夢 ~?~
◆ ■ ◆
目を開けると、真っ白な地面が目に飛び込んできました。
ここが夢、ということはすぐに分かりました。
身体を起こしてみて、目線の高さや手の大きさで、元の自分になっていることが分かりましたし……クロックノック様もおっしゃった通り、今日は特別な夢を見るような気がしていたのです。
一応生きてきた合計年数として自分は18歳と思ってはいますが、今日から明日……誕生日の前日から誕生日の間は、17歳のわたくしが越えられなかった期間ですから。
けれど、ここはいつも大人のバーミリオン様がいらっしゃる黒い夢とも、わたくしの意志に関係なく景色が流れていくバーミリオン様の「予知夢」とも違います。
どこもかしこも真っ白で、荘厳で重厚な音楽がどこからか鳴っていて――なんだかアルカディールの神殿を彷彿とさせられます。バーミリオン様がいらっしゃらないか少しだけ期待しながら、あてどもなく一歩ずつ歩いていると、白い壁につきあたりました。なんとなく触れてみると、壁がふっと消え、正面に神殿にあるような虹色のステンドグラスがある部屋が現れます。
突然部屋が現れたことに驚いていましたが、そこには誰かいることに気がつきました。ステンドグラスから差し込む光の中で、彼の白い神官服が虹色に染まったようでした。
「こんにちは」
背中まである長い髪を一つに束ねた彼は、振り返ってにこやかに笑います。
彼の髪の色は真っ白で、目を細めているから目の色もまともに見えなかったけれど……その優しい微笑みには見覚えがありました。
今よりさらに背が伸びて、すっかり大人の骨格になっていますが……彼は間違いなく、ウルでした。
わたくしが17歳ならば、彼は24歳でしょうか。
「……ウル? ウルですか?」
どうしてウルが大人になった姿で真っ白な世界にいるのでしょう。
レガリアでは白は葬儀の色です。
一瞬よぎった不吉な予感を振り払いたくて、わたくしは目の前の彼に近づきました。
ウルは微笑みを絶やさずにわたくしを見つめています。
「ようやくお会い出来ましたね。王女様」
「ようやく……? ウルは、わたくしを待っていたのですか?」
後ろ手に手を組んでにこにこと微笑むウルの前に立ち、じっと彼の顔を見つめます。背の高い彼は、わたくしを見下ろすようにしていました。お兄さまも背が高かった方ですが、ウルも同じくらい……もしかしたらお兄さまより大きいかもしれません。
近くに寄ってやっと見えた彼の瞳は、お父様やわたくしたちと同じ――青い瞳でした。
「王女様は、よく祈っていらっしゃいましたね」
その一言にドキンと胸が鳴ります。
「それは……いつのこと、でしょう。ウルと一緒に、祈っていたときのことですか。それとも――」
彼は目を閉じて、ふっと息を吐きます。
「あなたと一緒に祈ることなどありません」
穏やかながらどこか冷たさも感じさせる声に、わたくしは、ぎゅっと両手を組み合わせます。
「……では、あなたは……以前の世界の、ウル、ですか?」
今まで全然会えなかったけれど……バーミリオン様だけでなくて、ウルの「魂」も一緒に連れて来てしまっていたのでしょうか。もしかして、会えていないだけで、お兄様やヘレナの「魂」もこちらの世界にいるのでしょうか。
(でも、クロックノック様はバーミリオン様は例外だって……)
困惑して思わず頭を抱えると、ウルが「ふふ」と笑います。それから、わたくしの瞳を覗きこんで穏やかに問いかけてきました。
「王女様は、いつも何をお祈りなさっているのですか?」
彼の笑みは優しいのに、確かにわたくしがよく知るウルの面影はあるのに……なぜかしら。
「こわい」と、感じてしまうのは。
こわいのに、足がすくんで動けなくて……口が自然に開き、気がついたら声が出ていました。
「『何か 良いことが ありますように と』」
わたくしがそう言うと、彼はわたくしの頬を両手で優しく挟んで上を向かせ、まるでキスをするかのように背をかがめて顔を近づけてきました。優しいはずの微笑みはどこか甘すぎて、いつもの優しいお兄さんのウルではありませんでした。
こわいのに、拒まないといけないのに――身体が全然動かなくて、彼の青い瞳を見つめるしかなくて――。胸の前で組み合わせていた手もだらりと下に落ちてしまいます。わたくしに出来ることと言ったら……リオンさまのことを考えることしか出来ません。明日一緒に踊るはずの、明日きっと笑いかけてくださるはずの、わたくしの大好きな、リオンさま……。
(リオンさま──リオンさま──!)
唇が触れることはなかったけれど、その代わりにわたくしの前髪と彼の前髪がさらりと触れました。額も鼻も触れそうで触れないぎりぎりの距離で、彼がわたくしの瞳を見つめます。
「そう、おまえはあの日、そう言ったね。だから、私は――」
もう何も考えられなくなってきて、だんだん目の前が滲んで彼の澄んだ青い瞳しか見えなくなろうとしたその瞬間、わたくしの左手を誰かが後ろにぐいっと引っ張りました。バランスを崩したわたくしは左側に傾き、彼の両手はわたくしの頬から外れます。
「リナ!」
その声に、わたくしは意識をはっきりと取り戻しました。世界でいちばん大好きな人の声。
引かれた手の方へ振り返ると、両手でわたくしの手を取っていたのは――リオンさまでした。この間8歳になったばかりの、まだ幼いリオンさまが本当のわたくしの手を両手で引っ張ってくれていました。
「リオンさま……!」
リオンさまをよく見たくて瞬きをしたら、頬に温かいものが流れたのが分かりました。先ほど目の前が滲んだように見えていたのは、怖くて涙が溜まっていたからだったと今頃気が付きます。
リオンさまはわたくしが振り向いたのを確認すると、繋ぎ方を片手に変え、空いた左手でステンドグラスと逆の方向を指差します。
「あっちに行こう、リナ!」
「はいっ」
リオンさまがわたくしの手を引いて走り出します。
駆け出してから一度だけ後ろを振り返ると、大人のウルは甘い微笑みを浮かべてこちらに手を振っていました。
「ざんねんです。またお会いしましょうね」
もうだいぶ距離は開いているのに、どうしてか彼のその声は耳元にはっきりと聞こえました。
白い世界をしばらく二人で走っているうち、わたくしより頭ひとつ分くらい下にあったリオンさまの頭がだんだん近づいてきて、とうとう今のわたくしの目線に戻りました。彼を見上げる身長になった頃、リオンさまもわたくしの手が小さくなっていることに気がついてか、こちらを振り向いてくれました。
リオンさまはわたくしの顔を見て、安心したようにふわりと笑ってくださいました。その笑顔が美しくて、油断するとまた涙がこぼれそうでした。
「良かった……やっぱりリナだった」
リオンさまはわたくしの手を握ったままその場に座り込んで、はあ、と息を吐きました。わたくしもストンと隣に座ります。リオンさまはわたくしの手を改めて両手で握って、じっとこちらを見つめました。ルビーのような赤い瞳が、先ほどの青い瞳の残像を打ち消してくれるような気がして、わたくしもじっと見つめ返します。
寝る前と同じ……このドキドキは、心地の良いドキドキです。リオンさまのお顔なら、ずっと、いつまでも見ていられます。
「……リナ、あの人にキスされそうになってた?」
少し不機嫌そうにそう問われて、慌ててぶんぶんと首を振りました。
「ち、違うと、思います! でも、かお、近くて、こ、こわくて、動けなくて……リオンさまが、助けてくださって……よか、った」
大人のウルから感じたわけのわからない恐怖と、リオンさまが助けに来てくれた安心感と嬉しさで、また涙がこぼれていました。リオンさまは少し驚いた顔をしてから、ぎゅっとわたくしを抱きしめてくださいました。彼の胸の中が心地よくあたたかくて……つい、そのまま身を委ねてしまいます。
「リオンさま……」
「……今日は、私がリナのハンカチになるから。私の服を使っていいよ。怖かったんだね、リナ」
「う……」
リオンさまの優しさに甘えて、彼の胸に顔を押しつけ、しばらく涙を流したまましがみついていました。泣き顔を見られなくて済むのは、ありがたかったです。
リオンさまは、ためらいがちにわたくしの髪を撫でてくれました。
「あのね。手紙に書いた、夢で会う魔法……この前もらったリナの魔力を解析して試作してみたんだ。それで今夜初めて試してみたんだけど……真っ白で変な世界に迷い込んじゃってびっくりしてたら、大人のリナが背の高い神官みたいな人と一緒にいて……。えっと、キスされそうになってるって思ったから、すごく嫌で。これ、もしかしてリナの予知夢だったりしたのかな……だとしたら私は、すごく困る」
予知夢──予知夢では無い、と思いますが、わたくしは以前の人生で大人のウルに会った記憶はありません。けれど、先程彼に問われて答えたあの言葉は……なぜか、言ったことがあるような……。
涙は止まったので、わたくしはリオンさまから身体を離して顔を上げました。リオンさまは少し不安そうにわたくしを見つめていて……涙は止まっていたけれど、わたくしはもう一度ぎゅっとリオンさまに抱きつきました。夢の中では、いつもよりちょっと大胆になれる気がします。
「よしよし……リナ、そんなに怖かった? よかった、魔法が成功して。この魔法は、眠るときにリナも私のことを考えてくれないと成功しないから。今日なら、リナはまじめな子だから……明日のダンスのことを考えていれば自然に私のことを思い出してくれるかなって思ったんだ」
まさに寝る前、リオンさまのことを考えていたので、くすっと笑ってしまいました。もしかしたら、リオンさまがあの場に来てくださったのも……リオンさまのことを考えていたからかもしれません。
「リオンさまは、すごいですね。本当に夢で会える魔法を作ってしまうなんて……すごく嬉しいです。逃がしてくださって、ありがとうございます」
「ふふ。ね、どうして明日会えるのに、今日この魔法を使ったか……リナ、わかる?」
どうして……そういえば、明日会えるのに、どうしてでしょう。わたくしはリオンさまから顔を離し、首を傾げて考えます。
「えっと……どうしてかしら。あ、ダンスの練習をするため? でしょうか」
「あはは。リナは本当にまじめな子だね。それも悪くないけど、もっと大事なこと」
リオンさまが、魔力のやりとりをするときのようにわたくしの両手にご自分の両手を絡めて、嬉しそうに笑います。リオンさまの美しい笑顔が、真っ白な空間で光が射すように輝いて見えました。
「誰よりいちばんに、伝えたかったんだ。お誕生日おめでとう、リナリア」
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