わがまま姫の大事なこと
クローブの衝撃発言に呆気に取られて、リナリアは完全に固まっていた。
さも当然といった顔で得意げにしているクローブを見つめている間に周囲の貴族たちのどよめきが広がった。
「まさか、リナリア王女とサハーラの第二皇子が婚約?」
「遠国だが、強国であるし悪くないのではないか」
「しかし第二皇子というのは……皇妃にはなれない立場じゃないか? あの国の皇族は一夫多妻だったような……」
困惑して、つい助けを求めるようにバーミリオンの方を見てしまった。バーミリオンは、眉間を寄せて悔しそうな顔をしているように見えた。
そこへラビィが群衆をかき分けて近づいてきた。
「もー、兄さまったら! それはまだ申し込みだけで決まってないのよー」
両手を腰に当てて、ぷんとするラビィに、クローブは「えー?」と首を傾げる。
「でも、皇帝からのお願いだぞ。断らないだろ普通」
その不遜な物言いに貴族たちは声をひそめてささやき合う。もはやセカンドダンスを踊る雰囲気ではなくなってしまっている。
「静粛に!」
父王の声が広間に響き、シンとする。父はオホン、と咳払いをして話し始めた。
「……お騒がせして申し訳ない。確かに、サハーラ帝国からリナリアへクローブ皇子との婚約を提案する手紙を貰い受けた」
再びざわめきが広がり、リナリアもまた衝撃を受ける。昨日クローブが渡していた手紙はその話だったのだろうか。
「しかし、見ての通り娘はまだ幼い。今すぐに決めることはできないという旨の返答をする予定で進めていた。また、婚約の申し入れや提案は国内の貴族や他国からも届いており、サハーラ帝国だけが特別というわけではないということもご承知おき願いたい」
父の言葉にホッとする一方で、バーミリオンとの婚約も遠くなった気がして少し残念な気もした。父の話が一段落してから、グラジオが来てリナリアの手を掴んでいるクローブを見て「こら!」と言った。
「乱暴しちゃダメって言われてるだろ。それも乱暴だぞ」
「えー、こっちの方は色々うるさいんだな……リナリア、早くコンヤクシャになってサハーラに来いよ。いっぱい遊んでやるぞ」
クローブはグラジオに言われてようやく手を離した。子供の力とはいえ加減なしに掴まれていたから、少し赤くなっている。
父から否定の言葉があったのと、クローブから解放されたことには安心していたけれど、すぐに周囲からの突き刺さるような視線を感じた。リナリア自身がどう出るのか観察されている。バーミリオンと仲が良いのは明らかだが、彼はまさに今日まで母の喪中だ。具体的な婚約話が進んでいないことは誰もが知っている。第二皇子と言ってもサハーラ帝国が強大な国であることは間違いなく、婚約先としては問題がない。そしてクローブとは年も近い。アルカディールは魔法についての価値観が反対の国で、長らく王族同士の婚姻は行われていないという実情から見ても、貴族たちの興味はサハーラ帝国の方にあるのではないかと思われた。
「わ……わたくしは……」
リナリアの返事を待っているクローブを見てから、ぎゅっと目をつぶった。
(以前だったら何も言えずに頷いてしまっていただろうけれど……でも、国と国のことに関係しているし、もしかしたらリオンさまにご迷惑をかけてしまうかも……)
そろ、と目を開けてバーミリオンをちらりと見ると、不安げな顔でこちらを見つめていた彼と目が合った。
ダンスの前に、彼に告げた言葉を思い出す。
(……大丈夫。怒られたって構わないわ。だってわたくしは「良い子」じゃなくて、「わがまま姫」なんだから。今いちばん大事なのは、リオンさまを傷つけないこと)
動揺してもじもじしていたのが自分でも驚くほど急に覚悟が決まり、すうっと息を吸って胸元のルビーのブローチをぎゅっと握った。
「リナのいちばんは、リオンさまです。次のダンスもリオンさまと踊ります」
今言えるのはこれが限界だけれど、リナリア自身はバーミリオンのことが大切だと伝われば構わない。少し涙目になりながらバーミリオンの方を見ると、彼はハッとした様子でリナリアに駆け寄ってきた。クローブは面白くなさそうに口を尖らせる。
「えー、なんでだよ。リナリアと踊るためにせっかく練習してきたのにー」
「あーあ、兄さまフラれちゃった。しょうがないからラビィとおどりましょうよ」
「やだよ、王宮でもさんざん踊ったのに……」
ダンスのことで揉めているサハーラの双子に、貴族たちが自身の子供たちを連れて近づいていく。二人にダンスを申し込んで縁を作ろうとしているのかもしれない。
改めてバーミリオンの顔を見つめると、彼は少し顔を赤らめて微笑んだ。
「その、私を選んでくれてありがとう、リナ」
「こちらこそ……ダンスをお誘いいただいて、ありがとうございます」
もう周囲のざわめきも、噂話も耳に入らない。強制的に流れを作るように演奏が始まったセカンドダンスの音楽がありがたかった。ファーストダンスと同じように、バーミリオンの手をとって音楽にのせて体を動かす。
ダンスが始まったら、二人の世界だった。
音楽は二人のため、この広間さえも二人のための空間に思える。ある種の現実逃避でバーミリオンのことしか考えたくなかったからかもしれないけれど。そうだとしても、リナリアはこの奇跡のような時間に縋っていたかった。
(「修正力」になんて、負けない……)
サハーラからの婚約話は未来からの追手のようで、不安はある。今日のことだって、貴族たちの噂の種になってしまうだろう。けれどリナリアができること、すべきことはわかっている。
(わたくしは、バーミリオンさまを幸せにしたい。だから、バーミリオンさまのことを、うんと大切にするの。そして、この人の隣にいても大丈夫だと思えるように、自分のことも大切にするの)
この一年で、リナリアは変わったと思う。
もし以前のリナリアのままだったら、手を取って踊るなんて恐れ多すぎて、遠くからバーミリオンが誰かと踊るところを見られるだけで満足していたし、自らそうすることを選択していただろう。でも、今はこうして彼の隣で手を取って踊れる。一度目のダンスはリナリアから、二度目のダンスはバーミリオンから。お互いにお互いを求めたのだ。バーミリオンと目が合う。微笑んでくれる彼と、支えてくれる手のぬくもりは、シャロンの授業で想像した幸せな未来に現実味を与えてくれる。
今度もまた、楽しい時間はすぐに終わる。曲が終わって、二人は互いに礼をする。一曲目よりも互いに少し力が入っていたからか、二人とも先ほどより息が切れていて、顔を見合わせて笑った。
舞踏会であればまだダンスの時間は続くけれど、今日のダンスはこれで終わりだ。この後は、リナリアがプレゼントを頼める時間がやってくる。
バーミリオンが少し目を伏せて、小さな声で何かつぶやいた。
「……じゃなければ……」
「? ごめんなさい、リオンさま。なんておっしゃったのですか」
バーミリオンは顔を上げて、少しよそゆきの笑顔でリナリアを見た。
「なんでもないよ。それより、ほら、グラジオが迎えにきた。そろそろ、プレゼントの時間だろう? 行っておいで」
少し気にはなったけれどリナリアは素直に頷き、バーミリオンに「また後で」と手を振って、兄に合流して一緒に両親のいるところへ向かった。
兄がリナリアと手を繋いで、小さな声で話しかけてくる。
「大変だったな。今から婚約話なんてされても困るし……助けに入るの遅くなってごめん。フリッツと話してたんだ」
「お兄さまは悪くないですよ。フリッツとなんのお話をされていたのですか?」
兄がいたずらっぽくニカッと歯を見せる。
「あいつ、態度は大きいけど……度胸があるのは悪くないなって思った。俺の誕生日まで時間あるから、今日よりもうちょっと長い曲作って聞かせてって言った」
「まあ。お兄さまの方が先に合格通知を出したのですね?」
王子に新曲リクエストまでされたなら、まずフリッツとしては大成功だろう。兄の様子では、こちらから言わなくてもムジーク伯爵家ではなくフリッツ個人を讃えているようだし、聖誕祭での恩はきっちり返せたかなと思った。あとは後ほど父に直接推薦しておけば万全のはず。
「で、リナは今日何を頼むんだ? またびっくりプレゼントか?」
「……ふふ。どうでしょう」
「あ、ソティスが欲しいとかはダメだからな!?」
「安心してください、それは大丈夫です」
ギリギリまで決まっていなかったけれど、もう決めた。
父の前について兄と礼をした。父は心なしか少し疲れた顔をしていたけれど、リナリアを見ると微笑んで頷いた。パーティーの招待客への恒例の挨拶の後で、父がリナリアに尋ねる。
「さあ、リナリア。6歳になったお前は、今何が欲しい?」
リナリアは背筋をピンと張って父の顔を見上げる。そして今回も、無邪気な笑顔になるように意識してにっこり笑った。
昨日学舎にいた理由にもなって、これからもきっと必要になるものだ。
「はい、お父さま。わたくしは魔法検閲官の学舎に、お友達とお話ししたり資料を置いておける、わたくし専用のお部屋が欲しいです」