誕生日の朝
ベッドに差し込んできた朝日の明るさに、ぱっちりと目が覚めた。
ついさっきまで一緒にいたバーミリオンの笑顔が思い出されて、幸せな気持ちで胸がいっぱいだった。
体を起こすと、ベッドのふちにクロノがちょこんと顔と手をのせていた。首を傾けて、じっとリナリアを見つめている。
「おう、起きたか。難しい顔をしたり泣いたり、寝とるのに忙しそうじゃったな」
「おはようございます、クロノ。もしかして、ずっと見ていてくださったんですか?」
リナリアが微笑むと、クロノはつんとくちびるをとがらせてそっぽを向いた。
「別にィ。また魔力が無駄に放出されておったら吸ってやらんともったいないからな。で、どうだった? バーミリオンの夢を見たんか?」
「それが……」
クロノに、夢であったことをはじめから説明する。大人のウルらしき人に会ったことや、質問されて答えた内容、そして今のバーミリオンが魔法を作って夢に会いに来てくれたこと。
「……ふむ」
「どうして以前の……大人のウルがわたくしの夢に現れたのでしょう。それに、今のウルとはずいぶん雰囲気が違ったし、なんだか怖さすら感じてしまって……レガリアで白は縁起の良い色ではありませんが、大人のウルは幽霊だったり……しませんよね……」
クロノは難しい顔をして腕組みをした。
「……うーん、思い当たることはあるが、確証は無い。今はまだ話すときではないな。昨日は一晩中起きていたが、特に大きな動きは無かったからウルはまだ変わりないとは思う。おまえは、とにかくまずは今日を乗り切ることからじゃ」
少し引っかかる言い方をされたのは気になったが、確かに今日は一大行事だ。リナリアは素直にうなずいた。
「それにしても、バーミリオンのやつあの年で高度な魔法を作ったもんじゃな。執念めいたものを感じるが……まあ結果的には良かったからええのか」
「本当に! リオンさまはすごいです! まさか一番におめでとうをお伝えに来てくださるなんて……」
「あっ」
クロノが口を両手で塞ぐ。
「?」
リナリアが首をかしげると、クロノは目を泳がせてから小さく「……とう」と何かつぶやいた。
「えっと、ごめんなさい。聞き取れなくて……今何て……」
「だっ、だからっ……おっ、おめでとう! って、言ったんじゃ! やかましいな! 忘れてたわけじゃないからな!? お前の夢のことを考えておったから――」
大きな声で言い直すクロノがかわいらしくて、リナリアはぎゅうっと抱きしめて頬をすりすりとこすりつけた。
「おいっ、なんじゃ!」
「クロノ、大好きですよ。おめでとうをくれてありがとうございます」
「やかましいわい。それ、そろそろばあさんが来る。支度を始めるぞ。おまえなんかこれからふわっふわのひらっひらになるんじゃからな」
くすくす笑ってベッドから降りた。すっかり侍女業が手慣れてきたクロノと支度を始めていると、髪結の侍女、朝ご飯やドレスを持ってきた侍女がなどが入ってきて、皆一列に並んで「お誕生日おめでとうございます」と言ってくれる。その後で入ってきたばあやは両手を広げてぎゅうっと抱きしめてくれた。
「姫さま。6歳のお誕生日、おめでとうございます」
子供に戻ってから二度目の誕生日。去年は過去のことを思い出したり、現状に慣れるのでいっぱいいっぱいだったからゆっくり味わっている暇もなかった。そういえばベッドから落ちてみんなに心配もかけた。
そして何より……去年はバーミリオンやリナリアたちにとって、とても大事な日だったから。
朝ご飯のデザートに、リナリアが大好きなピンクのイチゴがついていることに気がついて微笑んだ。
生まれたことを皆に祝福される日。この世界にいて良いのだと思える日。
唯一ウルのことだけは気にかかるけれど、もしウルのことが気になってパーティーに支障が出てしまったら、ウルはきっと悲しむし自分のせいだと思ってしまうかもしれない。とにかく今日はやるべきことをきちんとこなそう、とパーティー用のドレスを着せてもらいながら決意する。
今日は薄桃色でスカートがラナンキュラスの花のようにふくらんだドレスで、胸や背中にたくさん刺繍もしてあった。
同じ色の花飾りを髪に挿してもらい、完成した自分の姿を見てほうっとため息をつく。
「ばあや……これ、本当にわたくしのドレス? ヘレナのじゃない?」
「姫さまのドレスですよ。王妃さまが今日のために作らせなさったのです。姫さまは、少し落ち着いたピンク色がお似合いになるからと」
「お母さまが……」
過去の自分は、ピンク色のドレスを着るのが恥ずかしくて、自分から藍色やグレー、黒などの地味な色を選んでいた。もしかしたら、あの時も母はこういう色が似合うと思ってくれていたのだろうか。
「この間バーミリオン王子のお誕生日に着てらした明るい寒色とも迷っていらっしゃいましたけれど、ばあやがこちらのお色に太鼓判を押させていただきましたよ。姫さまも、このお色がお好きですものね」
ばあやが鏡越しにウインクする。リナリアはくすっと笑った。
「ありがとう、ばあや。ばあやはわたくしのことをよく知っているのね」
「はい! もちろんでございます。最近はクロノがばあやのお仕事も引き継いでくれていますが、姫さまの筆頭侍女はばあやが現役でいる限りは譲りませんよ」
そこへトントン、とノックの音がした。クロノが開けに行くと、支度済みのグラジオとヘレナが手を繋いでドアの外に立っていた。グラジオは黒のすっきりした礼装、ヘレナは小さなリボン飾りが胸に並んだ赤色のドレスを着ていた。
「おねえさま! おたんじょうび、おめでとうございますっ」
「誕生日おめでと。今日はベッドから落ちなかったか?」
グラジオはいたずらな顔でそう言って笑った。
「ありがとうございます。今日は落ちてませんよ!」
ヘレナがとてとて走ってきて、ぽふっと抱きついてくる。
「あのね、ヘレナあさもラビィさまとごはんしたのー!」
「そうなの? 仲良くなれて良かったわね。ヘレナ」
それから両親に挨拶するため、三人で玉座の間に向かった。ソティスと目が合ったら、彼も頭を下げ「本日はおめでとうございます」と言ってくれたのは嬉しかった。
玉座の間の黒い扉が開かれると、中で待っていた父と母が優しく笑って出迎えてくれた。身長はこの一年で大して変わっていないから、下から見上げる父との距離はそんなに変わっていないはずだけれど、父の顔は去年より近くに見える気がする。
「リナリア、6歳の誕生日おめでとう」
「リナリア、お誕生日おめでとう。そのドレス、とても似合っているわよ」
去年と同じく、いや、去年よりもさらに洗練された動作で両親に礼をする。もうこの子供の体にもかなり慣れた。一度通った道を思い出しながらなぞってきた王女教育も、しっかり身についている。
「ありがとうございます。お父さま、お母さま。朝からたくさんお祝いしていただいて嬉しいです」
両親は目線を交わして、ふっと微笑む。
「改めて……リナリアは本当にしっかりしているな。もうどこへ嫁に出しても恥ずかしくないくらいだ」
「もう陛下。去年はまだ早いと言っていたではありませんか。とは言っても……実際に行くとなったらとても寂しがるのでしょうね」
ヘレナが父の足元に行って両手を伸ばすと、父は「こらこら」と身をかがめてヘレナの鼻をつまんだ。
「ふみゅ」
「ヘレナも、もう5歳だろう。それに今日はリナリアの誕生日だから、ちゃんと大人しくしているのだぞ。会場ではお母さまと手をつないでいなさい」
ヘレナは抱っこしてもらえずにしゅんとしたけれど、「はあい」と言って母の足にくっつきに行った。切り替えが早い妹に苦笑しつつ感心してしまう。
そこへ、「国王陛下!」とほぼ同時に二人の人物が入ってきた。一人は伝令、もう一人はサイラスだった。サイラスの顔を見て、両親とリナリアはハッとする。伝令は見慣れないサイラスに不愉快そうな顔をした。普通、玉座の間専用の伝令がいるときはそちらの入室を優先させるものなのだ。
「先に伝令の要件を聞こう」
「は! アルカディール王国、バーミリオン王子御一行が到着されました。お通ししても」
その知らせにリナリアはぴょこんと跳ねるように姿勢を正し、後ろを向いた。夢の中で会ったばかりなのに、毎回新鮮に緊張してしまう。
父が頷く。
「今日はリナリアのダンスの相手をしてくださるのだったな。その話もなさりたいだろう。お通しせよ。ご挨拶が済んだらサイラスに同行する」
「はっ!! それでは廊下にて待機しております!!」
サイラスはきびきびと神官風の礼をして退出していった。
「失礼いたします」
爽やかな声が聞こえ、バーミリオンが中に入ってきた。去年はアルカディールの白い礼装だったけれど、今日はレガリア風の黒い衣装を着ていたので、リナリアは驚いた。身に纏う空気までも引き締めるような黒の礼装は、バーミリオンをぐっと大人っぽく見せた。
レガリアではハレの色である黒だけれども、隣国の彼の母の喪はまだ明けていないということを改めて意識してしまう。
そばを通るとき、バーミリオンがリナリアのほうをちらと見て微笑んだ。彼の胸元がきらりと光る。そこにはリナリアが誕生日プレゼントに贈った魔水晶のブローチがあった。
(リオンさまが、ブローチをつけてくださっている……!)
バーミリオンが国王への挨拶を模範的に済ませている間も、リナリアの目は新鮮な黒い衣装の彼に釘付けだった。
(白の衣装はリオンさまを天使のように光り輝いて見せるけれど、黒の衣装はリオンさまの美しい金髪とのコントラストが芸術的で存在感をくっきりと見せるのですね、新しい発見です、リオンさまの初めて見るお姿なんて素敵な誕生日プレゼントなのでしょうか。待ってください、今日こんな素敵な黒のお衣装のリオンさまとダンスを……? わたくしは正気を保っていられるでしょうか)
〈心の声がいつにも増してヤバいのう……落ち着け、ほれ、バーミリオンがこっちにくるぞ〉
クロノの声にハッとして前を見ると、確かにバーミリオンはこちらを向いている。衣装の観察に集中しすぎていた。慌ててスカートの端を持って礼をする。バーミリオンもまた、胸に手を当てて正式な礼をした。
「リオンさま、ようこそお越しくださいました」
「リナリア王女、6歳のお誕生日おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。本日はファーストダンスをご一緒する栄誉をいただき、とても楽しみにしておりました。本来ならば後でお渡しすべきかもしれませんが……陛下から許可を得ました。今お渡しさせてください」
バーミリオンは片膝をついて小さな小箱をリナリアに差し出した。その子供とは思えない美しい動作にどきどきしながら、リナリアは両手で小箱を受け取る。
「ありがとうございます。この場で開けてもよろしいでしょうか」
「もちろんです」
小箱にかけられていた青いリボンを解いて蓋を開ける。
中には、リナリアがバーミリオンに贈ったものと同じくらいのサイズのブローチが入っており、花を模した繊細な台座の中央に大粒のルビーが光っていた。