを堪えているように見える。
「全然、全く、お気になさらないでください!! 当家は比較的新しく爵位をいただいた家なので、こういったやりとりには慣れております。な! ヨナス」
「フォローになってるのかはわかりませんけどその通りです! 伝統的な貴族からはちょっと嫌われがちですが、家族仲良く楽しくやってます!」
「ご家族の仲がよろしいのは、とても良いことですね」
話しながらそろそろバーミリオンのことが気になって、先ほど別れたあたりを見ようとしたとき、父付きの侍従頭が「リナリアさま」と声をかけにきた。
「陛下がお呼びです。ご案内しますので私についていらしてください」
(もしかしたらウルのことかしら……リオンさまにお声がけできないのは気になるけれど、緊急かもしれないし……)
迷った末、バーミリオンには「お父さまに呼ばれたので、すぐに戻れずに申し訳ありません」とばあやに伝言を頼み、侍従頭についていくことにした。クロノには万が一のときのためにそばにいてもらった方がいいだろう。
会場を出る前にちらと振り返ると、ヘレナと手を繋いだまま、こちらをじっと見つめる母がいた。リナリアが手を振ると、母も小さく手を振り返してくれる。
勇気をもらうために胸元のブローチを握った。去年の誕生日、ばあやに言ってもらったことを思い出す。
(今日はわたくしの誕生日だもの。すべてうまくいくに決まっているわ)