誕生日の前日(3)
後ろ髪を引かれる思いでウルの寝かされた部屋を後にして、リナリアは王城に戻った。いざとなったらティナを優先させようとまで思っていたけれど、サイラスの言う通り、王子・王女の誕生日パーティーは国家行事だ。たとえばリナリアが気を失ったままでパーティーに出られなくとも、中止はされない。いくつかの予定はキャンセルされるものの、パーティー自体は主役不在で行われるのだ。そういう点では、今日サハーラからくる二人のことも、きちんとお迎えしなければならないのである。
城まではクロノが抱えて運んでくれた。
「クロノ、しばらく魔力を送れていませんが大丈夫ですか?」
「おう、お前の母とお前から漏れた魔力を吸うたでな。この姿で簡単な魔法を行使することに問題はない。それより、闇属性のやつとしてソティスを呼びつけんでよかったんか?」
「ええ。あの場でソティスのことを言ったら、ソティスが魔法を使える騎士であると公にすることになりますから……どうしても必要ならば流石に本人に確認しないといけません。ソティスにはそれでなくてもたくさん助けていただいていますし……秘密にするという約束ですもの」
クロノはふん、と鼻から息を吐いた。
「われが魔法を教えとるから、恩は返したどころか売っとるくらいじゃと思うがな。まあ土属性魔法で良いなら換えはきくか」
城に戻ってからは簡単に昼食をとり、ドレスを着替えて客人の到着を待った。ウルの件は気になったが、おそらくアーキルかシャロンから父に報告が行くだろう。
玉座の間で待機中、ヘレナはずっとソワソワして、珍しく少し緊張しているようだった。珍しくグラジオの後ろに隠れるようにしている。
「ヘレナ、珍しいですね。どうしました?」
グラジオがぽりぽりと頬を掻く。
「俺がちょっとおどしすぎたかもしれない。クローブは意地悪だから気をつけろよって……近くにソティスもいるから平気だよ」
「ヘレナ、かみのけひっぱられるのやです」
アルカディール王妃の国葬のことを思い出し、苦笑する。
「まあ……大丈夫よヘレナ。わたくしもお兄さまもお隣にいてあげますからね」
ヘレナのふわふわの髪を優しく撫でてあげる。そういえば、今日はリナリアもリボンの少ないドレスだ。クローブ対策か、少し周囲の使用人や護衛の数もいつもより多い気がする。
(クローブ皇子は、まだ意地悪をするかしら。去年より落ち着いてらっしゃると良いのですけれど)
サハーラの皇子・皇女が到着したという知らせが入ると、グラジオと目配せして、ヘレナを真ん中に両側から手を繋いだ。
父が入室を許可して扉が大きく開け放たれる。クローブとラビィは今日もサハーラの正装を着ていた。クローブは黒地の布に金の糸で模様が刺繍されているターバンと黒の礼装、ラビィは薄青のふわふわした衣装に、同色のきらめくヴェールをつけていた。
二人は手を繋いでまっすぐ父の前に進み、ピッタリ一緒に礼をする。思った以上にクローブがおとなしいので、リナリアは内心驚いた。それからそれぞれ型通りの挨拶をしたのち、二人にヘレナが紹介された。
ヘレナはサハーラの双子をまじまじと見つめていたが、父に紹介されて、ピンと背筋を伸ばした。グラジオとリナリアは目配せをしてヘレナから手を離す。
「レガリアおうこく、だいにおうじょ、ヘレナ・クリス・レガリアです。5さいです。よろしくおねがいいたします」
ちょこんと礼をするヘレナを見て、ラビィが両手を頬に当て「まあ、かわいい!」と言った。それから軽い足取りでヘレナの前にトトッと近づいてくる。
「リナリア様もとってもかわいいけれど、妹姫様もおかわいらしいですね。ラビィって呼んでくださると嬉しいです。仲良くしてくださいね」
ふわふわと可愛らしいラビィに、ヘレナは目を輝かせて大きく頷いた。クローブは後ろ手に手を組んだまま、軽く礼をしてきたがこちらには近づいてこなかった。グラジオが前に出てクローブに話しかけようとすると、先にサハーラの使者が何か巻物を持ってクローブに近づく。クローブは「あ」と言って玉座を向いて片膝をついた。
「国王陛下、皇帝から……手紙を預かってまいりました。返事は急がないとのことでしたので、ご検討よろしくお願いします」
父と母が顔を見合わせ、使者から巻物を受け取る。
ラビィはそれを横目でちらと見てから、リナリアの前に移動し、両手を取って揺らした。
「ねえ、リナリア、今日リナリアのお部屋に行ってもいい? 前にあげた本を一緒に読みたいの」
「おねえさま、ヘレナも行きたあい」
母がこちらの方を向いて頷いた。
「そうね。リナリア、今日はお部屋にご案内して差し上げなさい。神殿や中庭に行くときはお知らせしなさいね」
クローブがグラジオの方に駆け寄ってくる。
「グラジオ、騎士の訓練場見たい! 手合わせしよう、手合わせ」
「案内はいいけど、パーティー前の手合わせは禁止されてるんだ。そういうのは明後日にして、今日は部屋でボードゲームとかして遊ぼうぜ」
「えー、手合わせできないのか……しょうがないな。それでもいいよ」
ラビィがじろ、とクローブを見る。
「兄さま、今回は絶対暴れちゃダメですからね」
「わかってるよー。じゃあ後でな! グラジオ、行こう」
クローブが先に走り出すので、グラジオが慌てて追いかけていった。ラビィもリナリアとするりと手を繋ぐ。
「行きましょう、リナリア。妹姫様のことも、ヘレナって呼んでもいい?」
ヘレナは元気に頷いた。
「うん! ラビィさまのドレス、ひらひらでかわいいのね。あとでおえかきする」
「まあ、ヘレナは絵を描くの? 後でぜひ見せてちょうだいね」
ヘレナはラビィの隣に行くか迷ってから、リナリアの手を繋いだ。リナリアを真ん中に三人で手を繋いで部屋に向かう。今日は元々ラビィを部屋に招くつもりだったので、あらかじめ片付けはしてあった。
「ねえ、リナリア。明日もバーミリオン王子はいらっしゃるの?」
部屋について早々、可愛らしく尋ねられてドキッとする。以前ラビィがバーミリオンと仲良くしたがっていたことを思い出した。
「はい。来てくださると聞いています」
「リナリアはバーミリオン王子と仲が良いのよね。あの方って兄さまと同じ歳と思えないくらい大人っぽいわよね。どうやったら仲良くなれるのかしら? あとね、グラジオ様のお好きなものとかも聞きたいわ」
〈ぐいぐいくるのう……〉
頭の中にクロノの呆れた声が聞こえた。リナリアはなんと答えたものかわからずに愛想笑いをしてしまったが、ヘレナが無邪気に「はあい」と手を挙げる。
「あのねあのね、おにいさまは、きしさまとか、かっこいいけんがおすきなの。あとね、おにくとね、ソティスとね、やきたてのパンとねえ」
さりげなく食べ物と並べられたソティスの名前に吹き出しそうになり、咳払いした。近くに控えていたクロノは少し震えている。
「ソティスってだあれ?」
「そ……ソティスはお兄さまの護衛騎士です。今日もついていますね」
「あのね、ソティスはすごいきれいなの。エリカもソティスすきなのよ」
皆の視線がヘレナの後ろにいたエリカに集まる。エリカは顔を赤くしたり青くしたりして両手をぱたぱたと振る。
「へ、ヘレナ様……あ、あの、違います。私はソティス様を陰から応援したいという気持ちでございまして……実際にソティス様と仲が良いのはクロノさんですよね? ね?」
次はクロノに注目が集まった。クロノは「ああん?」と機嫌悪そうにエリカを見る。エリカが怯んで目線でばあやに助けを求める。
「ひゃ……いえ、前にソティス様にデートを申し込んだ同僚が、休みの日はクロノさんと約束があるとお断りされたと申しておりまして……」
〈あやつ、われを言い訳に使いよって……侍女に意識されると隠遁が効きづらくなるじゃろうが!!〉
クロノの周りにめらっと怒りの炎が見えた気がした。ばあやは、はあとため息をついてエリカを見る。
「全く……姫さま方のお耳に入るところでそういったお話をするのはお控えなさいな、エリカ……」
「あら。ステキだわ! ラビィね、恋のお話って大好きなの。いつも姉さまたちから聞くばかりなのだけど、リナリアともいっぱい恋のお話がしたいのよ」
ラビィが目を輝かせる。
「恋のお話、ですか」
「そう! ほら……」
ラビィがリナリアの耳元に顔を寄せる。
「リナリアはバーミリオン王子のこと、好きなんでしょ?」
「えっ!」
どきんとして顔を離すと、ラビィはふふんと笑った。
「やっぱりね! リナリアったら、バーミリオン王子のことずっと見てるんだもの。それにラビィが話しかけに行くと心配そうな顔をしてるの、気づいてた?」
「ええ……」
当時7歳のラビィにバレバレだったことが密かにショックで、さらに自分の気持ちはそんなに分かりやすかったのだろうかと心配になった。
ラビィは自分の唇に人差し指を当てて、可愛らしく小首を傾げる。
「うふふ、ラビィはたくましい人が好きだからあ、リナリアのライバルにはならないから安心してよね。ねえねえ、リナリアはバーミリオン王子のどんなところが好きなの? かっこいいところ? 大人っぽいところ? 賢いところ?」
「え、ええと……」
立て続けに聞かれて、顔が熱くなる。一方でラビィがバーミリオンのことを好きというわけでなかったのには心底ホッとしていた。ヘレナはエリカからお絵かきセットを受け取り、ラビィの絵を描き始めた。リナリアはヘレナに声が届かないように、ラビィに顔を寄せて小さな声で囁く。
「……ぜ、ぜんぶ、すき、です」
「まあ! そんなことってあるの? バーミリオン王子って、そんなに完璧な方なの?」
ラビィの目が爛々と輝いた。リナリアは、う……とたじろいだけれど、小さな声でぽそっと呟く。
「完璧じゃなくても、いいんです。リオン様なら……」
ラビィは両手を組み合わせて、「まあぁ!」とうっとりとして顔を傾けた。
「なんてステキなのかしら……リナリアったら、ラビィより2歳も年下なのに、本物の恋をしているのね!? それは兄さまじゃ厳しいかなあ……ね、ラビィ、リナリアをいっぱい応援する。ねえねえ、これからお手紙でも恋のお話もしましょうよ」
一瞬気になる言葉が聞こえたけれど、それを聞き返すよりも早く次の話題に移って、リナリアはたじろいだ。
「えっ、あっ、お手紙……でも……お手紙だとどなたかに見られたら……」
「あのねあのね、もし誰かに見られたら恥ずかしいから、『なんとかの君』みたいなあだ名をつけるの。姉さまたちはそうやってお友達と恋の相談をしているんですって。ラビィもお友達とそういうお手紙交換したかったの! グラジオ様は何の君だろー。リナリアと同じ青い目がお綺麗だから、サファイアの君かしら? 今度までに考えておいてね! ねえねえ、リナリアは明日、バーミリオン王子とダンスするの?」
リナリアは少し照れながら頷く。ラビィは「きゃー!」と手を叩いた。
「とってもとっても楽しみー! ラビィもグラジオ様と踊れるかなあ」
「あ……ごめんなさい、お兄さまはまだ人前でダンスはなさらないの」
「えーっ! そうなの!? 練習してきたのにとっても残念……じゃあ誰と踊ろうかなあ」
ラビィは天真爛漫に表情をコロコロ変えながらたくさん話をした。もしティナが姫になったらこんな感じなのかしら、なんて思ってしまう。ぐいぐいと質問されることもあったけれど、元々話を回すのが上手くないリナリアにはちょうどよかったし、悪い感じはしなかった。ヘレナが描いたラビィの絵を見たり、以前もらったサハーラの言葉で書かれた絵本をヘレナを交えて三人で読んだりして過ごした。
それが思いの外楽しい時間だったから、リナリアは一言だけラビィがつぶやいた言葉なんて、話しているうちにすっかり忘れてしまった。